朝の雑感(Facebookより転載)
- カテゴリ:人生
- 2012/05/15 10:48:06
おはようございます。
なんだか梅雨のような朝ですね。
いつものように聖書と祈りの時間、
朝、一番初めに声を出すのは このとき。
SD(Spasmodic Dysphonia=痙攣性発声障害)の症状が控えめでコントロール可能だと
声が楽に出ると、もう、それだけで感謝です。
症状悪化のときは、ひとこと話し声を出すたびに
喉も肩も体も勝手に筋肉が収縮して、重労働のあとのように
消耗してしまうので。
今朝は、普通に声が出ました(^^)
一日の間でも、症状は安定しない病気だから
先のことはわかりません。
そのとき、そのときの状態を受け入れる、対応することを
10年毎日続けてきたら、
取り越し苦労や先のことを思い悩んで沈む性質は
ちょっと、大げさにいうなら
「今、ここで」生きる という性質に変えられました。
いつも思うことですが、病気や障害そのものには
いいもわるいもなくて、ただ、それはそういう「状態」がある
不便なことや、ネガティブな側面は、目立つから
探さなくてもわかるけど、
これがあったから こんないいことが あったんだ。
という側面も確かにあって、それは本人がきづくべきものなのです。
人に強制したり人に教えたり教えられたりするものではない。
人生の奥義は「今・ここで」を生きることにあると
私は考えます。
SDを通して、その実践が少しずつできるようになってきたことを
神に感謝するものです。
うーん・・・・ 強いのは もしかしたら
私が自力で頑張っているのではなくて、
神様に頼ってるからかも。無神論者や 無宗教のひとのほうが
私より ある意味強いと思うわ。
でもまあ、そんな私でもある程度強くなったのは、
やっぱり・・・・
「あなたを殺さない程度の苦しみは、あなたを強くする」 って英語の言い回しがあるんだけどね
それじゃないかな。
(^^)だんだん、鍛えられてきたっていう。。。
今・ここで、そうなんですよね。
高望みしても始まらないし、現実は変わらないし。
それに逆らおうとするからしんどくなるんだろうしなぁ・・
わっちももっと修業せねばです
一日のうちでも、朝 だいじょぶだったのに お昼前にはだめ、とか
そういう病気なので、最初は くやしかったり、あるいは このままだめになるのでは、と
恐怖だったりしたことも ありました。
でも、不安になっても いいことないんで、体が弱ければ 心を強くしていくしか
他に道はなかったので・・・^^
評価してくださって、ありがとう。励みになるなあ~♪
ある程度健康なひとであれば、しおかぜさんのように、強気になって 乗り越えるのも
なかなか 男らしくていいと思います。わたしも そうだったなあ。。。あれ?わたしって男らしかったのか。
その日の体調が日々違う
でもそれを受け入れて前を見る事
なかなか出来る事ではないですよ
私にできる事は「負けるもんか」と強気になる事だけ
まだまだ修行が足りませんね
ACOちゃん^^
うん、大切なことだと わかってない人も多いから
忘れるぐらいは ええことにしよう 思い出せたらええ、と^^
そうなんだよね。自分でつかみとるには 実感するには
やっぱり時間がかかる。
一気にそこまでいけるものではないよね。
でも、時間をかけることが 大切なんじゃないか、そんな気もするんだー
全ての人に大切な事なんだけど
やっぱり、忘れがちになるんだなぁ~
病気や、ネガティブな経験があるから得られる
恵みや幸せも、自分の中で、しっかりと感じられるまでは
時間がかかるだろうね。。。
コメントつけにくい内容だったにもかかわらず
コメント感謝します^^
そうですね。パーフェクトなんてありえないし
作為 & 恣意も起きてくるのが感じられると 葛藤するでしょうが
おっしゃるとおり、それも、自分なのだと 捉えるのが健全ですよね。(^-^)
ただ、私の場合、
その対極にある作為&恣意が同じような頻度で鎌首を持ち上げるのが、やっかいなのですが・・・^^;
これもまた、私という個人なのだと受け入れるようにしていますヽ(´▽`)ノ♪