上野動物園 血風録
- カテゴリ:日記
- 2012/07/07 00:29:40
「もう一つの上野動物園史」
小森 厚 丸善ライブラリー
上野動物園のパンダに赤ちゃん誕生、
というニュースがありました。
うれしいニュースではありましたが、
異常な過熱も危惧しています。
そんな中、数年前に読んだ本を思い
出したので、その時に書いた感想を
転載します。
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1882(明治15)年3月20日、上野動物園は
開園した。
首都圏に住んでいる人であれば、行った
ことがある人も多いだろう。
自分もカンカン、ランランのパンダ騒ぎの頃、
行った覚えがあるが、肝心のパンダは遠く
からチラッと見えたような見えなかったような、
という程度の記憶しかない。
これは、様々なエピソードで綴る上野動物園
の歴史である。
開園当初から戦前までは、動物を集める事に
関する事件が多い。
戦中は悪名高き「戦時猛獣処分」があり、
終戦直後は、いかにして動物たちのエサを確保
するか、というエピソードが主。
その後、世間が落ち着いてくると、人間と動物
の関わり方に関するエピソードが多くなる。
印象に残るのは、
「戦時猛獣処分」
と
「パンダ騒ぎ」
「戦時猛獣処分」は、様々な悲しいエピソード
がすでに別の本などで語られているが、意外
なのは、これは軍の命令ではない、という点。
ただし、非常の時には、非常の決断が下される
ものだと思うので、今の自分がどうこう言える
筋合いのものではないと思う。
せいぜい、こんな決断をする状況が2度とない
ように、と祈る程度のことしかできない。
そして、冒頭でも書いた「パンダ騒ぎ」
「客寄せパンダ」という言葉もある通り、かなりの
バカ騒ぎだった。
が、舞台裏は、かなりおかしな事になっていた
らしい。
報道陣との約束を守るために、周りの景色は
どう見ても夕方なのに、VTRには「交尾の時間
は午前6時」とされていたり、ランランが発作を
起こした時は、詰めかけた報道陣のために
事務所がマヒ状態となったり。
当時、パンダ担当だった著者は、ランランの
死亡会見(これまた異常な光景)の時、涙を
流す。
それは、ランラン死亡が悲しかったからでは
なく、この異常事態になすすべのなかった自分
へのもどかしさとくやしさからであったという。
最近は、このようなニュースは聞かなくなった。
動物の展示の方法も野生に近い状態で観客に
見せる「行動展示」という方法が多くなってきた。
が、何かの動物がブームになった時、また
このような事が起こったりしないだろうか。
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すでに大騒ぎになりつつある・・・。
「何、ジロジロ見てんだよ」
と思っているのかもしれません。
パンダの赤ちゃん、白黒模様が出てくる前は「謎の生物」と言っても通じそうです。
近くで見ると、パンダって、けっこう凶暴な顔してますもの。
何度も見たいとは思わないけど・・。