展覧会の想い出
- カテゴリ:学校
- 2012/11/17 20:24:32
背景のイチョウ並木、綺麗ですね。
実家をひきはらってから、神戸の街が遠くなりました。
特別用がないので、行かなくなっちゃった。
三宮行きの阪急電車に乗ると
王子公園を過ぎたあたりから街路樹がイチョウ並木なんです。
黄色くなっている頃かな。
僅かの時間だけれど
車窓を楽しめるんです。
神戸は山も近いから、山装う、
こんもりと秋色のパラダイス。
ちょっと一息ついたから、来週あたり行ってこようかな。
展覧会ですね。
学校の。
絵はそこそこだったんです。
特選はなかったけれど
毎回、佳作や入賞はしていて
賞状が溜まっていました。
中学の時は、美術の先生に
色彩感覚がいいから、美術専門の高校に進んでみてはと
言われたことが、実は悲しかった。
うちの経済力じゃとてもとても私学なんて、だったから。
大人になって、デッサン力が足りなかったと
気が付きました。
本当に好きならもっと頑張っただろうにね。
十代半ばで父と暮らせない状態になって
家を出ました。
父が亡くなって、暮らした部屋を片付けた時
わたしたちの写真は一枚もありませんでした。
写真を持って出なかったから
幼いころの自分の写真は欲しかったんですね。
押し入れの隅に
くるくると束ねられた賞状が出てきました。
わたしが絵の展覧会で取った賞状でした。
大事にしていたのか、
とても綺麗なままでした。
なんとなく書いたら、とれてしまったので
特別な思い入れはなかったんです。
どんな絵を描いていたのか忘れてしまったし。
写真は処分しても
賞状は残したんですね。
そんなことを、思い出しました。
当時は何も考えず、目の前のことばかりに追われて
生きていましたもんね。
振り返ると思い出も大切な財産であるというのを
気付くのはずっと後のことです。
記憶も鮮明なもの以外は忘れていきます。
忘れることも、優しい友ではありますが
確かな手触りや映像、文字などで
蘇るものもあるでしょうね。
過ぎてしまえば、だいたいはなんとか
収まりがついてくるものですね。
学校は、たぶんね、それはすべていい訳で
本当にやりたかったら、どんな形でも自分で
やっていっているはずだから^^;
遺品って、そうなんだかいろいろ思ってしまいますね。
心残りがあるからでしょうね。
その時期に処分できなかったのなら
何らかの意味があるのかもしれませんね。
ひまわりさんがアルバイトして学校の資金をためて
一生懸命に勉強してとった資格の証書
大切に持っていてあげてね。
いろんな所に暮らしていたんですね。
六甲やケーブル、長い事行っていません^^;
でも、あの山並みは変わらず、そこにありますよ。
王子動物園も昔ながらのままです。
阪神パークも宝塚ファミリーランドも消えたから
王子動物園だけが、ちびっこの遊園地も兼ねてますね。
ちょっと寂しいけど。
今となっては何も分からなくなってしまいました。
父との良い思い出は数少ないので
のちに思い返して愕然としたことがあります。
たぶん人は一番戻りたかった幸せな時期を
追い求めて生きるものかもしれません。
父にとっての幸せで忘れたくない時期は
わたしが生まれるずっとずっと前だったような気がします。
実の成る木って雌雄があるみたいですね。
花は咲くのに実がならないってありますもんね。
イチョウが色付く時期になると
下でウロウロしている人がいますw
いろいろと想像する臭いですからね~。
この間、串カツで頂きました。
美味なり♪
御堂筋ですね~!
混雑気味の商店街を避けて
ビルの下に街路樹が並び立つ
御堂筋の鋪道を歩けば、秋色ですね。
長い事歩いていない気がします^^;
絵はきっと、たぶん、誰でも描けるものかもしれませんよ。
それぞれの味があるような気がします。
それとも造形が得意だったりするのかな。
自分を捨てたと思ったのでしょうか。
何もかも分からずじまいです。
昔の人だから賞状は特別に感じていたのかもしれませんね。
ずいぶん昔の写真は残っていたんですよ。
出征した時や、南の島や戦友
最初に結婚した相手や、若くして死んだ兄の写真は
持ち歩いていたんです。
人はきっと一番戻りたかった時代を
懐かしみながら生きるものなのかもしれません。
震災等でね、過去が消えてしまった家族が
たくさんあり、哀しくも思うんです。
どんな写真でも過ぎてしまえば思い出として
懐かしく振りかえれる時期が来るような気がするんです。
もし、機会があればお母さんとたまには
写真を撮ってみて。
さりげなくでいいから。
「山装う」良い言葉ですね。
日本人の古のセンスに感動します。
過去は変えられないとわかっているのに
思い出を探してしまう・・・少しでも良い思い出を・・・?
私も小中学校の弁論大会で準優勝した原稿や作文を
前の家に置いてきちゃいました。
親父が事情に失敗して借金のカタに取られた家は壊されて
跡形もありません。
写真が無いのは寂しいことだけど、せめて良い思い出が
多く残りますように・・・。
お金が無くても進学できる制度が充実してたら良いのにね!
賞状では無いんですが、妻の看護学校の修了証とかあるんですよね・・・。
そっちでも必要だろって、棺に入れてやれば良かったのかもなぁ。
姐さんの父上のものも含めて
遺品って何だか切ないっすねぇ><
王子公園のイチョウ並木はあんまり記憶ないですが
六甲とか摩耶ケーブルとか星の駅とか、ちょっと記憶がw
でも、自分の娘がいた証として、何かをとっておきたのかもしれません。
生々しく見える写真より、オブラートに包んだようにして、
綺麗な思い出だけを自分の中に残したかったんでしょうね。
銀杏て実はあんなに臭いのに、中の種は美味しいよね~
最初に食べた人、偉いw
お父様にとって手毬さん自慢の娘さんだったんだろうな~
御堂筋ですねw
来週末、また大阪行きますので、歩いてみようかしら。
でも、もう散ってますよねーw
顔が見える写真は、やりきれずにエイ!と処分してしまい
気配が残る賞状は、思いきれずに大事に残してしまう。
ちょっと切なくなってしまいました・・・
まぁ、私も写真撮るのは好きでも撮られるのは抵抗があったりするので・・・・・・・・・・
私の父が亡くなったのは私が21歳の時でした。
父親も写真が嫌いで撮影したのが無かったので遺影を作るのに苦労した記憶があります。