【愛娘】
- カテゴリ:自作小説
- 2009/07/09 01:27:39
彼女と初めて会ったのは、もう十年以上前になる。「学院」の入学選抜委員の一人が、彼女だった。あとから彼女に聞いた話によると、入学選抜委員に加わったのは、亡くなった彼女の夫の代わりに、自分を補佐する魔法使いを探すため、とのことだった。
「無論、床を共にできる相手だから、という理由で選んだわけではないのよ?」
初めての仕事の後、「報酬の一部」と言って床を共にした後、彼女はそう言った。能力的には、要求水準を満たす学生は何人かいた、と知らされて、少なからずショックを受けたが、「報酬の一部」はそのショックを補って余りあるものだった。
彼女の妊娠を知らされたのは、彼女自身にそれが判ってから、間もなくの事だった。
「…産む気ですか?」
「当たり前でしょう。王族の女にはね、「金瞳」を生み出す、という義務が課せられているの」
彼女が言うには、王族の男性が「金瞳」を持つ子供を産ませることができる確率は、およそ三割。だが、王族の女性が「金瞳」を産む確率は九割以上、だという。
「だから、あなたが子どもなんかいらない、って言っても、産みますからね」
そして、生まれたテッサニアの肩には、しっかりと「金瞳」が刻まれていた。
だが、出産は困難を極めたので、「もう子供はつくらない」と言っていたのだが。
「公子のご生誕、おめでとうございます」
「…君がそれを言うのかね?」
ギレンス伯の耳には嫌味に聞こえただろうか?
「仕方がないでしょう。あの方が自分の子どもだって言い張って聞かないんですから。一人では作れないから協力は求めたけど、って」
「エレオノーラらしい言い分だな。…会いに行ってやるといい。サニアが張り付いている」
寝室に入ると、なるほどベビーベッドの傍らではテッサニアがじいっと赤ん坊の顔を眺めている。彼女の方は、というとベッドに横たわって、まどろんでいる。
「テッサニア、こんにちは」
「あ、テオ…じゃなかった、《ラピスラズリ》、いらっしゃい。ほら、赤ちゃんよ」
テッサニアには俺の名前を教えてある。ただし、秘密の名前だから、他の人のいるところでは、そう呼んではいけない、と言い聞かせて。
「うん、知ってる。だから、お祝いを言いに来たんだ。…それから、お母上も赤ちゃんも眠ってるようだから秘密の名前で構わない」
テッサニアが慌てて母親の方を窺う。
「ほんとだ」
「疲れたんだろうね」
こうしてまどろんでいる様子を見ると、疲労の色が濃いせいで、年齢を感じさせる。
「テオ。見てちょうだい。ここに金瞳があるの」
そう言ってテッサニアが赤ん坊の産着を開いて、わき腹のところを指し示す。そこにはテッサニアの親指の爪ほどの金色の目があった。
「この間、お兄様のところに生まれた赤ちゃんには、これが無くて、みんながっかりしてたけど…そんなに大事なの?」
「大事だよ。この国で、王位につけるのは、この金瞳がある人だけだからね」
テッサニアが開いた産着を元通りに戻しながら説明する。
「で、金瞳のある子は、金瞳のある親からしか生まれない。一旦金瞳の血統が途絶えてしまうと、その子孫には金瞳は二度と表れない」
「うーん…よくわかんない」
「…そうだね。まだ解らなくてもいいか。もう少し大きくなってからでも」
「あ、そうやってコドモ扱いするー」
だって、子どもだから、実際。
テッサニアが声を荒げたのに驚いたのか、赤ん坊が泣き声を上げる。
「コドモ扱いされた、って怒るのは、まだ子どもの印」
むずかる赤ん坊を抱き上げる。
「起きてもかわいいねぇ。ちっちゃい手。ほら」
「誰でも最初はこんなだよ。…ああ、サニアはもうちょっと貫禄あったかな。母上のおなかからなかなか出てきたがらなくて。出てくる時もさんざん抵抗して」
「そんな、覚えてないような事、言わなくてもいいでしょ、意地悪」
俺の意識の中で、テッサニアはずっと「愛娘」だった。
だから、彼女からテッサニアが俺の事を男性として意識していると聞かされ、ひどくうろたえてしまった。
「まあ、はしかのようなものだと思うけどね」
だが、テッサニアの「はしか」は、一向に治る気配が無く、最期の時を迎えてしまった。
「ねえ、テオ。…お願いがあるの。…キスして。大人の」
途切れかけた意識の中で、やっとその言葉を紡ぎだした、というのが解った。
さんざん逡巡した挙句、そっと唇をついばむことで、気持ちに折り合いをつけた。小さな、乾いた唇だった。
「テオ、困らせてごめんね。大好きだよ…パパ」
テッサニアが最後に触れ合わせた唇の動きだけで伝えてきた言葉だ。
これを伝えるためにキスをねだったのかと思うと、今も胸が苦しくなる。