Nicotto Town



死刑弁護人


フェアでありたいと、いつもいつも願っている。
自分が。。

願いだから、叶っているかは定かではない。
それが時々、とっても怖くなる。

立ち位置を考える。
あっち側、こっち側、真ん中。
見える風景が変わるから。

被害者、加害者。
検察。弁護士。傍観者。

当事者でない限り、真実は分かり得ない。
それでも、わたしたちは事件のすべてを
知ったような気分でいることが多い。

マスコミ報道のせいだろう。

書いてあることは本当だろうか。
書いていないことに重要はことはなかったのだろうか。

そんなことを考える間もなく、事件は多発し
次から次へ話題は流れ、時は経つ。

犯人は悪人であり、社会の敵であると定着し
憤り、刑罰を与えることを支持する。

異物である彼らを隔離すること、排除したことに
どこか安堵を覚え、やがて忘れ去る

新聞、テレビ、週刊誌が書き立てた見出しの一部だけが
記憶の片隅にぶらさがってはいるものの
わたしたちはもう振り返らない。

裁判はずっと続いている。

極悪人にも弁護士がつかなければ
裁判は始まらない。

死刑確定と思われる加害者につく弁護士の
ドキュメンタリーを観てきた。
『死刑弁護人』

「オウム真理教事件」 麻原彰晃
「和歌山毒カレー事件」 林眞須美
「長親女子大生誘拐事件」木村修治
「光市母子殺人事件」元少年

人権派弁護士でありながら、もっとも罵声を浴びせられ、憎しみの対象となりやすい
安田好弘弁護士。

正直に言えば、光市母子殺害事件での
彼らの弁護には憤った。
若い母と幼い娘の殺害方法の弁護が、あまりにも無神経ではないか。
遺された夫の地獄のような心中を思うと言葉を失う。

死刑事件を請け負う弁護士は少ないという。
極悪人の代理人として世間から非難を受けるだけではない。
人命が奪われた事件を通し、加害者、被害者双方の悔恨や悲嘆に
苦悩することになるからだ。

これは凄まじく苦しいことではないか。。
どうして苦難の道を選ぶのか。
それを知りたいと思った。

物事にも、人にも裏や表、光と闇がある。
すべては多面体だ。

分かりやすいこと、信じたいことだけを鵜呑みにはしていないか。
わたしたちはいつも正義の側にいるのか。
多勢の中で、安全圏の中で、バッシングを繰り返すだけでよいのか。

震災前なら、原発事故の前なら
多少懐疑的に思ったかもしれない。

原発事故は人災だった。
当初、大切なことをほど報道しなかったマスコミの姿勢
漠然と国を信じていた、
知らぬが仏の自分で会ったと気付く時の苦さ。

わたしは母の交通事故被害者として、保険会社が起こした調停により
2年間、裁判所に通った。

正義はあると思っていた。

法は正義ではなかった。
裁判所を正義を探すところで
法は手段だった。

それを手にする人の在り方で、どんどん変わっていくものだった。

罪が集まる場所、常に闘争心を持たなければならない場所
そこにいるだけで心がすり減って行く。

何の落ち度もないのに、日常を奪われた被害者は
理不尽の一言に尽きる。

それでも、安田弁護士は言うのだ。

貧困と貧富、安定と不安定、山手と下町
凄惨な犯罪は境界で起こることが多い。

生まれ育った環境が生む歪みを無視し
加害者を断罪することに終始することが
事件の「解決」と言えるのか。
「誰が何を裁くのか」

裁判は、犯罪を抑止する為に、
材料を洗い出す場であるはずだ。

ゆらり、足元が揺れる。

和歌山毒入りカレーの林眞須美被告。

彼女は詐欺師であり悪人だが
お金への執着度は高く、一銭にもならない殺人を
犯すようなパーソナリティではない。

明確な殺意があれば、何故、三つある鍋にヒ素を入れなかったか。

一番驚いたのは、通常、ヒ素は手に入れにくいものだと
思いこんでいたことだ。。

和歌山、農家が多い。農薬にも使われ
どこでも、誰でも簡単に手に入れることができる状況にあったという。

その為、毒性はあっても猛毒であるとの認知が低い何者かが
いたずら目的で入れたのではないか。。
というのが安田弁護士の考えだ。

だんだんと胸がざわめいてくる。
眞須美被告が犯人である、
それを信じる方が、ホッとするからだろう。。

今回は安田弁護士と監督、プロディユーサのトークショー付きだった。

出遅れて補助席で観ていた。

安田弁護士は、高圧的な雰囲気のない優しい人であった。
そのことに、また驚いた。

安田弁護士に違和感を持つ人ほど観に来て
考えて欲しいというのが、監督の願いである。

東海テレビ、名古屋ではテレビ放映できたが
全国区では、まず無理なんだそう。
だから、映画とういう手段で、できるだけ多くの人に観て
考えて欲しいと言う。

そうして、陪審員制度において
わたしたちは正義を追求するのではなく
真実を見つめる作業を怠ってはならない
その心構えもにも思い巡らす。

わたしたちが思う正義とはなにか。
人が人を裁くことはなにか。
法の名において、命を奪うこと。

遺された被害者家族の無念。
事件の闇。

解決のみを急ぐ警察組織。

見ないことでやり過ごそうとしてきた社会をつくり上げてきた
わたしたちへの報復の如く
こどもたちの学校ではイジメが絶えず起こり続けている。

正義と勇気は
大勢に流されないところで
密やかに眠っているものなのかもしれない。

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2012/08/08 01:26
大喜さん★コメントありがとうございます。

国や企業相手の裁判は、どんなに理不尽なことをされても
勝つ公算が稀で、悔しい思いばかりが残りますね。

たぶん、このような事例に陪審員制度となれば
多少変わってくるのかもしれません。

たとえばマクドの熱湯珈琲事件。
熱い珈琲をこぼしたのは本人責任ではないか。
珈琲が熱いのは当たり前、それに賠償責任を問うのか。
というのが大方の意見だろうと思います。

しかし、あれは怖い事件でした。
熱過ぎる珈琲での火傷の前例は幾つもあり
改善されていなかったし、
こぼした老婦人の火傷の傷は、見えれば唖然とするほど酷いもので
皮膚移植をし、のちの生活に支障をきたしたほどだったのです。

被害者の実態が明かされないんですね。
巧妙にメディアコントロールした成果とも言えます。

裁判自体が厳罰化へと動き、
陪審員が求刑よりも多い実刑年数を言い渡した判決も出てきました。
これも危ういんです。。

官僚となる人は、優秀で、家も資産家であることが多いでしょうね。
絶対に庶民感覚とはかけ離れているんです。
たぶんここが問題なんだろうなぁ。
自分たちは違うと思いこんでいる節があります。

司法や警察などの現場は、わたしたちが知らないうちに
どんどん悪化してきているのかもしれませんね。

物事をフェアに考える訓練は必要だと思うんです。
いろんな角度から見る。
フラットな視点から。
それが、もしもの時の、瞬発力になるのではないか
そんな風に思えるのです。
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2012/08/06 12:32
ヒットラーとソクラテスのことを思い浮かべました。
もし生きていたらヒットラーを弁護する弁護士もいなければ裁判ができない?
「悪法も法なり」と逃げられたのに逃げずに死刑になったソクラテス。

法は必ずしも正しい者の味方ではない。
というのが大手流通業○オンに裁判で負けた私の実感です。
力のあるものは訴訟専門の優秀な弁護団をお抱えでいますから、
中小零細企業が裁判で勝つことは皆無に等しいです。

歌穂さんの言うとおり、一つの事実が人によって違う真実を導き出すのです。
なぜ戦争がなくならないか?正義が人の数だけ存在するからというのが私の答えです。

例えて言うなら、
コップに半分の水が入ってる一つの事実があります。
その事実を見て、「もうコップに半分しか水がない」と考える人と
「まだ、コップに半分も水が残ってる」と考える人との違いです。

官僚制度の恐ろしいことは、キャリアの任期中に問題が無いことを最優先として
成果は出さなくてもいいからルーティンワークで済ます人が多く、リスクを冒しても
成果(改善点)を出すために尽くす人を嫉妬し?潰そうと画策することです。
検事などが誰かさんの都合で事実を隠蔽することが事実としてあることは国民の知ることになりました。

冤罪?今まで戦前戦中は言うまでもなく、国家大義の名の下、闇に葬られた粛清はあったでしょう?
小林多喜二とか・・・。
権力や大義が間違った方向に進んで理不尽が止められない時、必要最小限度の正義と勇気を持ち続けて
時代の潮目まで眠っているのかもしれませんね?

いみじくも、今日は8月6日。
「違うことを理解し、痛みを想像することが大切」
毎年のことながら誓いの言葉を述べる子供達には感心します。

過ちを犯したことのない人間など存在しない!罪を認めるリーダーこそ本物だと思います。
間違っていると気づいても改められないプライドなど本物の誇りではありません。
最近のこどもたちの学校ではイジメが陰湿化していくのはそういう大人社会を映しているのかもしれません。

三重県には、名張毒ぶどう酒事件があります。先日も街頭で署名活動をしていました。

法は所詮は為政者が作りしもの。人がつくりしものが完全とは言い難い。
が、フェアでありたいと思う姿勢は必要と思います。
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2012/08/05 20:50
タキさん★コメントありがとうございます。

自衛する心構えは必要かもしれませんね。

権力を持つとはどういうことか
上に立つものは心して考えて欲しいと願っています。

権力を手にして、人を操りかしずかせたいのか
「志」為るものを持った時期があったのか。
そんなことを思います。

原発は酷い事故でした。
いろいろと考えます。
日本は何か大事な物を失ったのか
もともとなかったのか、
時代の転換期であったと思っています。

その中で個々に何を考え、
今をどうやっていくのかで、未来が変わる気がしますが。。

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2012/08/05 20:43
歌穂さん★コメントありがとうございます。

全くその通りですよね。
双方の意見が出揃い、それで判断せねば
本当に見誤ることが出てきます。
内輪のことならば、まぁ、なんとか。。ですが
これが人命に係わることならば
本当に恐ろしい結果に、加担していた、となりかねません。。
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2012/08/05 20:41
ゆみさん★コメントありがとうございます。

切り取り方で違って見えますものね。

政府が全国11か所で行っている「エネルギー政策意見聴取会」
たまたまYテレビを見ていると
原発を無くしてしまっては大変なのではという主婦の発言ばかり。
A新聞では原発0%7割。
これだけ違いがあるんですね。

それぞれ思想的にどちらかに偏る場合もあって
物事を多方面から見る知る、一方では決められない事を
肝に銘じておかなければ、とても大事なことを見過ごしかねませんね。
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2012/08/05 20:36
bジェーンさん★コメントありがとうごいます。

真実を知ると、遅れて分かることが多いのですが
愕然としますね。。
知らず知らず、権力側が望む方向へ流されていることも
本当にたくさんありますものね。

たまたま幸運にも握り潰される被害者になっていないだけど
いつ自分がそうなるか分からない。
その時に誰を頼り、何に救いを求めたらいいのか
どうやって闘えばいいのか。。
愕然とすることは、きっと知らないだけでたくさんあるのだと思います。

きっと、bジェーンさん、本当に愕然とされたでしょうね。
庶民って、残酷でもあるんですよね。。
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2012/08/05 20:30
招き猫さん★コメントありがとうございます。

黒木さんの事件、今でも謎が残る気がしてなりません。。

オウムの坂本弁護士事件も、あの時、神奈川県警盗聴事件を追求していた
弁護士事務所に所属していたから、無視されたんですよね。
あの事件が解決していたら、のちのサリン事件は防げたはずなのに
保身に走った恥すべき捜査の在り方です。

空き巣に遭ったことがあるんです。
ずいぶん昔でしたが。
そこで、こっちは望んでもいないけれど
若い警官二人が話しに来る。。

で、怪我をするのは嫌だからみたいな事はよく聞きました。
気持ちは分かるけれどね、なんだい!とは思いました。

刑事でも女性の方が頑張っていると書かれていた
元刑事の人もいました。

悪の現場にいるからこそ染まり易いことも確か。

真実を明らかにすることを忘れたら
どんな風にも転がって
最終的には国や社会自体が衰退へと導いてしまう可能性すらね。。

権力の外にしか真実を知る力がないとしたらね。。

マスコミはう~~ん。
企業になっちゃったのね。。
これは世界的にもそういう傾向ですね。。

ただ、あらゆる普通の人が情報を発信できる時代
これが救いになるか。。ですね。。
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2012/08/05 20:19
西の魔女さん★コメントありがとうございます。

陪審員制度で否応なしに
どう判断すればよいのか、今まで経験したことがなかった決断を
迫られる可能性がでてきましたね。

その時、自分はどうするのか。
多勢に流されるのか、そこで一人反論できるのか
自分の意見を言えるのか。
物事を見誤ることはないのか
自分の運命なら、自業自得、己の愚かさを笑えば良いけれど
誰かの運命を担っているならば、どうするのだろうか。。

そんなことを考えます。
その訓練や知識、法律がどのような意味を持つのか
全く知らずに行ってよいものか。。

ある意味でリアルに考えます。
リアルに考えることでの訓練なのかもしれません。

人が人を裁く、まして刑の重さを。。
素人が裁くと厳罰化傾向が強まってくるそうです。
多数が正義と化ける。
このことを考えます。

自分ならどう決断するかを。。
難しい問題ですね。。
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2012/08/04 23:40
アリオンさん★コメントありがとうございます。

性悪説ですね。うん。実はわたしも多少そう思います。

動物も知性が高くなるほど、食べる為に殺すのではなく
遊びで殺すような固体がいるんですね。
イルカとかは有名です。

しかし反対に慈愛もあるんです。
イルカたちが身体の不自由な部分をサポートして
泳ぐ手助けをしてくれる。
そんなセラピーもあります。

両方あるんでしょうね。。

知れば知るほど、安直な形で裁判が進み
刑が確定し、悪人となれば恰好の商品として
興味そそる記事が誇大化され。。消費されていく。

あぁ。。でもね、諦めないで、真実を見ようとする力が
それぞれに育って行けば、何かが変わる可能性があるのでは。。
という願いも捨てきれずにいるのです。
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2012/08/04 23:26
アッシュさん★コメントありがとうございます。

死刑については微妙に考えるんですね。

交通事故の被害者家族として
裁判所に通いながら、被害者って理不尽だと
思い続けました
犯罪被害で殺された場合、どうやって無念を晴らしていけるのか
どん底の中で打ちのめされながら、気力を振り絞って
裁判に臨むわけです。

その心中は凄まじく哀しいものであろうと。。

よく分からないんですね。
しかし違和感がある。

終身刑でしょうね。
それが今の日本にはないから。

たとえばね、かなり前にこんな事件がありました。

実父の性的虐待で、実際に子どもを二人も作ってしまった女性が
実父を殺害したんです。

米国では無罪になる可能性が高い事件ですが
その時裁判官は、懲役刑を科しました。短かったと思います。たしか。。

父を殺害した現実からは逃れることができません。
罪を贖い、新しい人生をやりなおしてください、という判決を言い渡しました。

罪にはいろんなケースが存在します。
割り切れないものもあるような気がするんです。

難しいですね。。
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2012/08/04 22:23
たいさん★コメントありがとうございます。

自分っていうものも、変わっていくんだと思うんです。
いつからか自分に「絶対」ということが言えなくなりました。

人は経験したこと以上に考えられないものかもしれません。
だからこそ、想像力をプラスしてみる。
あっちこっちへ、ますます迷宮です。

ますます言えなくなる。
ただ、生きて行く限り何かを指針にしなければ
前に進めなくなる。
そんな時どうするのか。。でしょうね。

マスコミを批判しているジャーナリストは少数ではありますが
存在していますよ。彼らの有料ブログをなどを買って
読んではいるんです。批判しながらも、発信している人もいます。

たぶんね、マスコミも問題ではあるけれど
受け手であるわたしたち自身の問題もあるのではと。

グローバル化が進んでから企業の力が増しました。
その中で働く人も増えて、物も言いにくくなった。
そういう流れもあるでしょうね。

一番は数が正義なのか。。というところに
いきつかないことなのかもしれませんね。。
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2012/08/03 02:50
さきもりさん★コメントありがとうございます。

トークショー付きだったので、上映後に安田弁護士が話されるんです。

人を殺すっていうのは、実は物凄いエネルギー必要で
ナカナカできるものではないと考えるんです。

たまたま偶然に何かが重なり
また重なる、そこで偶発的に起きてしまうものなんだと
わたしは思うんです。

どんな人間でも後悔し変われる可能性があると信じます。

忍耐に満ちた優しい言葉だと思いました。

しかい一方で、かなり前かな。
佐藤道夫さんの『検事調書の余白』の中で
刑務所出所後、すぐに強盗に押し入り、一家全員を虐待のうえ殺害
放火した者がいたそうです。

死刑反対は理解できるが、
この世に出してはいけない人間がいるのも事実だ。
とも、書かれていて、考え込んだことがありました。

どちらも真実でしょうね。

正義については、いつも悩むところです。
ただ、真実を見る、知ることを恐れない勇気は
失わないでいたいと、自分に願っています。
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2012/08/03 00:47
らてぃあさん★コメントありがとうございます。

陪審員制度、始まったばかりで問題点も多いと思いますが
法や刑罰を真剣に考える機会になるでしょうね。

今までは特別なもの、自分とは関係ないと捉えがちでした。
自分の国の法律を裁判を参加することで見直す、どういうものかを知る
チャンスであると、わたしも思います。

ただ、刑罰の重いものを中心というのは、若干抵抗があります。

一度は裁判を傍聴せねばならない、そう思って23ぐらいの時に
出かけて行ったことがあります。

その時感じたのは、実際の罪は神と本人しか分からないであろう
という違和感でした。

民事であったり、庶民感覚とかけ離れている大手企業を相手にした
損害賠償裁判、交通事故などから入るべきではないか。
そう思うんですね。

被告人を死刑に値すると、証拠から判断できるか
感情が先行しないか、本来の法律はどうのような取りきめがあるか
全く知らないわたしたちが、ひとつの流れに押し流されて
真実を見失ってしまわないか、
訓練や教育が不十分ではないかという不安はあります。

死刑と判断した時点では迷いはなかったそうですが
判決が決まってから、それでよかったのか、被告人の目が忘れられなくなった
一生のその判決を背負っていかねばならない。

大事件ほど、そう訴える裁判員は多いように聞きます。

死刑制度についても議論が始まるかもしれませんね。

少し前まではわたしも裁判員制度は賛成でしたが、
不安もあるのですね。。

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2012/08/02 16:29
権力者と戦った事がある私に言わせると一番信用できないのが権力者。

国、地方自治体、警察、消防。
民事裁判での証拠隠滅は酷い物でした。
まぁ、会話は全て録音してあるので私自身が
闇に葬られる事が防げてる側面も有ったりします。

今回の震災で福島の友人には国などあてにならんから逃げろと言った。
多少の軍事の知識が有れば原子炉建屋水素爆発時点でメルトダウンは
確実でしたから。

最終的に信じるのは自分自身の判断しかないのかもしれません。
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2012/08/02 15:43
正義は人の数だけあると思います。
立場や守るものによっても正義は変わり、
人はやっかいなことに感情もあります。
何が正しいとは一概に言えないものだと、最近思います。
片側だけの言い分ではなく、自分の中で正義を判断するとき、
双方の言い分を聞くことは、最低限必要だと思いますね。
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2012/08/01 11:49
1つの事件を1方向から見るとダメだと思うので、
なるべく多面的に見てそれから何でも納得のいく判断してもらいたいです。
人の命を奪った場合は特にそう思います。
テレビの報道はある一部分しか切り取られていないので、
私達もその裏側をしっかり見ないといけないなと思いました。
光市母子殺人事件の場合はドラマでも再現されていて、
報道とは違うことなど考えさせられることが沢山ありました。
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2012/07/31 07:27
裁判の結果が、国民感情とかけ離れている!と感じることは多々あります。
最近はツイッターなどで、個人個人の感情が反映しやすくなり、それが
大きな力となることもあるようですが、真実は多数決では決められないと
いうことも肝に銘じておかなくてはならないと思います。
実際に、テレビの報道と、真実は全然違った!という経験をしたことが
あります。黒猫手毬さんの最後の文章が、心に沁みました。
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2012/07/31 01:07
同じ事を黒木さんが言っていたなぁ。
警察は事件の真実を追及するのが仕事だけど
その真実も、時にはアンフェアの元に暴かれるケースがある。
しかし警察はそれしか出来ない。
あの方は心から警察を愛していたし、だからこそ警察を辞めた人だった。
そして理不尽な警察の捜査を暴こうとして、命を失った。

どんな悲惨な事件だったとしても、残された者が納得出来得るのが真実。
それしかないんだ・・・と。
何のしがらみも無く、真実を追究できる職業は、もしかしたら探偵なのかもしれない。
そう言っていました。

マスコミというのも、ある意味お金儲けの手段ですしね。
それとこの国の国民が、テレビと言うマスメディアに依存しすぎているのも問題だと思います。
非常に難しい問題であります。
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2012/07/30 22:33
「正義」について考えるのは難しいね。
「ハーバード白熱教室」の議題も「JUSTICE( 正義)」だけど
それぞれに基準があることだからね。
基準には利害関係が無いのが理想のはずだけど
現実はそうはいかない。
個人的には、利害が絡めば、それは正論であっても正義ではないと思ってるけど。

人が人を裁くっていうことにも疑問は感じています。
もちろん、社会が正常に機能するには、法律も、それによって裁くという制度も必要なんだけど
数学のように答えが1つのものなんて、裁く対象にはならないわけだから・・・
そもそも、善意をベースに作られた今の法制度では裁けない脳の構造もあるのではないかという
議論さえ出ているって、兄がどこかから聞いてきて言ってたよ~
一般的に「心」と思ってるものでさえ、人によっては全く違うあり方なんじゃないかと思うことさえある。

基本的には死刑には反対です。
ただし、無期懲役ではなく終身刑は必要だと思っています。
いろいろ思うところあっての自分なりの結論だけど
やはり、こればっかりはね・・・・人によって「正義」の基準が違っている以上は
「正義」のみならず「真実」さえも一つと断言できないと思えてくるよね。
(コナンくん、名台詞を否定してごめんねw)
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2012/07/29 23:24
「正義」なんて元々ニンゲンには無いのです
ニンゲンの本質は " 悪 " なのですから(性悪説)
それを補うハズの法律も未だ不完全なまま
テレビや新聞の報道はまるで信用できない低レベル
当然日本政府発表もしかりです

「正義」とは
簡単にニンゲン共を操作する
" 便利なアイテム " 
に過ぎないのです
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2012/07/29 20:23
俺は死刑は「あり」と思ってるヒトです。
けど、どうなんだろ。
真実は当事者にしか分かりえないものなんですよね。
うーん
刑の軽い重いを決めるところはさておき、やったやらないってのを確定できたら・・・
ヒトを殺したヒトは、全員死刑。
絶対死刑。
例外なし。
これでよいのでは?
今は少ないかもだけど、やくざの鉄砲玉もやるヤツいなくなりますよw
あと、いつも思うんだけど、巨額のお金がからむ事件も、一定の額を超えたら絶対死刑とか。
あかんかしら。
絶対にやるヒト減ると思うけどなあ。
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2012/07/29 18:03
姉さんの本題とずれます。
人は自分を通してしか、ものを見れません。
どんなに客観的に見ようとしても、結局は主観です。
マスコミはマスコミ自体を批判することがありません。
どちらの立場に立とうが、相手を批判するのみ。
「自分が正しい」と言い続けられる組織に、正義も正しさもないと考えます。
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2012/07/29 17:30
正義なんてどこにもないのが本当なのかもしれませんね。

http://www.youtube.com/watch?v=1wbO_Bkrp-U

生きているといいけど、この曲。

「世界中を幸せにと願う君と、いいえいっそ世界中が不幸ならと願う僕がいる」

片方が光なら片方が影、表と裏。

なんかいろいろと考えますね。

推理のエキスパート・シャーロックホームズの兄が、

「ある事件に対して起こりうることを全て考える。

その中で実現不可能なものを除外していく。

そうして、唯一残ったものが、どれだけ実現不可能に見えようとも真実だ」

と、家訓にあることを明かします。

真実とは、正義とは、本当とは、偽物とは?

実はギリギリ紙一重なのかもしれない??

 #表裏を見せないようなのは論外だけどね^^;

 #邪教とか、原発とかはね。

もしかしたら、「本当のこと」を見ようとする努力や、

それが怖いことだから、立ち向かっていくことが「本物の勇気」なんじゃないかと、

思う防人僧の子孫でした。


ワン!ご主人さん暑いだワン! エアコン入れるだワン! ん?

入れてるけど? 天元ちゃんシベリアンハスキーだから暑いのはいやだワン!

0( =^・_・^)=〇 ほれ、アイスノン。ワン♪ 冷たいだワン♪

お盆に帰る算段、左足は軽く筋肉の炎症らしい^^;

オーバーワーク^^; まぁちょうどいいけど。運動不足の解消でね~。

ヽ(・∀・)ノ ワチョーイ  やりすぎじゃ!

(=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=) (* ̄(エ) ̄*)ノシ


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2012/07/29 16:28
毒カレー事件と光市母子殺害事件に同じ弁護人が付いてるとは知りませんでした。
以前見たドキュメンタリーで毒カレー事件のおかしな点を説明していた方だと思います。それには納得。
光市母子殺害事件、非常に残酷な事件で犯人の元少年は許しがたいと今も思ってるけど、その意見はマスコミの報道にも影響されてるから、安田弁護士が何を考えて弁護をしているのか聞いてみたいようには思います。
人を裁くのってとても難しい。「こんな奴死刑だ」と言う人は良くいるけど、報道だけで言ってるから、すごく軽々しい言葉だと思う。本当に罪を償うこと、被害者側の苦しみがこれから続くことも、加害者の身内も、死刑を執行する刑務官のことも考えてるわけじゃない。そういう点で、私は裁判員制度はいいことだと思います。テレビで「自分に判断なんて下せない」というようなことを言った裁判員拒否の人がいたけど、とことん罪を問うことの意味を考えればいいのにと思う。 まあ、裁判員に当たったことない私が言うのもなんだけど。




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