いまさらエヴァンゲリオン
- カテゴリ:アニメ
- 2009/07/13 00:18:02
たまたま旧友と話して、なんというか驚いた。
その友人は、エヴァンゲリオンを知らないのはマズい、とは思うが、時代を共有しそこねているし、今更なぁ……とぼやいていた。
まぁ友人・知人にヲタがかった人間が多い(わたしも含めて)のもあって、エヴァが「共有言語」の位置にある、と感じるらしい。
とびとびにだがリアルタイムでTVシリーズを見ていた。
確かに面白かった、いろんな意味で。
序盤のシンジのウジウジっぷりは見ててしんどいが、逆にキャラクターに思い入れる人が多いのかなぁ、とか、ロボットアニメというより特撮怪獣物っぽいなぁ、とか。
終盤、あんまりなアスカに、そういえばGAINAXはオネアミスでもナディアでも女性キャラかくのが下手だったよな〜と思い返したり(ナディアは態度があんまりで我慢できず、最初の方でギブアップした)。
何にせよこれで、(語句が使われているだけなのだが)コードウェイナー・スミスの〈人類補完機構〉シリーズに興味を持つ人が増えないかなぁ、と考えていた。
終盤、制作が切羽詰まってきた様子が見て取れ、その上決着をつけるには時間が足りないよなと、思っていたら……
はい、あの最終二話がやって来ました。
「なんかなつかしい感じ。大学の映研の自主制作映画にありそうな」
「嫌いじゃないけどね~」
「久しぶりにイデオンのラストを思い出した」
「『その時、イデは発動したのかもしれない』? w」
周囲と生暖かく面白がりつつ、「やっちゃったなぁ~」と話した憶えがある。
あの後、放送局の電話が苦情電話でパンクしたとか。
最終回の三十分ほど後に庵野監督に宮崎駿から
「半年ぐらい何も仕事しないで休ませてもらえ。休ませてくれないような会社なら、止めてしまえ!」
という電話がかかってきた、という話も。
一緒に仕事した若手の作品、何だかんだ言いつつ見ているのだろう。
アニメーションの監督は暴君じゃなきゃやってけない、みたいに言われるけど(有名な人には確かに妙な逸話が多い)、心配して電話入れるあたり、周囲から見て魅力的な暴君、なんだろう。
あのラストに切れて叩きまくる人、逆に信仰するみたいに過剰に持ち上げる人、双方そこまで思い入れんでも、と少々気味が悪かった。
最終話は「自己の肯定」にも見えるけど、でもそれでいいのかと胃の腑が冷える。
大体最終回タイトルがアレだ。
滴るような悪意を感じる。
余談だが、このエヴァの最終回タイトルから、題名を本歌取りた恋愛小説に、「少年は犬を愛するものさ」とつぶやいてしまった。
元ネタを知らずに編集さんがつけたらしいが、正直呆れた。
おなじ「やっちゃった……」作品でも、さっき名前を出した『伝説巨神イデオン』は紛う事なき打ち切りだし、劇場版では物語としての結構はついていた。
実は総員……だし、監督は裏で「あいつらは結局同じことを繰り返す」と言ったらしい、よく考えると酷い・暗いが、表面ではぎりぎりエンタテインメントだったと思う(異論は認めるw)
同じように暗い展望しか持てないのに、むりやりハッピーエンドに見えなくもない話を作ったみたいな据わりの悪さ・しんどさを『もののけ姫』に感じた。
逆に言えば、それぞれに深刻な物を抱いていても、作品の作り手はエンタテインメントとして(そして希望をもてる物語として)成立させるべく踏ん張っているのだろう。
マスを相手にする商売でもあるアニメ制作でブチ切れてどうするよ、と思うものの、「気持ち悪い……」状況だったのかなぁ、と気の毒でもある。
ただ、迷惑がかかるのは作品を認めた出版社と覚悟を決めた本人だけの純文等と商業アニメは立ち位置が違う。
資金を集めて共同作業するアニメーションは、ある意味娯楽として消費し尽くす視聴者と共犯だ。
作家意識だけに走って見る側がポカーンとする物が出来ると、下手すりゃスタッフ一同食い詰める。
逆にウケだけ考えるとロクでもない代物になるだろう。
たとえ素晴らしい作品を作ってもペイしなければ続けられないのが仕事としての物作り、作り手の内側をどの程度出して、どれくらい受け手を意識するか、難しそうだなぁ、と他人事ながら思う。
やらかして次に機会を与えられるのだから、技量かねぇ、と感心するが、そういつも運がいいとは限らない。
今度の劇場版はどうなるのだろう? 大人の対応かなぁ、それとも……と、警戒しながら楽しみにしている。
しかし、これって純粋に作品を楽しむ姿勢では、ないよなぁ……
ポストエヴァを感じるアニメってとっても多いです。
まんま引きずってるなぁ、と思えるのから(『ラーゼフォン』とか。知人は「最初から劇場版のつくりでTVもやりゃいいのに」とブツブツ)、そう言う流れじゃなかった(と見る側は思ってた)のに、終盤に「エヴァ?」「人類補完計画かよ」とネット上で突っ込まれてたもの(わたしもTVの前で、主人公の父に「ゲンドウかい」と)まで。
ノエインはエヴァの影響下で生まれたセカイ系扱いされているけど、むしろ(少なくとも旧エヴァとは)テーマ的に真反対、子どもへの大人たちの対応も、厳しさも、優しさの面でも逆じゃないかと。
おかげさまでアレコレ考えたのが面白かったのですけど、そも作品を知ってる人が少ないw
エヴァについて書こうと検索したら、『オネアミスの翼 王立宇宙軍』の制作中止になった続編『蒼きウル』の要素がエヴァに取り込まれている、との記述を見つけてびっくり。
オネアミス、好きな作品なんだけど、エヴァとはずいぶん違うんで。
意外な繋がりってあるものなんですね〜。
最初に思ったような父子関係の葛藤は描かれないなぁと途中であきらめたよなぁ~
ノエイン、興味が出てきたかも?
種がまかれたって感じ?発芽するかどうかは、今後の環境次第かな?
でも、ここでのいろいろな交流で、すぐ発芽するものも、
なかなか発芽しないものも含めて
交流が面白いなぁと思う
(もともとの、フロイトの提示した狭義のではなく、もうすこしゆるく関係性について考えてます)
エディプスコンプレックスでいう父殺し、そんなものだと折り合う、存在を赦す、ゆえに乗り越えられる場合もあるけど、今までのエヴァだと父と子の距離が遠すぎて、そんな関係性さえない、というか……
距離を置いたままの父親を見限る意志を持ちそうもないシンちゃんにイライラしてました。
被害者意識を垂れ流す暇に、自衛のために闘えんのか!
やたら「ハリネズミのジレンマ」と言ってた気がするけど、おなかを向けあって抱きしめあえばお互い守りあえるのにと思ったり。
やわらかくて、一番危険なおなかを見せられる相手を見極められるか、そんな相手ができるか、が問題なんでしょうが……
ここでアレコレ考えて、ノエインに出てくる子どもたちと保護者役との関係性の状況で、子どもたちの状況が激変してるのに気付いて面白がってたんだけど(離れているか、一緒に住んでるか、親であるのか、より信頼・理解する保護者役がいるかが問題で)、ネタバレ必須なのが口惜しい。
エヴァの影響も感じる、でも珍しいほどオリジナリティを感じる作品なんです、ノエインって。
結局レイの選択によって父が淘汰されたので、父殺しという意味では・・・
TV版と過去の劇場版、今回の劇場版とみてきましたが、過去のエヴァって、人を育てるというより利用するという社会人のような欲求が、元にある感じですよね。成長ものではないなぁと実感します。
今回の4部作は、そういう意味では、前作とは雰囲気が微妙に違う気がします。
フェミニスティックな視点で称揚する評論も読みましたが、どうも頷けません。
母性原理による(とされている)ものは軽視され、しかし父性を感じさせるものもマイナス面が目立つし。
ノエイン(すみません、好きなんで)で、父親の影の薄いユウがやはり切羽詰まっていたのを思い浮かべたり。
まるっきりエディプスコンプレックスでいう父親の役回り(保護者、大切な存在と共にある・超えるべき存在)をする人物が登場するから、というのもあるのですが……
その人物のことを考えると、ゲンドウは無理でも痩せ我慢でも、ちゃんと“父親”していたらすこしは救われたのかも、とか思ったり。
“親“の役割をする側も、守り助けること、慈しむこと、背中を見せることで、癒され、育ち、得られるものがあるのだ、と思えます。
さくら+さん
TVシリーズは、良くも悪くも時代の要請に応えた作品だったようにも思えます。
新劇場版は、放送された序だけ見てもTVや旧劇場版とは微妙に空気が違います。
ただ、どうも旧作を念頭に置いた上の新展開、をやりたいみたいにも見えます。
どうするか、友人がこぼしていたようについて行く方は大変かもしれません。
*レイン*さん
いらせられませ。
さすがにGAINAXに在る人(みたいな並外れたヲタクに)にンなこと言われるのは嫌だw
フィクションに関わる姿勢、楽しむ姿勢、距離の取り方を考えろや、ってことだと思いました。
Vガンは当時無茶に忙しくて、まるきり縁がなかった珍しいトミノガンダムです。
余裕が出来たら見てみたいです。
ながつきさん
コードウェイナー・スミスとエリスンの『世界の中心で愛を叫んだけもの』に復刊がかかったから他のことはすべて許す、と公言したSFファンがいましたねぇ。
わずかですが恩恵はあったかもしれませんw
ハープさん
いや、当時放送を見ている分には抜群に面白かったです(特に個人的に中盤)。
当時のグタグタも不測の事態のせいもあったと聞いたし。
で、新作映画も序は純粋に作品として面白かったし、破の評判も上々です。
ただ、当時やっぱりモノガタリ(を作る自分の、なのかも)の力を信じ切れずにメタに逃げた、ようにも見えるのでまたブチ切れるかも、と思ってしまったり。
それはそれで面白いけど、モノガタリとしての帰着は見ることはできるのか、と考えてしまいます。
けど面白い映画なら見入ってしまうものだから、単純に映画のほうが客を純粋に楽しませる力がない のじゃないかなと思ったりまします
それかやっぱりゴチャゴチャ考えて見てしまうのは童心がなくなったからなんだろうか?と聞いてみる
ゴチャゴチャ考えて見てしまう映画もちらほらあるのです
大ブームのころ本屋で、エヴァの女子キャラについて私には理解できない内容の会話を
アツク交わしていたソレ系のお兄さんたちの一人が、アニメ雑誌数冊といっしょに、
ノーストリリアを手に持っていたのを目撃しました。稀なケース?
その後、未邦訳は放置されたままのようだし、あまり恩恵はなかったてことでしょうか。
という意味でのラストだったと感じています。
舞台裏を含めて楽しむという意味では、Vガンもかなり面白いです。
シュラク隊のエピソードが有名ですね・・・。
この前、深夜にテレビ版を放送しているのを見ましたが、時間が時間だけに…。
そのうち、劇場版一作を借りてきて、見てみたいと思います。
それにしても、序・破とくれば、次は当然、急(Qみたいですが)ですが。
4作目はどうするのでしょう?ふつうは、序・破・急で一つの形ですので。
で、最終話までみて、呆然~
今、レンタルで前の劇場版を借りているので、
本来の最終話らしいそっちもそのうちにみる予定です。
本当に、女性が男に振り回されていて、
登場人物の女性たち頭はいいのかもしれないけど
アスカの台詞を決め台詞を言いたくなる
なんであんな女性しか出てこないの?と思ってしまう
そのあたりが不満!