Nicotto Town



真夏のオリオン

まず、この映画を気に入られてる方にごめんなさいっ!
私、この映画を褒めることができません;

観に行った動機は、お友達が先に観てブログで好意的に触れてらしたのと、調べてみたら、原作が『雷撃震度一九・五』だとあったことから。

『雷撃震度一九・五』は、むちゃくちゃ好きってほどではなくて、序盤は面白いのに、後半???となってしまって残念だったのだけど、どこか捨てられない魅力のある作品(小説)でした。
お腹壊して入院していた時に読んでいた(入院生活はめっさ暇なので)思い出(汗)の作品でもあります。

で、この、原作とされてる『雷撃震度一九・五』には、オリオンがどうとか出てなかったし、女っ気も全くなかったのに、それがヒロインがいるらしい、「真夏のオリオン」という全く印象の違うタイトルになったのは何故?
という疑問を、観る前に抱いていたのですが―――。

結論。

この映画をの原作を『雷撃震度一九・五』と掲げることは、『雷撃震度一九・五』への侮辱です。

もう全く!
全っ然!
違う話でしたっ!!
「映像化されたものと原作は別物として見なきゃね」レベルの違いではありません!
共通点の方が、探さなきゃ見つからないくらいに違うのです!

共通しているのは、太平洋戦争時の潜水艦の話であること、と、艦長の名前が「倉本」であることだけ。

艦の名前も違いました。

『雷撃震度一九・五』の主役艦はイ58。そう、77ではなかったんです。
私、記憶力が悪いもんで「イなんとかいったなー」くらいしか覚えてなかったーー;
太平洋戦争終戦直前に、インディアナポリスというアメリカの艦を、日本の潜水艦イ58が「撃沈」したという「実際にあったエピソード」を下敷きとした、半フィクションです。
半フィクションというのは、作者が「半分は史料に忠実に、半分は自分の想像力で書きました」的なことを潔くおっしゃってたから、こう呼びます。

77って数字はどこから来たんだろう。
「ダブルラッキーセブン」と言いたかっただけちゃうんか。

インディアナポリスというのは、原爆を運搬した艦で、小説では、三発目の原爆を運搬途中、イ58に沈められたことになってます。
つまり!本来の物語は、三発目の原爆の使用を阻止した話んだったんですよ!

これ、どっかで聞いたことあるような話ですね?史実ではなくてフィクションで聞いた気がしますね?
そう、『ローレライ』の設定に似てるんです。

そして、この三発目の原爆阻止という、超~~~重要なファクターは、映画では、まるっきり無かったことになってしまっています。

監修・脚色(?)がローレライの福井晴敏とは、偶然のなせる皮肉でしょうか?
いいや、そんなことはなかろう。と、思いますね。
仕事が舞い込んだきっかけが偶然であろうと、実際に引き受けるかは、福井晴敏の意思の問題ですもの。

どちらがパクリとかそういう糾弾をするつもりは無いんです。
『雷撃震度一九・五』巻末の参考資料の数を見ても、イ58とインディアナポリスの戦闘は、知る人ぞ知るもののようですから、複数の人間が同じ事件に取材した話を書いても不思議ではないのです。

許しがたいのは、片方を執筆した人間が、もう片方の存在を無かったことにしようとするかのごとき改竄です。

脚色?
脚色ってのは、土台にちょっと色付けする程度の行為です。
土台を完膚なきまでにぶち壊して跡地に自分が適当にでっちあげたものを持ってくる行為を「脚色」とは呼べません。

仮にも、創作に携わる人間が―――創作の苦しみを知っているはずの人間が、他人の創作物を辱めるなど、信じ難い暴挙ではありませんか。

しかも、パンフのインタビューにおいて福井晴敏は、『雷撃震度一九・五』に対する、一片の敬意も示していませんでした。
『雷撃震度一九・五』をどう評価するかは人それぞれでいいよ!
でも!
それじゃ、なんで!
自分がリスペクトできない作品に、関わったのっ!?

私は、福井晴敏の作品本体に触れたことはありません(映画化されたローレライを観たのみです)ので、彼の作品については評価不能ですが。
福井晴敏という人間は「イヤなヤツ」だと、今回の映画の件で確信しました。

『雷撃震度一九・五』は、長所もあれば欠点もある、完璧ではない作品です。
けれど、作者が、まちがいなく心血を注いで取材し書き上げた労作です。
こんな風に作品の尊厳が踏みにじられていい作品ではありません!

どこがどう全く違うのか。『雷撃震度一九・五』を未読の方は、ぜひ手にとって確かめてください。
著者は池上司、文春文庫から発行されています。

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