カブトムシと猫
- カテゴリ:家庭
- 2012/07/31 09:39:43
7月25日の朝。
妻の命日と言うことで、お墓参りに行きました。
家を出る前、息子が玄関先で何かを見つけます。
「父さん!これ、カブトムシじゃない?」
見ると我が家の玄関に、メスのカブトムシ。
死んでいるのかな?と手に取ると、元気に生きています。
きっと我が家の玄関の照明をめがけて、夕べ飛んできたのでしょう。
人は魂だけの存在になると、他の生物の身体を借りて生きている私達に何かを訴える事が出来る。
そんな話を聞いた事があります。
もしかすると、お母さんがカブトムシになって会いに来てくれたのかもね。
「うん、早くお墓に来いって言ってるのかも。」
私達は車を走らせて、埼玉県の鴻巣市にあるお寺へ向かいました。
途中、いつも寄る竹林のある公園に寄り、一休み。
ソコは涼しげな竹林の向こうに、新幹線の高架が通っています。
時折走り抜ける新幹線を、テツの息子がはしゃいで見物。
しかしその日は、息子は大好きな新幹線ではなく、関心は別方向へ。
竹林の手前のベンチに、一匹の猫が寝そべっていたのです。
猫は日陰で気持ち良さそうに昼寝をしています。
息子が近寄ったら、どうせ逃げてしまうのだろう、と思ったのですが
猫は逃げる事無く、息子に撫でられています。
飼い猫だろうか?
首輪なども無く、ちょっと痩せ気味ですが健康そうな猫。
撫でられていた猫は、次第に私達にお腹を向けてゴロンしだします。
完全に心を許してくれたようです。
なぁ、キアヌ、朝のカブトムシも、この猫も、もしかすると母さんかもね。
父さんとキアヌがお墓参りに来るのを楽しみで、迎えに来たのかも知れないよ。
「うん、そうだよ!絶対に!」
お墓では、ひまわりが好きだったメロンと、冷たいお茶。
お花を飾って、お線香を焚いて。。。
ひまわり~
こっちは暑いぞ。
そっちは涼しいんだろ?
もしかして、さっきの猫と朝のカブトムシは、君だったのかい?
普段は感じる事のない、妻の存在。
この日は何となくですが、私達を見ていてくれている気がしました。
カブトムシも猫ちゃんも・・・そうだったのかもですね~。
両方とも、息子が好きな生物ですから。
カムトムシはその後、ケージに入れて冷蔵庫のきゅうりをあげました。
その日の夜、家の前の木に止めてあげたら、元気に飛んで行きました。
猫は、えさなどを持っていなかったので、何もあげられませんでした。
何となく、私達の方を見ながら見送ってくれた猫さんでした。
ええ、鴻巣市にあるんですよ。
ちょっと遠いのですが、また秋のお彼岸に行ってあげようと思っています。
ハエ・・・
には、なって欲しくないですねぇ・・・。
ひまわりさんだったことでしょう・・・
玄関から、見守ってくれてたんですね^^
鴻巣に、菩提寺がおありになるんですね。。。
歌舞伎役者の勘三郎さんも、
先代の勘三郎さんの命日には、
必ず、大きなハエが飛ぶと言ってましたね。
>何があってもいつもずっと一緒・・・
そうありたいものですね。
時々こうして、一緒にいるって感じさせてもらえるのは、とても嬉しい事です。
次はどんな手段を用いて、伝えてくれるのか・・・
楽しみだったりします。
お母様も大病を抱えていらっしゃるのですねぇ。
妻は看護師をやっておりました。
自らが医療従事者である事から、癌という病気の怖さも十分に知っていたはずなんです。
でも、彼女自身が癌に倒れ、散ってゆきました。
いつの日か、この病気が風邪の様に治せる日が来る事を望んでいる事と思います。
妻との思い出は、もう増える事はありません。
でも、現在まで残っている思い出と共に、私達は歩んで生きたいと思います。
そうする事で、妻はいつまでも私と息子の中で行き続けると信じています。
招き猫さんの心の痛みのすべてを天国からきっとひまわりさんはわかって、
そして大きな愛で包んでいらっしゃる事と思います。
過去の時間は戻すことはできないけれど、招き猫さんと大切な光の天使さんのキアヌ君が
これから過ぎていく時間の中で共に寄り添い たくさんの想い出の中で『何か』を見つけていけたら
いいですね。
~私も 父に残された今、現在は癌と向き合っている母とたくさんの想い出を心の宝物にしていきたいと
思っています。。
はじめまして。
ようこそいらっしゃいました。
北の地で真冬にこがね虫。
ありえませんね。
きっとそれはお父様ですよ!
約束を守ってくださったんですねぇ。
メルマガのお話。
何というあたたかなお医者さんでしょう。
そんな風にご遺族の心のケアまでしてくださる医師は、滅多にいないと思います。
私の妻のときは、私が駆けつけるまで臨終の宣告を待ってくれていました。
妻は本当は、私達が着く前にたった一人で旅立ったんですね。
それが本当に心残りで・・・。
何せ病院から自宅まで、クルマで1時間以上かかる場所でしたし
連絡があった時刻は朝の6時ごろ。
その後にクルマで慌てて出かけましたが、朝の渋滞にひっかかり2時間以上かかってしまいました。
残された者の心のあり方、生き方は、無くした人が身近なほど、前向きな方向へ戻ることは困難です。
きっと「こうすればいい」という明確なあり方など存在しないかもしれません。
それは残された者本人の、心の強さに委ねられるのでしょう。
それぞれの方法と、心のあり方。
人それぞれ違うのかもしれませんね。
お話くださった男性は、きっと前向きに笑顔で人生を送られていると思います。
ムナトゥさん、貴重なコメントをどうもありがとうございました!
ブログを拝見しました。。きっと側でやさしく見ていらっしゃったのですね。
私も父を亡くした時に同じような体験を何度かしました。
母は、父が亡くなったらこがね虫になって出てきてね。と仏壇の前でよく言っていました。
そして四十九日に法要全て終わりちようど私と外出する時、いってきますねと言った瞬間、肩にそこにいたのです。小さな瑠璃色の姿で。
北の土地。それもまだ真冬だというのに。。母と私にはそれがわかり涙と一緒になって
父からの贈り物のようだねと喜びました。。
今日、おかもんさん という方のメルマガに、
偶然、奥様に先立たれてしまった方のお話がありました。
~医者は、、
やさしく語りかけました。
「本当に、奥さんを愛しておられたんですね」
「いなくなってから気がついても遅いですね、
もっと、大事にしてやればよかったと後悔しています。」
「夫婦といっても人間ですから、
どっちか先に死んでいかねばなりません、
もし、奥さんでなくて、あなたが先立っていたら、
奥さんは今頃一人ぼっちだったんですね」と
その医師が語りかけると、うつむいていた男性は、パッと顔をあげました。
「そんな、あいつは、さびしがり屋だったから、
一人だったら生きてはいけないですよ」
「でも、夫婦なら、どっちかが、先に、亡くなって、
取り残される寂しさを味あわねばなりませんよ」
「でも、あいつにはとてもそんなこと耐えられないと思います。」
医者は一呼吸おいて、ゆっくりと語りかけました。
「では、あなたの今の寂しさ苦しみは、
奥さんが耐え切れなかったはずの苦しみを肩代わりしてあげていることになりませんか」
その医者が語りかけると男性の表情が一変して明るくなりました。
今、その事実が意味あるものと受け止めることができれば、
つらかった過去の出来事でも、今のあなたを活かす力になります。。。とありました。
~きっといつも共にいるのですよね。。そっと。
あらあら、そんな事が・・・。
たまたまその日に重なったのか、あるいはお父様のいたずらだたのか。
でも、そうしてお父様の事を思い出して差し上げる事も、よい供養なんですよね。
もう思い出してあげる事しか出来ないわけですし
それで亡くなった人が喜ぶのならって、そう思います。
でも、お母様の手術も成功した事で、こんな風にお話できます。
もしかすると、お父様の御加護なのかもしれませんよ。
亡くなった人・・・
どうなるんでしょうねぇ。
でもこうして、生きている人の心の中で生きられるとしたら
永遠の存在になれるのでしょうね。。。
やっぱり母には何かと思いが残るんでしょうかね。。
前日に気付き、崩れそうな空模様の夕方
入院中の母を見舞い帰り、タクシーを飛ばして
父の墓参りをしました。
もう、ええ加減にしたら。
はいはい。忘れてませんよ。
など、ちょっとばかりブツブツ参りしましたww
父も多少気が済んだのか
母の手術は成功。
全くもう。。
なんとなくですね。
亡くなった人はわたしたちの傍らで
何かを言いたげに思える時があるものですね。
うんうん、猫は妻が最も愛した動物ですし、カブトムシは唯一克服した昆虫でした。
もしかすると、そうだったのかもしれませんねぇ・・・。
おお~そういう事もできるんですねぇ。
天候まで操れるとは、お父様はあちらの世界でかなりのお力をお持ちなのかもしれません。
しかし、そういったことでしか何かを伝えられないもどかしさもあるかと思います。
我々が豊かな感性で、それを察知してあげなければいけませんねぇ・・・。
私は鈍感だから、きっとつまも呆れているかも・・・。
カナブンかぁ・・・
無闇に多い昆虫ですからねぇ。
お父様かどうかは判りかねますが、念のためにお墓参りに行かれてはいかがかと。
何だか判らんけど、来てくれた~!と、喜んでくださると思いますよ!
もしかすると、思わぬご利益があるかもしれませんし。
そうなったら、幸運のカナブンだったわけです。。。
会いに来たのでしょうかねぇ?
一番気がかりでしょうから、来たのかもしれません。。。
そそ、舘様の追っかけでしたよ。
あぶ刑事の撮影現場にも、出かけていたようです。
その時の生写真も持っていましたから。。。
メロンとイチゴが好きでしたねぇ。
ちなみに私は手作りミートソースをエサに、妻を釣りました。
息子は、母は月にいると信じています。
だから月を見るたびに、話しています。
息子が一番、母の存在を感じているのでしょうね。
荒んでしまった私には、滅多に感じる事が出来なくなってしまいました。。。
いえいえ、さえらさんにもそう感じてくだされば、きっと妻も幸せですよ!
お母様も早すぎる旅立ちだったかと思います。
お互い、この後の人生において、辛い夏になってしまいますね。
ウチの寺の住職が、私にこんな説教をしてくださいました。
亡くなった者の供養は、実は生きている私達のためにするものです。
身近な者の死という悲しい出来事を乗り越えるため、死んだ者を想い、供養し
そして強くなってゆくのです。
なめこさんもきっと、いつかは笑顔で過ごす時がやってきます。
そして新たに大切な人も現れるでしょう。
お母様の事を知らない大切な人に、お母様の事を笑顔でお話して差し上げてください。
それが一番の、お母様へのご供養と、親孝行になると思います。
きっと、できるのだと思います。
父は1月に亡くなって、自分の葬儀や週ごとの法要の度に
狙ったように雪を降らせました。
母をユキちゃんと呼んでいたので、ずっと呼び続けていたんだと思います。
だって、もうさすがに雪の季節じゃないだろ?って頃まで降らせましたし
天気予報とも無関係だったんですよw
入ってこられるような隙間はないはずなのに、です。
あれ、父でしょうか。
気付かず外に追い出しちゃいました。
墓参り、行かねばなりませんね。
そういえばひまわりさん舘サマ好きでしたよね。
メロンが好きだなんて・・・なんか私と好みが似てます。
ひまわりさんが、いつも天から見守ってくれている事を感じとっているのですもの。
あたたかい気持ちになれる日記でした。ありがとう^^
今日は、遺影の母の微笑みが
「いつまでも、ずっ~と好きよ」と言っているように思えました。
茂木健一郎は
小林秀雄という有名な評論家が、
お母様が亡くなられてから数日後に家の近くの小川で蛍を見かけ、
あの蛍は母にちがいないと確信した、と
『脳と仮想』の中で書いていました。
亡くなった人の思いと残された人の思いを、何かに託してしまう
私たちの心って、なんか可愛いなぁ
幼いキアヌ君でさえも、そう感じているんですね。
ひまわりさんにもきっと届いてますね。
カブト虫と猫に託した思いが。
なめこも少しずつですが、元気への坂道を登り始めたところです。途中下りもあるかも・・・ね。