七夕の短冊に書きたい願い事
- カテゴリ:人生
- 2009/07/03 19:55:02
ねーよw
と、一言で済ましてしまうのも味気ないんで、まあ、適当に何か書く。
僕は形而上学的な見解述べると決定論者です。
願いを書いたってかなわないというか、かなうかどうか結果は変わらないというか。誰が願いを短冊に書くとかも、誰の願いがかなうかとかも、全部大昔からすでに決定済みのシナリオの一部。
量子論の示すところでは「世の中は確率的な挙動をしてる」っていうけども、あれは実は正確ではない。
正確に言うと、
・人が観測できる範囲では確率的な挙動になる
というだけ。
その事実からは、
1. 世の中は確率的な挙動をしている
2. 世の中は決定的な挙動をしているんだけど、観測は確率的にしか行えない
という2通りの哲学が生まれる。
で、僕は後者を支持する立場。
ちなみに、これは言いかえると、
1. 運命なんてそもそもない
2. 運命は決まってるんだけど、人間はそれを知ることも変えることもできない
ってことになります。
「ない」と「知ることも変えることもできない」は、科学的にはほぼ同義語なんで、どうでもいいレベルの話なんですけども。


























マッドなサイエンティストが偶然の事故を待てるかって話でw
>コスK さん
「見てないものは存在しない扱い」は正しいと思いますよ。
実験ってのは、自然現象をまず見えるようにすることですんで。
>すい。 さん
今を知り尽くせば未来も知り尽くしてることになるわけですけど、
今を知り尽くすってのが不可能なんですけどね。
量子論難しすぎですw
私が見てないものは存在してないことにしてますw
損傷部位がどのような機能を担っていたかを特定していたこともありますから、
脳の損傷とか、欠如とか、その辺からアプローチしてったんでしょうかねぇ
脳に電気刺激を与えてどのような映像が見えるかなんてのもやってますし
なんか、バグでときどきなるみたいですね。
1回着替えたら直るとかなんとか。
そうそう、ラプラスの魔です。
>ユエ。 さん
いやー、それはそれで、実証主義っていう科学の基本を考えると・・・
最初に、「人の思考は脳みそで行われてる」ってのを実証した人はどういう実験をしたんでしょうね。
しつもんいいですか?
友達のアバターの写真?ブログにコメするとでるアバターの顔が
?となってでないんです
なぜだかわかりますか?
いきなりそんな質問してスミマセン(>_<)
人間の認識や認知能力なんて、そんな感じで、
見たいように見るので、見たくないものは見えないでしょう。