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テスト公開


タイ 独立運動、麻薬利権に変質


タイの「深南部」といわれる4県では、イスラム武装組織によるテロが連日のように起こっている。人口約220万人の9割がマレー系イスラム教徒のこの地域は、仏教徒が94%を占めるタイにあって異質な土地柄だ。深南部問題とテロの本質は、歴史に根ざす分離・独立問題にある。だが、テロは近年、麻薬密売など利権の維持を目的とするものへと変容している。非常事態宣言下の深南部から報告する。

深南部の幹線道路には、随所に検問所がある。ヤラー市街の入り口では、黒い制服の陸軍レンジャー部隊が、小銃を手に車やバイクをチェックしていた。検問所内には50人のテロリストの手配写真と、爆弾テロに常用される盗難車の写真も見える。3月31日の同時爆弾テロ以降、警備は強化された。

同時テロの傷痕は生々しい。最初の現場は目抜き通りにある飲食店。白昼、店の前に止まっていた車が爆発した。爆風は辺り一帯の店舗を破壊し、道路の向かい側の車をもひっくり返した。

真向かいのオートバイ店の外壁や店内は、突き刺さった破片で穴だらけ。掛け時計の針は衝撃で止まり、「12時2分」を指したまま。イスラム教徒の男性店員は、右足の傷を見せ「ものすごい音と衝撃だった。他の2人の店員もけがをした。同じイスラム教徒でも、テロリストへの同胞意識はない」と言い切った。

最初の爆発から20分後、200メートル離れた所でも爆弾が炸裂(さくれつ)し、店舗などが炎上した。今は更地だ。

爆弾テロにはバイクも使われる。街の店々の前にはコンクリートの防護壁が築かれている。

テロの手段としては爆弾のほか、銃撃や放火、村では斬首すらある。標的はホテル、仏寺、モスク(イスラム教礼拝所)、僧侶に子供…。陸軍幹部は「当初は軍や警察、役人だけが狙われた。最近は無差別テロだ。イスラム教徒の住民も標的になっている」と語る。

武装組織にはパタニー統一解放機構(PULO)、パタニー・マレー民族革命戦線(BRN)、パタニー・イスラム解放戦線(BIPP)などがある。

武装組織は深南部の分離・独立を要求してきた。68年に創設されたPULOの幹部は「タイが奪ったパタニー(王国)の地と、マレー系の権利を取り戻す」としている。だが、政府に認める気はない。タイには、国土は「国王の土地」という概念があるのだ。

 武装組織は若者に「テロはジハード(聖戦)だ」と説く。一方で「数ある組織のほとんどが、密売される麻薬や軽油などの利権維持を目的としている」(陸軍幹部)という実態がある。

そもそも武装組織は資金源を、麻薬の密売に依存してきた。深南部の麻薬市場は年間2億~3億バーツ(約5億~7億5千万円)の規模といわれる。

テロは2004年から激化し、この年以降、2万件以上のテロが発生している。政府が麻薬の取り締まりを強化したためで、テロは「報復」という性質を帯びるようになった。

仏教徒にしてみれば、しかし、タイにもっと「同化」すべきだ、となる。

相互理解を深め、若者のテロリスト化を防ぐ一つのかぎは、教育であろう。

ヤラー市内のニボンチャヌパカム小学校。生徒は約2500人。仏教徒6割、イスラム教徒4割で、キリスト教徒も16人いる。19人がテロで親を亡くした。

ナラーティワート県の国境の町スンガイ・コーロク。住民のあるイスラム教徒の女性は、マレーシアの首都クアラルンプールまで働きに行っては、また戻る。

「『なぜ、あんな危ない所へ帰るの?』と聞かれるけど、ここが私の家で、自分の国だから」

テロと隣り合わせのタイ深南部。目に見えぬ「国境」が取り払われる日が来るのは、いつのことだろう。

 ■タイ深南部での今年の主なテロ

 2月 9日 パッターニー県で自動車爆弾テロ。13人死傷

 3月31日 ヤラー県ヤラー市、ソンクラー県ハジャイ市のホテルで同時爆弾テロ。540人以上死傷

 4月12日 パッターニー県でバスが銃撃され、8人負傷

 5月28日 同県で自動車爆弾テロ。陸軍兵士ら7人死傷

 6月 7日 同県で小学校が放火され、校舎が全焼

【用語解説】深南部問題の起源 

タイ深南部は、マレーシアとの国境付近のパッターニー、ヤラー、ナラーティワート3県と、ソンクラー県のうちの4郡を指す。これにマレーシアのクランタン、トレンガヌ州を含む地域はかつて、14世紀後半に成立しイスラム化した「パタニー王国」だった。

この王国を交易拠点とするアユタヤ朝(タイ)が、朝貢国として支配し、何度も反乱を押さえ込んだ。1909年、英国とタイとのバンコク条約でマレーシアとの国境線が引かれ、現在の深南部はタイに残る。50年代末の政府の国民統合政策に反発し、多くの分離・独立派組織が結成され、テロ組織化していった。


http://sankei.jp.msn.com/world/news/120622/asi12062208070002-n1.htm



タパーニ王国の独立運動は1990年に一旦収束した経緯があるのですが、9.11アメリカ

同時多発テロの影響を受けて再燃したといわれています。

 

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