お題ブログ「友だちに感謝したいこと」
- カテゴリ:友人
- 2012/11/05 17:13:55
まあ、なんと今の私にぴったりな
もう はまりすぎの感のあるお題でしょうか
『人生の嵐にあうと
そのとき 本当に誰が自分の友だちなのかがわかる』とか
『私たちは 友達を失うのではない、
時がたてば 誰がほんものの友だちだったかがわかる』とか
この数ヶ月 そういうアフォリズムを いっぱい目にしました。
今年の夏前ぐらいから たてつづけに、
ちょっとした暴風雨?にあいました。
ちょっとした暴風雨?にあいました。
嵐のときに去っていく人もいましたが
全然 思いもよらなかった人が 友だちとして
手を差し伸べてくれたりしました。
それから、ふだんから ここや ほかで 仲良くしていたひとたちが
本当に親身になって 支えてくれました。
そういう友だちもまた、それぞれの嵐にあったり
船が沈まないように 苦戦中だったり。
なのに、私の危機に際して、精一杯手を伸ばしてくれる。
ほんとに、ありがたくて。
『友だちは、血縁によらない、私たちが自分の意思で選んだ《家族》』
という言葉もありました。
そういうことなら、私には ほんとうに 大きな大きな家族がいるんだなぁ・・・
物理的距離は 問題じゃなくて。
実際に会って話せなくても
肉声を聞けなくても。
そういうことは 問題じゃなくて。
振り返れば、子供の頃や思春期、青年期は
あまりひとづきあいは 得意ではないという自覚がありました。
まじめすぎる、とか なんか そんなことで
人を楽しませるような会話もできなかったし。
いつのころから かわったのかなあ・・・・
今でも、うわべだけの付き合いとか、社交辞令は苦手中の苦手で
そういうの、言おうとしたら へたくその役者が台詞棒読みしてるようになりますが
なるべく そういうことから 遠ざかって
自分らしくつきあえる人との時間を大切にしていきたいなあ、これからも。
そう、私もそう思うんだ。物理的距離のことだけじゃない、っていう
むしろ私にとっては 心理的距離かな。
血のつながりがあって こじれると 確かにどうしようもなくなるねー・・・
紫ちゃん、人付き合い苦手なのかー
でも、紫ちゃんと友だちづきあいしたいひとは、たくさんいそうだなあ^^
付き合いの幅は・・・・・広がらなくてもええかあ・・・・ とか 思う私^^;
無理に広げなくても、必要なら広がるしなー・・・・とか・・・ 怠惰??
これは、友達づきあいの場合ね。仕事だとそうもいってられないけど・・・
相手にとって嬉しいことがどうか、って 考えて躊躇する
これって 大切なことだと思うよ。
私もよくあるけど・・・
でもだからこそ、紫ちゃんが行動にでるときは、熟慮した上でのことだって知ってるよ^^
言葉と言葉で。ほんと、そうね^^
いつも、ありがとう^^
物理的な距離の事だけじゃないような気がするこの言葉。
なまじ血のつながりある方が拗れるとどうしようもなくなったりもするしなぁ。。
わっちは昔も今も人付き合い苦手で、自分が付き合いづらいタイプの人とはなるべく関わりたくないヘタレですが、でもそれじゃ幅が広がらないんだろうなーなんてことも最近思うようになり。
とはいっても幅広げる努力まではたどり着いていないのですけどw
お友達がしんどくて、何か自分に出来ることがあるのならしたいなと思うんだけど
それが相手が嬉しい事かどうかなんて事も考えてしまってなかなか踏み出せなくなったり・・
なーんてw考えすぎはいくないかw
自然に、言葉と言葉で居心地のいい関係が作れるのが友達なのかなーと思ったりします。
自分らしく。ほんとそうですね^^
血縁との精神的つながりが強い人たちには
想像しにくいことなんだろうけど
そのおかげで、より大きな「家族」に恵まれたんだと思う^^
血のつながりをあまりに重要視する人たちには
私のこういう考え方そのものが、侮辱に思えることもあるらしいから
話す相手は選ばないといけないんだろうけどね^^(そのわりには、このブログ全体公開にしてしまったわ)
自分で選ぶ、または 相手から選ばれた友人・パートナーが
より貴重に思えるのは、それが「あってあたりまえ」ではないことが はっきりしてるからかもね^^
自分自身の鏡、うん、なんとなく解る気がする^^
誠実なつきあいが やっぱり大切よね^^
自ら選ぶ友人、パートナーは、
たまたま血縁関係で結ばれた人たちよりも
重要、というか・・・
言葉にならないけど、自分自身の鏡でもある気もする。
大切なのは、社交的だけの付き合いじゃなくって
真摯な、誠実な、心からの付き合いを続けていくことなんやねー
それで、そんな人たちが、自分の周りに多くなっていけば
人生をより幸せにしてくれるんかなー ^^