イランの覇権主義との闘争の表明
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- 2012/11/01 19:54:17
イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師が、31日水曜、イラン暦アーバーン月13日のイランの"覇権主義との闘争の日"を前に、数千人の大学生や生徒を前に演説し、イラン国民に対するアメリカの度重なる敗北、失敗について触れました。ハーメネイー師は、異なる年のこの日に起こった、3つの重要な出来事を挙げました。その3つの出来事とは、1964年11月4日、イスラム革命の指導者ホメイニー師が、当時のイランの独裁王政との闘争を理由に、トルコに追放されたこと、そして1978年11月4日、大学生や生徒たちが王政の傭兵の攻撃を受けたこと、そして1979年11月4日、革命を支持するイスラム教徒の大学生たちが、テヘランにあるアメリカ大使館を占拠したことです。
在テヘラン・アメリカ大使館の占拠は、外交施設であるはずのこの大使館が、実はイスラム革命に対するアメリカの陰謀やスパイ活動のための拠点になっていたために起こった出来事です。そのため、この歴史的な出来事の後、在テヘラン・アメリカ大使館は、"スパイの巣窟"と呼ばれるようになりました。ハーメネイー師が挙げた3つの事件は、アメリカ政府のイラン国民に対する明らかな敵対を示しています。イスラム革命の勝利は、イランに対するアメリカの支配を終わらせはしたものの、彼らのイラン国民に対する敵対を終わらせたわけではありませんでした。イスラム革命が勝利した1979年2月以来、アメリカは、イランへの支配を復活させようと全力を尽くしてきました。しかし、アメリカに従属したパフラヴィー政権の崩壊、イランでのアメリカの敗北は、単なる一過性の出来事ではなく、イスラム革命の勝利によって、アメリカはその後、中東政策の失敗やその中での敗北を繰り返すことになりました。中東・北アフリカ諸国でのイスラムの目覚め、一部ペルシャ湾岸諸国での国民の正当な要求の叫び、これらは、イランのパフラヴィー政権とそれを支持するアメリカに対するイラン国民の勝利から生まれたものです。ハーメネイー師はこれについて、「アメリカは、過去30年の間に、世界的な評判と権力の点で、30ランク以上も低下している」と語りました。アメリカとその同盟国は、イラン国民に対する敵対を続け、核問題だけでなく、人権やテロに関しても、イランに不利な主張を行っています。しかし、こうしたアメリカの主張は、時の経過の中で、影響力を失っています。アメリカは、イランの反体制派テロ組織モナーフェギンのテロ指定を解除し、このグループを支援しています。また、アフガニスタンやパキスタンの人々を殺害するタリバンと、ひそかに会談を行っています。さらに、西側や地域の同盟国と協力し、テロ組織アルカイダのメンバーを集め、シリアに送り、この国の政府軍や市民を大量に殺害させています。そのようなアメリカ政府に、世界を率い、テロ対策を主張する資格はありません。アメリカは、次期大統領選挙の行方を、シオニスト政権の指導部の要請に沿わせており、そのこと自体、アメリカの政治家が主張する価値や原則の喪失を示しています。ハーメネイー師は、今回の演説で、そのことに触れ、「アメリカの大統領選挙の候補者が、討論会で、シオニストに対する忠誠を証明するために競い合うことほど、醜いものはない。アメリカ国民は、シオニスト政権に捕らわれた状態になっている」と語りました。
http://japanese.irib.ir/news/commentaries/item/32886-%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%81%AE%E8%A6%87%E6%A8%A9%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%97%98%E4%BA%89%E3%81%AE%E6%97%A5%E3%81%AB%E9%9A%9B%E3%81%97%E3%81%9F%E6%9C%80%E9%AB%98%E6%8C%87%E5%B0%8E%E8%80%85%E3%81%AE%E8%A1%A8%E6%98%8E