ネパール政府反発のなか、国連"紛争レポ...
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- 2012/10/09 22:31:19
ジュネーブに本部を持つ国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は10月8日、ネパールの10年間におよぶ紛争の間に起こった人権侵害に関する"ネパール紛争レポート"を公表した。
レポートはOHCHRを含めた国際人権機関やネパール国内の人権NGOが収集した6万におよぶ文書に基づいて作成されたものだ。
233ページにおよぶレポートは、"マオイスト"ことネパール共産党毛沢東主義派が1996年2月13日に反政府武装闘争を開始してから、2006年11月21日にネパール政府とマオイストの間で包括和平協定が成立するまでに起こった、約9,000におよぶ国際人権法と国際人道法に反する人権侵害のケースを記録している。
OHCHRによると、10年間におよぶマオイストの紛争中、政府側治安部隊とマオイストにより少なくとも13,000人が殺害され、1,300人がいまだに行方不明となっている。
OHCHRのレポートは重大な人権侵害のケースとして、殺害、違法に拘束されたあと行方不明となったケース、違法な逮捕、拷問、性的暴力を取り上げている。
殺害のケースは2001年11月に当時の国軍である王室ネパール軍がマオイスト掃討のために動員されたあと急増している。
レポートでは41のケースに関する詳細と分析が行われている。そのなかには、2005年6月にチタワン郡マリでマオイストが道路に仕掛けた爆弾によりバスに乗っていた一般人36人を含む39人が死亡したケースや、マオイストの人民裁判にかけられて殺害された女性のケース、2002年2月にマオイストがアチャム郡郡庁所在地を襲撃した4日後に、隣接するカリコット郡で飛行場建設をしていた労働者35人が国軍に拘束されて殺害されたケース、2003年8月の停戦中にラメチャップ郡で2人の一般人を含む19人が国軍に殺害されたケースなどが含まれる。
レポートはさらに、西ネパールのバルディヤ郡で最も多数の殺害と行方不明のケースが報告されているとし、国軍がタルーの人たちをねらって殺害したり拘束して行方不明としたと指摘している。
国連人権高等弁務官を務めるナバネセム・ピレイさんは8日、OHCHR本部で開かれた記者会見で、ネパールで包括和平協定が成立してから6年たつにもかかわらず、協定のなかで約された移行期の正義を取り扱うメカニズムがいまだに確立されていないと指摘した。
包括和平協定で、マオイストとネパール政府は紛争に関連した殺害や行方不明などのケースを調査し、被害者に正義をもたらす目的で"真実および和解委員会"と"行方不明調査委員会"を設置することを決めていたが、これらの委員会はいまだに発足していない。
さらにOHCHRは紛争中に犯された重大な人権侵害に関して、誰も相応の処罰を受けていないことについても懸念を示した。
それだけでなく、マオイストのバブラム・バッタライ首相が率いる政府は、紛争中にマオイストのリーダーや党員に対して起こされたさまざまな告訴を次々に撤回している。、10月4日には2003年に国軍兵舎に拘束されていた49人が行方不明となったケースに関わった主要人物とされているネパール軍のラジュ・バスネット大佐を准将に昇進させ、国内外の人権団体から非難を受けた。
OHCHRは2005年5月からネパールに事務所を置いていたが、2011年12月にネパール政府が同事務所の滞在期間延長を拒絶したことからネパール事務所を閉鎖した。
ネパール政府はOHCHRのレポートが一方的に作成されたもので、権限外の活動であるとして、レポートの公表に反対してきた。10月9日の英字紙カトマンズ・ポストによると、ナラヤン・カジ・シュレスタ外務大臣は8日、ヨーロッパの外交官に会い直前まで公表阻止を試みた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121009-00000000-asiap-int