人間なんてららら~♪
- カテゴリ:ペット/動物
- 2009/07/02 10:46:32
一ヶ月ちょっと前に、和歌山県の海岸でクジラが迷い込みました。
彼は自力で脱出して帰って行きましたね。
今度は千葉県の九十九里浜に、マッコウクジラが打ち上げられました。
遠浅の海岸ですので救助も出来ず、つい先ほど死亡が確認されました。
悲しいとか残念とか、テレビでコメントされています。
しかしながら、私は思うんですよね。
海岸に打ち上げられて死んだクジラをかわいそうに思う人も、家畜として生まれた命は平気で食うんです。
食料として捕鯨されたクジラも同じでしょう。
かく言う私も、釣ってきた魚は美味しく頂き、一方では飼育している熱帯魚にはせっせとエサを与えてかわいがっています。
人は他の命を犠牲にしなければ生きれない、罪深い存在。
癒しを得られる命はかわいがり、自らの生命を維持するための命は惜しむ事無く奪ってしまう。
あぁ、訳わかんね。
自分が生きるために他の命を奪う事は、当然の事。
それを躊躇する事は単なる感傷です。
私は息子にはこう言っています。
釣ったお魚を食べる前に、お魚にちゃんとお礼を言おうね。
「おさかなさん、ありがとう。」
こんな感じでいいですよねぇ?
間違いだとするならば、きっといつか地球が私たちを排除する日が来るのかもしれませんね。
小賢しい人間は、恐らく宇宙船で逃げ出す用意をするのかも・・・。
人間は本当にバカですから、重大な環境と言う問題を蔑ろにして経済の発展を優先しています。
例えばですね、「エコ変え」という言葉。
一見環境のためにいい事だと思われがちです。
しかし、わずかな光熱費を節約するために、新しいモノをつくり古いモノを処分するのに、いったいどれ程の資源が使われ環境が壊されるのでしょうか?
イメージで物を売る事だけが優先されてしまっているんです。
>いただきますは命の感謝を忘れないためにあるんですね
たくさんの人に伝わって欲しい言葉ですね!
人がこの世界にいるのは間違えのような気がします。
私たちがこの世界のために少しでもできることは
地球環境をなるべく汚さず
つねに命への感謝を忘れないことなのかもしれませんね・・・。
命の重さはどの生き物でも変わらないはずなのに
戦争は悪いといい、蟻や植物の命を考えない。
この世界に生きるひとつの命として、まわりをみていたいです
いただきますは命の感謝を忘れないためにあるんですね
そっかぁ、「おばけ」って何の事だろうと思っていました。
でも、「おばいけ」もわからない私だったりします・・・。
からし酢味噌で食べると美味しいですね ^^;
召し上がっていたんですねぇ、鯨肉。
今では残念ながらすっかりぜいたく品になってしまいました。
鯨大和煮の缶詰など、通販ですごい値段で売られていました。
>食糧難になったら世界中鯨に飛びつくかも
そうなったら大笑いですねぇ。
感謝する事も忘れ、我先に飛び付いたりして・・・。
農業、漁業、酪農、どれも人が生きる上で必要な事だったのです。
だから家畜を殺して食べる事も、否定してはいけないんですよね。
おっしゃるように忘れてはいけない事は、感謝だと思います。
>地球上で一番偉いと思っているのなら・・・
本当にそう思っているとするなら、ちゃんちゃらおかしいですねぇ。
生きるために食うという大前提を忘れておるよのう。
おかげで庶民の味だったものが、すっかりとぜいたく品になってもうた。
頭のいい鯨の命を奪う事が罪だというなら、戦争を繰り返してきた人の歴史はどうなるんだ?
それとも食べるという行為を罪とするなら、全くもってナンセンスと言わざるを得ません。
人が食するもの全てに命があるわけですから。。。
そう言えば西洋人の嗜好のための乱獲の言い訳は、聴いた事がないですねぇ。
えっと・・・
あまりの事に「ウサギ飯」が「ウナギ飯」に見えた。
そうであったかぁ。
食ってるんだ、ウサギ・・・。
ワシは食った事ないもんで。
せいぜい食って熊肉くらいだから。
失礼ぶっこいた。
わっはっは、そうよのう。
植物だって命あるもの。
感謝を忘れてはいけません。
大地の恵みに感謝。
大いなる海に感謝。
透き通る空気に感謝。
ですねっ!
最近は「おばけ」というものを知りました
生きていくからには食べないとですから
食糧難になったら世界中鯨に飛びつくかも
きれいごとでは無いですよね・・・
命の価値を大きさで計ってるのかな・・・?
感謝の気持ちを忘れず・・・いただきます・・^^
感謝の心を忘れては駄目です。
地球上で一番偉いと思っているのなら
なお更必要です。
感謝を忘れなければ、それが生きるということでしょうね。
ただ、油やヒゲだけ取るために乱獲したことを棚にあげて
健全な漁をしていた他国を責めるなんて
頭どうかしてるぜ・・・
冬の食物として、今でも山じゃ「ウサギ飯」食ってんだよ。
私だってくったさぁ♪
そこそこウマいっす♪♪
屁理屈を言うつもりなんですが・・・
野菜だって生きてるんだぁ~~~~~~。
毎年咲く桜の花だって 雑草だってホウレン草だって・・・
痛いと文句を言わないけど・・・生きてるのだぁ~~~~~~~
こんな感じでどうでしょうか。
そうですよねぇ~。
最近はお坊さんだって魚やお肉を食いますから・・・。
なかなか完全菜食主義の方はいないような気もします。
おぉ!OKっすか!
こんな事くらいしか教えられませんからねぇ。
ユミ丁稚さん、面白い方でしょう?
あぁ、やっぱ食ってるんだぁ。
でも、彼らにとっても生きるための殺生ですから、文句は言えませんよね。
まぁしっかりと飼育している犬であれば、所有物となりますので盗難になりますね。
殺した場合も器物損壊になります。
所有権がはっきりしていない場合は、やはりノー文句となりますよね。
彼らにとっての生きる術ですからねぇ・・・。
でもなぁ、かわいがっていた野良さんが、急にいなくなったら・・・
ねぇ・・・。
あぁ、ありましたねぇ~そんな事が。
近所だったら私も包丁を持って出かけたい所でしたよ。
だって居酒屋でクジラのベーコン注文したら、すげー高かったですよ。
うまいですもんねぇ・・・。
そそ、尾の身が最高だって、私も聞きましたよ。。。
>よその国の食文化に・・・
その通りなんですが、日本人はよその国の食文化は殆ど取り入れちゃいますからねぇ。
彼らがうまいといって食うものは、我々も食ってますし・・・。
だから余計、彼らに伝わり辛いのかもしれません。
あ、赤い犬はうまいって聞きました。
いずれにしても、私も犬は食いたくありませんねぇ。
「食わせろ!」
申し訳ございませんが、存じません。
面白いんですかぁ・・・。
>他に食べ物はいくらでもある・・・
まずそこが大間違いです。
きなやんの返事にも書きましたが、戦後の食糧難の我が国には肉と名のつく食べ物は鯨肉しかなかったのです。
確かに現在はいくらでも食べ物があるでしょう。
しかし、鯨肉は我々日本人にとって歴史上不可欠な存在なのです。
彼らは自然保護の名の下に、捕鯨に文句を言います。
この命は食用で、この命は友達・・・。
我々にもそういった意識は少なからずあると思うんです。
ブログの本文に書いたように、アジは針で引っ掛けて食うくせにアロワナは大切に飼育しているわけですから。
しかし、そういった矛盾は自分の胸で留めて置けばいい。
他人の、あるいは異文化の民族に対して文句を言ったら、世が世ならば戦争に発展しますよ。
このお話、私なりの考えを今度ブログに書きたいと考えております。。。
ここでそれを語るか。
それを語らせると長くなるんだぞぉ。
私も言いたい事はたくさんあって、クジラ大好物の大阪の友達と一晩語った事もありまっせ。
例えばですね、西洋ではウサギを狩って食いますよね。
こっちではウサギは可愛らしい生き物で、ペットとしての印象が強い訳です。
彼らはそれを撃ち殺して毛をむしって食う。
では我々は彼らのする事に文句を言うか。
言わん。
それは文化の違いだと言う事を、ちゃんと理解しています。
彼らはクジラが減っていると主張します。
しかしですね、増えているんですよ。
その証拠に、クジラのエサとなるイワシが減っています。
種類にもよるのでしょうが、増えているクジラは確実に存在します。
日本人にとって鯨肉は切っても切れないものです。
戦後の食糧難で、クジラの大和煮の缶詰が日本人の唯一といっていい蛋白源だったそうです。
だから日本人は鯨肉があって現在があるのです。
ぜいたく品を手にするためにクジラを殺してきた訳ではないのです。
そこの所をもっと、ナントカと言う環境保護団体は勉強していただきたいものです。
生粋のベジタリアン以外はどうのこうの言えるはず無いんだけどねぇ
>「おさかなさん、ありがとう。」
OK!大事な事だ~
初めましてです。
「食わせろっ!」ココロの叫びです、「食わせろっ!」
これね、場所言えないけど、お友達が中国からの「研修生」受け入れてるのね、工場。
犬やら蛇やら、食える草やら、ほんとに忽然と無くなったの。
謙虚だから「お米と油さえ頂ければ、私たちは大丈夫です」って言うんですって。
志し在っての来日だからね。
お金を出来る限り使わないし、「食費に割いて下さるよりも、現金を」って思ってるみたい。
それをね、ほんとどうのこうど言えないんだよね。
文化だからね。
でも、近くで生まれた子犬が行方不明で、コワくって訊けないんだって、彼らに。。。
私は 「ま・・・まさか浜に埋めるとか言わないよなぁ・・・そんなもったいないことせんよなぁ・・・」 と思ってたら、一千万くらい経費をかけて埋められちゃったことがありましたね。
埋められる前の日の早朝に数人の人たちが、尾の身などをそぎとって持って帰ってたらしいです。
よその国の食文化に口を出すなあほんだらぁ~・・・こんな感じでいいですかね?
だから、私だって韓国や中国でい・・・い・・犬が食用だと分かってても・・・
な・・・な・・なにもも・・・・・・も・・・・・・・・・文句など言わないのですよ・・・・・・・・・・・・・・・・。
こんな感じでいいですよねぇ?
景山民夫さんのエッセイに 「食わせろ!」 ってのがありまして、面白かったです。
前にアメリカ人とこの話をしたことがあります。
なぜ他に食べるものがいっぱいあるのに、わざわざいるかや鯨を食べるのか。
つか、その、他の食べるものの中に、鯨もいるかも入れないのはなぜか。
それは、鯨やいるかは頭がいいから、友達なんだ。
ここで絶句です。
差別意識ここに極まれりですよ。
残酷なことを言っていることに気付かない。
我こそが正義と信じて疑わないその態度。
ぞっとしました。
皆命を戴かなければ、自分の生命を繋げません。
生きていくことは過酷です。
己の命の下に、たくさんの犠牲があるのです。
それは、養殖できるからいい、野生だからダメ、とか
そんなくだらないカテゴリーとは関わりなく
毎日積み上げられていくのです。
「いただきます」
食事の前の挨拶は、その数多の命への祈りでもあります。
そんでもって、「家畜」は食うわけさ。
クジラが減ったのは、白人が「クジラのヒゲのコルセット」を作るために乱獲したからさ。
日本人は、感謝して、捨てるとこなく全て使ったし、「母子クジラ」は取らないし、
ほれ「クジラ神社」がその証拠。
感謝感謝なのさ。
白人的思考は、私は大嫌い。
それを人種差別というならば、「特性を差別視しています」といいます。
アホウドリだって、羽毛のために乱獲したでしょ、白人。
自分の汚点を、人に回すあの思考回路。
そろそろスポイルされていいんじゃない?白人的思考社会。
これ、話し出すと、もの凄く良い足りない気持ちになるね。
私は、「残酷」と言う言葉の本当の意味を、いつも探しています。