6月7日・雨
- カテゴリ:自作小説
- 2012/06/03 09:09:20
僕らは、雨が降りしきる中、重いヘルメットを頭に被り、装備を背負ったその上から迷彩の軍用ポンチョを身に纏い、小銃を肩に紐で吊して行軍を続けている。
僕らの体は雨からは守られては いるが、戦闘服の下の体は汗で
ぐっしょりだった。
汗でべとついた肌が厚い生地の戦闘服を張り付かせ、その感触が僕らをより一層不快にさせる。
もし僕らの中に、朝から降り続いているこの雨を、喜んでいる奴がいるとしたら、そいつは間違い無くイカレた変態野郎だ。
誰も彼もか゛疲れ切っていた。
僕ら第2小隊E(エコー)分隊は、最前線の、さらにその前方に突出して構築されたF陣地に向かって前進を、続けている。
僕らは皆、険しい表情を浮かべて、それぞれの思いに浸りながら黙々と、行軍を続けた。
草原の中のぬかるんだ泥道を歩き続けている為に戦闘靴は泥にまみれている。
僕らの向かっているD(デルタ)山周辺には低い山々が東西に連なっている。
その山々の辺りからは、時折、敵味方の射撃音が聞こえて来て、破裂音が重く鳴り響いた。
低く垂れ込めた雨雲の上を、ジェット戦闘機が獣の咆哮の様な噴射音を轟かせながら、 遠ざかって行くのが 聞こえる。
僕らの目の前に見える、あのデルタ山を越えた向こうには、この国の第2の都市が麓に広がっている。
あのデルタ山への攻勢が本格的に開始されれば、その戦闘は相当、熾烈なものになるだろう。
正直に言ってあのデルタ山を 奪取する事は、僕らにとって何の意味も無い。
僕らにこの戦いに意味が あるとすれば・・・それは自分が生き残る為の戦いと言う事だけだ。
僕らの小隊はこれまでに、2度の野外での遭遇戦を体験し、その戦闘で
3名の戦死者を出している。
一人は銃弾で上顎を砕かれ後頭部を吹き飛ばされて、二人目は腹部を
2発撃ち抜かれ、三人目は右上半身だけになってそれぞれ、祖国に
送り返される事になった。
生きて、兵役期間を終え除隊する・・・
その時を迎える事が出来て はじめて、僕たちは、自分自身の人生を再開する事が出来るのだ 。
僕らは今、生き残る為だけの為に生きている・・・
僕らは今、雨が降りしきる中、疲れ切った心と体で、行軍を続けている・・・・・
雨水と汗と泥にまみれながらただ黙々と歩き続けている。
自分が自分自身の体を、自分に取り戻せる日が来るのを信じながら
もっとも、死がありふれた場所に向かっている。
コメントありがとうございます。
過去の体験っていずれは忘れ去られるんでしょうかね・・・
例のいじめ報道・・・本当に色々いやな事だらけです><
そんな思いを抱かせてくれるお話でした。
戦争を放棄したことが、今の若者から歴史を遠ざけてしまったようにも感じます。
それともゲームや映画の中だけに存在し、ボタン一つで復活を繰り返すのが当たり前なんでしょうか。
「行き残る」ことの本当の意味を、もう少し考えて欲しいな~と思います。
謀らずも、いじめで自殺をしたんじゃないかという学校や市教委に家宅捜索が入ったというニュースを聞いたばかりです。
弱いものが命を粗末にしてしまうのは、本当に悲しいです。
コメントありがとうございます。
逃れられない過酷な圧倒的現実の日常では
抱く感情も渇いたものになる気がします。
戦いに疲れ切っていても彼らには、ただただ今を乗り切るしかない無情の思いだけしかない。
それが淡々とした表現となり、却って虚しさを際立たせているように感じました。
彼らが自分自身を取り戻せる日が一日も早く戻ってくることを願わずにいられない気分になりました。
コメントありがとうございます。
20歳前後の、本来なら光り輝く季節の、記憶が、爆音と銃声と
血なまぐさい戦場の情景と言うのは、やりきれないでしょうね。
コメントありがとうございます。
一応、完全なフィクションなんですが、この文章には
はじめ、その時から10年後の日付をそのままタイトルにしてました。
コメントありがとうございます。
平和と言うのは、気温の変化の激しい場所で氷の上に
立っている様なものなのかも知れないです><
コメントありがとうございます。
近代戦と言うのは、兵士だけでなく、非戦闘員の命も、薄っぺらい
紙切れの様に軽くなったりします><
今日を生き抜く事も必死な環境で、生きていくと言うのは
大変な事だろうと思います。
コメントありがとうございます。
結局、限定なしの再稼動に向けて動きだしましたね。
マスコミの論調が、やや誘導的な気がするけど
気のせいかな?
コメントありがとうございます。
平和な世の中で生きながらに死んでいる様な、人生もあれば
悲惨な状況下で、希望を捨てず、必死に生き抜こうとする
生き方もある。
ものの考え方次第なんでしょうね。
コメントありがとうございます。
武運と言う言葉がありますが、戦場で賭けられているのは一つだけの命です。
失えばそれっきり・・・
平和が続くといいですが、東アジアにも不安の種がありますね。
コメントありがとうございます。
インパール戦、杜撰な作戦計画の為に、悲惨な状況に追い込まれたみたいですね。
戦いの無い世の中になるといいですね~ 完全なるフィクションのお話だといいのに・・・・
タイミング的には、、中国のバブルが崩壊して、中国政府がためこんだアメリカの国債を
債券市場にばんばん投売り始めたら、一挙に火が付きそうだからコワイノデス。><
しんどいですね。
当たり前に生きていける筈の命が、こんなにも軽視されてしまう場所の存在。
命が紙切れのようにひらひらした、薄いものに思えてしまいそうな現場ですが、
その重さを実感しながら、もう一度生きられる場所に向かって歩いていくのですね・・・。
自分自身の体を自分に取り戻す。とても好きな言葉です。
とある外国の詩人の言葉を借りるならば。曖昧に生きていると、魂というべきものは後頭部のあたりから抜けていって、だんだん身体から遠ざかるそうです。そうなると、自分で何をやっても、他人事のように感じてしまうそうな。
こわいですね。
せめて、生きている間くらいは自分の身体は自分のものとして過ごしたいです。
戦闘になれば、サイコロを振って生死を分けるような運の勝負になるのでしょうね。
恐いです。
生きている間、戦争がなければいいのに。
遺跡作業員の小父さんたちのなかには
兵隊上がりの人が何人かいて
いろいろ話を訊きます
インパール戦の生き残りの人の物語が壮絶