Nicotto Town



6月22日

6月22日は「ハンセン病、名誉回復と追悼の日」と定められました。

「らい予防法」という人権を蹂躙した法律が1996年になって
ようやく違法と認められました。
すでに治療法も確立され、感染の危険もなくなっていたのに,
大勢の元患者さんが世間と断絶された施設に隔離されたままでした。

90年にわたる人権迫害の歴史です。
それはわたし達の日本で、ごく最近まで行われていたのです。

絆という言葉が重く感じられたのは、
「絆」らい予防法の傷跡、八重樫信之さんの写真集のせいかもしれません。
すべての絆を断たれ、療養所に強制入居させられた人々の記録です。

3年前、新聞の書評欄に紹介され、購入しました。
らい予防法に苦しむ人々の姿を10年にわたって記録した写真集です。
ずしんときます。
ハンセン病の方々はみな高齢です。
ページをめくると、ドキッとして、見てはいけないものを見た感覚に
襲われ写真集を閉じてしまいました。
そして、もう一度めくり、何度も何度も写真を眺めているうちに
哀しみでいっぱいになります。

前のブログで書きましたが、ストレスから顔面麻痺を患った経験があります。
容姿が変貌するのは、本当に辛いことでした。
ハンセン病が重篤になると、容姿が著しく損なわれます。
それゆえに、すさまじい差別の対象となりました。

最初に登場する浅井あいさん(すでに逝去)は、こう書かれています。

私が家を出ると、母は私のものを全部焼いてしまいました。
父と相談して、私を死んだことにして、家族が私の名前を言うのも
一切禁じました。

島比呂志さん(逝去)は作家として活動し作品で人間回復を模索し続け
国賠裁判のきっかけをつくりました。

一人の人間が一生の間にするには余りあるほど厳しい人生でしたが
小説を書いたり、国を訴えたり、良い人生を歩いてきた、
と今になって気付かされました。

わたしは涙が止まりませんでした。とても美しい言葉です。
入居者が妊娠すれば、麻酔もなしに中絶、男性は去勢された
すさまじい現実があります。
どれほどの思いをされてきたのでしょう。
醜い現実の傍らに、本当の美しさを垣間見る瞬間があります。

ハンセン病裁判が収束して、若い世代にはハンセン病差別が遠い昔と
なっているのか、数年前に仲居くんが主演したテレビドラマ「砂の器」
では、差別の対象が変わっていました。(驚いた!)
松本清張さんの原作はハンセン病差別の現実だったんですが・・。

わたしたちのごく傍で、痛ましい差別に苦しんでいた人々がいました。
無関心でいることは、知らず知らずのうちに残酷な現状を放置することに
手を貸しているんですね。

「絆」という詩のお題がでた続きで、写真集をみていたら
「ハンセン病、名誉回復と追悼の日」のニュースが流れました。

心より哀悼の意を表します。


アバター
2009/08/14 01:07
KINACOさん★コメントありがとうございました。

初めまして^^
というよりも、時々、他の方のブログでお見かけしておりました^^

専門的なレポートですね。

レポートを読んで一番に思うことは、政府の役人にロクな者がいなかったなぁということです。
少し誤解を生む言葉かもしれませんが、民衆というものは大部分が無知だ、という認識があります。
一面はものすごく当たっています。わたし自身も、知らなければならないのに、知らずにいることが
かなりあると思います。

たとえば、北朝鮮の拉致被害者被害の家族の皆さんを
わたし達は話題にしなくなりました。
あれだけ世間は騒いだのに、政治家も忘れがちです。
わたし達の周辺には日々、いろんな情報が入ります。それに流されて、ご家族の皆さんの
心中を思いやる回数が減ったことは、悲しいかな事実です。

たまたま、遭遇しなかっただけ。
真に邪悪な出来事に、遭遇しかかったという今の状況を当たり前に思い、生きています。
一人の個人としての人権や命などは
巨大な国家などにぶち当たると、砂粒のごとき力しかありません。

国家はまた個人の大集団でもあります。
対個人であれば、目の前にある人の苦しみも分かりあえる可能性があります。
人はなぜか、集団になると、個人というもの忘れます。
その方が楽だからでしょう。
一人の個として意見を持ち続けられるか、いろんな場所で、自分の職場で、公の場所で、
そんなことを自分に問いかけ、考えてしまいます。

せめて、当時の厚生省の役人や政治家、ハンセン病関連の研究者の皆さんが
患者さんが個人として背負っている凄まじい状況に
痛みを感じ、悩んでくれたのであろうか、
もし、そうであっても、動かせぬものが時代の無関心であったのか…
直接的に手を下すより事も罪深いことですが
それを助けているのが無関心であること。

ずっと前に国境なき医師団のHPで
「知らないとうことは犯罪だ」とメッセージが飢餓状態の子どもの写真の上に
貼られていました。
胸に突き刺さりました。

わたしもいろんなことを考えます。知ることで選択できます。
それでも知れば知るほど、悩ましくなっていきます。
アバター
2009/08/13 14:02
ほんとにツライ時代を、長く長く過ごされていた事に、
何と言っていいのか解らなくなります。
感染が偶然ではなく、感染することなく生きていた事が、偶然であるのに。
それを不当に差別する。。。

http://www.jlf.or.jp/work/pdf/houkoku/saisyu/5.pdf

このレポートはご覧になりましたか?
私には、衝撃でした。
ある時期から、撤廃を遅らせたのは、私たち全ての認識であったかもしれないという事。
「知らない」ということが、彼らを塀の中に押し込めざる得なかったかもしれないと言う、
その事実。

知る事は義務で、その知る事が、自分自身を救う事になるかもしれない。
自分の権利意識を守る事は、他人の権利を守る事。

いろいろ、ほんと考えます。

ありがとうございます。
アバター
2009/06/30 18:42
ルルさん★コメントありがとうございます。

医療の進歩でたくさんの病が治る時代なりましたが
残念ながら、治癒が追い付かないこともあります。
悲しいですね。

ルルちゃんは頭が良くて、思いやりがあり
行動力も正義感も人一倍ある人だと思います。
だから、いざという時にみんなルルちゃんの肩に
のしかかってくるのね。切ないです・・
今は、混乱の最中にいて、いろんな決断を迫られているのでは
ないでしょうか。ルルちゃんが一人で辛い決断をしないと
いけない状況にならないよう、願っています。
人生は時々、本当に辛いね。
アバター
2009/06/30 17:24
ゆい★純正品さん★コメントありがとうございます。

実をいえば、ハンセン病差別の根深さは
テレビで描かれていたものとは、比べようもないくらい
もっと酷いもの、という感じがするのです。
当時は容姿が崩れることから、忌み嫌われました。
施設に入居されている人も皆さん高齢になられ
テレビで描かれるには、実感が湧き難くなって
現代では難しかったのかなぁ、と思いました。
これは、すごく残念なことでした。
アバター
2009/06/30 17:13
歌穂さん★コメントありがとうございます。


治療法も確立され、発病しても治癒する病気なりました。
昔に隔離された人々も高齢の方が多く
過ぎ去った昔の感じがします。

古い痛みを感じられるのは
やはり、村社会からの断絶、生きた証をも消されてしまう
日本固有の風土性が根ッ子にあるせいかもしれませんね。

アバター
2009/06/30 17:07
にけさん★コメントありがとうございます。

そうです^^
ハンセン病になると施設に入所するか、村を追い出される風習が
ありました。病の為に崩れた外見を忌み嫌われ
世間から断絶された、放浪生活、父親しか身内のいない少年も
共に、お遍路姿で彷徨う。
主人公が決して人に知られたくない身の上を回想するシーンでした。
ボロボロに泣きました。
アバター
2009/06/30 16:47
モコモコさんコメントありがとうございます。

体験すると、不条理さにとどまい、自分の中に葛藤がおこりますね。
米国にいた頃、一度だけ、有色人種ということで
されたことがあります。(あまり、言葉がわからないので感じだけ^^;)
これを毎日されたら、かなり辛いなと思いました。
気持ちがねじくれそうになるのが、理解できる気がしました。

ただ、差別された人が、なお下を人を差別する現状があります。
辛さを知っているのに、優越感を感じたいとする人間の欲求でしょうか。
差別という、実はほとんど実体のないものが、
根深くなっていく、恐ろしさと、人間の哀しさがあります。

自分がそれに巻き込まれないようするには、
モコちゃんのケースもそうですが
試される瞬間がありますね。
アバター
2009/06/30 16:36
カルカンさん★コメントありがとうございます。

日本は村社会で、恥の文化だといわれますね。

小さな頃、なんとなくおかしいと思っても
周りがそういうのだから、そうなかなかと思いこんでいた節があります。
世界で情報網の発達が著しく進化して
いろんなことを、そのまま知ることができるようになりました。
事実をそのまま受け止め、先入観なしに考え選択できる機会を
与えられたといえます。
そう考えると教育って大事だなって、改めて思いますね。
アバター
2009/06/30 16:30
honeyさん★コメントありがとうございます。

八重樫さんがこの写真集を撮ろうと決意したきっかけは
国立ハンセン病療養所に取材に行った際、納骨堂の写真を撮ろうとしました。
その時、入居者自治会の人から
「骨壺に貼ってある名前を撮らないでほしい」
と言われたそうです。家族とも縁を切り、死してなお、名前を隠さなければならない
これは何だろうと。。

障害者の写真を撮るとき、後ろから写すのが配慮と考えていたそうですが
顔のない写真がその人の人権を守ることになるのか
社会に訴える力になるのかと、考えることになりったそうです。

確かに顔のない姿は、実体を感じさせることは薄い感じがします。
たとえ、病に侵されてもその人自身の中身は変わることがないはずです。
目をそむけようとするのは、よく知らないせいかもしれません。
深く重い決断だったでしょうね。。
アバター
2009/06/30 01:20
亀吉さん★コメントありがとうございます。

時代は何がつくるのか、たぶん、その時代に生きた無数の人が作るんですね。
だから、数々の歴史上に起こった悲劇は、ある意味で皆、共犯という部分が
あると思います。
亀吉さんの言われることは確信をついていて
その時代に生きていたら、何をしていただろうか、
自分に問いかけると、恐いものがあります。

今は情報網が発達して、個人がいろんなこと発信できるようになりました。
悪い面もありますが、見過ごされていたことも
多くの人の目にとまり、考え直される機会をもてることは
いろんな可能性を秘めている気がします。

この写真集も多くの書評欄にもとりあげられました。
注目をあびることの少ない内容が脚光を浴び、
わたしのようなものでも、知って買うことができました。

わたし達の今生きている時代
埋もれて、見えなくなってしまっていることが
たくさんあるのでしょうね。
アバター
2009/06/30 00:43
招き猫さん★コメントありがとうございます。

日本は恥の文化だから、常に隠し排除してきた歴史があります。
それが、本当にごく最近まで、確かにあって
気付かないふりをしてきた、悪人ではないごく普通の人々の無関心さの
恐ろしさを感じます。それは同じ時代に生きるわたし達自身にも
ふりかかるものですね。
アバター
2009/06/30 00:39
ちょこさん★コメントありがとうございます。

楽しいことや、前向きなことは
こちらも元気が出るし、爽やかで口当たりがいいものです。
でも、悲劇は、落ち込むし、暗い気分にしかならず
どう解決できるのかすらわからないことが多いですね。
それでも、辿っていくと
どうしようもない哀しみの中に、人間の本当の美しさが隠されているのではないかと
ほんの少しでも垣間見ると、深い感動が湧いてきます。
わたしたちの僅かな勇気の向こうには
大切なものを、たくさん教えていただける、そんな気がします。
でも、やっぱり、大変です。。
アバター
2009/06/28 01:55
ブラさん★コメントありがとうございます。

負の部分って、しんどいことです。
でも、人の負の歴史こそ、本当に大切にしなければ
ならない遺産のような気がします。
二度と繰り返さないためと、苦しんだ人々がいたことを
忘れないために。
楽しいことは、ほっておいても、みんな好きだから寄いきますが
こいういう悲しい出来事は、やはり教育などに織り込んでいくのが
一番、いいことかもしれませんね。
やっぱりちゃんとした歴史を学ぶ機会を考えてほしいものです。
アバター
2009/06/28 01:50
アッシュさん★コメントありがとうございます。

ラストシーンは涙でぐちょくちょです^^;
いい映画でした。
テレビドラマは最終回しか見ていないんです。
どう描くのかなっと思って・・
エッ?違う・・なんか村八分か何かだった。
それだけ、今の世代にハンセン病というものが
忘れ去られ、実感のないものになってしまっていると
いうことなんですね。ならば、現代にしなくてもいいのにって
内心思いました。
アバター
2009/06/26 21:03
以前テレビにハンセン病の方が出ていらしたのを見た時驚きました。
こんな大変な病気があるなんて.....と本当に胸が痛くなりました。。
また、今回、手毬ちゃんのブログで初めて差別(虐待)の悲惨さを知り驚きました。

無知から来る恐怖。。そして差別。 (虐待は許せない) 
医療は進んでいるといいつつも、治せない病気、解明できない病気がまだ
沢山あります。一日も早く医療技術、研究が進めば良いと願っています。。
アバター
2009/06/26 20:17
砂の器はおっしゃるのを再放送かなにかで見たのデスが
原作は違っていたのですか。
あの過去の部分が頻繁にでてきて差別のところは特に
胸がいたんだのですが・・・。
やっぱり原作も読まなくてはいけませんね。
アバター
2009/06/26 15:25
哀しい歴史ですね。
心が痛みます

なぜかわからないけど、ハンセン病と言われると心に哀しいものが走ります。
幼い多感なころに何かを見たのか。そんな古い漠然とした哀しみです。
アバター
2009/06/25 18:56
私も以前 テレビで見ました 
あまり覚えていないのだけれど
おじいさんと子供が 放浪の旅をして そのおじいさんと子供が別れるとき
おじいさんが ううう・・・って言って とても切なかったのを 覚えています

記憶違いかもしれませんが^^
アバター
2009/06/25 15:51
無知なるがゆえのこととは言え、なんてことを…って思います。
わたしも過去に言わのない差別の巻き添えを食ったことがありました。
そうではないという思いと、しかしそれを声高に言うと差別する側と同じ土俵に立つことになる。
このときの忸怩たる思いは今も忘れられません。

アバター
2009/06/24 23:31
お邪魔します<(_ _)>

 人とちょっと違ったりすると
 それを恥じて、隠したがるの
 が日本人ですね
 これは無知か、部落などの
 差別文化の恐怖心からなの
 かなと思います。
 今でも一部、隠している人も
 いますが、開かれ、自然と受
 け入れられており、若い人の
 力かなと思います^^
 
 
アバター
2009/06/24 21:20
まったく偶然ですが、多磨全生園に行ったことがあります。
古い規格の小さな住宅が、ずっと並んでいるのです。
その頃はもう誰でも中に入ることができて、中心部を通る道路は歩行者と自転車だけでしたが、
近道として使われていました。
夕方でしたが、そこにいるはずの人たちの姿は見かけませんでした。

はじめてハンセン病の方をテレビで見たときはとてもショックでした。
でもテレビに映し出されるという決意の方がずっと大きい何ものかであるはずで。
アバター
2009/06/24 11:42
こういうハンセン病や、部落問題とか、
差別問題の本や、記事を目にすると、考えますね。
昔は、回りも、本人たちもそういうモノだと思っていたのでしょう。
今だから、わたしたちの思考とかも、いろいろな意見を考え発言できる世の中ですから、
偉そうなこといってしまいますが、
その時代に生きていたら、同じことしてたでしょうね。

アバター
2009/06/23 23:18
見たくない現実から目を背けようとする、人の弱さが悲しい。
ただただ、そう思ってしまいます。
アバター
2009/06/23 23:07
知らないところで・・・と、よく感じてしまいますが、
身近なことに感じなければ、いけないようなこともありますよね。
どうしても、目に入るニュースは人事のように感じてしまいます。
これも罪なのかもしれませんね。
現実と向き合う・・・簡単なようで、勇気のいることですね。
アバター
2009/06/23 15:43
私はついついそういった事実から
目を背けてきてしまいました。
辛いけど、確かにあった事実なのですから、噛み締めなければいけませんよね。

黒猫手毬さんは、向かい合ったのですね。
勇気があるなぁーって思います。
アバター
2009/06/23 02:07
加藤剛と緒方拳がでていた映画が印象的ですね。
あれは、涙なく見ることができなかった記憶があります。
だけど、俺の好きな映画の一つです。
全編に流れる、ピアノの旋律が耳から離れません。

そっか、中居君のは違う差別だったのですね。
見てないからww
そりゃ、別物になっちゃったんですね。
残念。




Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.