あのね、
- カテゴリ:その他
- 2012/11/18 07:21:51
きっとわたしは寂しいんだと思う
寂しがっている他人のことを
精一杯無我夢中一生懸命誠心誠意小馬鹿にしながら、見下しながら、
自分自身がどうしようもなくあの子達と同類だ、ということを自覚してしまっている
過去の水の美味しさを思いだして嘆きながら
他人のグラスの水が自分のよりも澄んでいるように見えて妬む日々
醜いなぁ、とは思っているけれど
変わりたい、と願ってはいるけれど
気味が悪いくらいに停滞しか出来なくて
あーぁ。
頑張っているふりなんてもの、とっくの昔に飽きてしまった
けれど現在、これの他に何をしていいのかわからないのです
お久しぶりです。
受験、おつかれさまでした。
今まで来ることができなかった分これから挽回していきますねー。
読みに来てくれて、本当にありがとうございます!
ん。すこしわかります。
自分の場合は、始めは常識にあこがれて、それについていこうと必死になって
でもそれじゃあつまらないということに気がついて、回れ右して逃げ出して
必死になって離れようと走ったら地球一周、元の位置に戻った感じです。
がんばることが苦じゃなくて
がんばらないことは楽だと感じて
がんばり続けないことは居心地悪くて。
感情を誤魔化すぶんにはがんばってもがんばんなくても支障はないけど
がんばんない自分は格好悪いから自分で認めらることはできない。
自分を自分で認めることってきっと誰もが望んでいることで
それができそうにないがんばんない行為は、人間にとって生ぬるい苦痛になるんじゃないのかな。
そのスイッチは、わたしのなかにもあります。
スイッチていうか、フィルターかな。
具体的にいうと眼鏡みたいなイメージ。
わたしがこの前考えたことは
¢yanさんの考えとは逆に、そのめがねをかけるとなにも見えなくなるの。
度があっていなくて、世界がぼやけて、何を考えていいのか判別できなくなる。
てゆかね、結論。
わたしたちは、鈍感になりたくないんだと思うよ。
愚鈍になりたくないんだとおもうよ。
考えることが好きで、考えるのを止めてしまうのが単純に嫌なの。
他の人にとっては面倒くさいことかもなんだけど
それを面倒だと思えない自分を大切にしていきたいんだ。
だからスイッチは切らないし
自分の目で世界を見たいとおもうんです。
結局、最終的に横暴な自分論を展開してしまいました、
¢yanさんの思想とずれていたら、ごめんなさい。
記事に的外れなコメントだとしても
いつも興味深いコメントを残してくれるし
わたしもそれについて考えたり共感したりできるので
本当に楽しいです。
いつも、ありいがとうございます。
受験、おわりました
最近は、あんまりきてないみたいだけど、
また、読みにくるね!
紫露ちゃんが考えていたようなこと、
わたしもちょっと考えてました
常識なら謳う必要がない
っていいながら、わたしが一番忌んでいた筈の常識に侵されてる
みたいな
がんばらないふりもがんばってるふりも
全部一緒なくらい変わらなくできるけど
ほんとになにもやらなくなると、それはそれですごくつらいことだから
だからわたしは、そういう、辛いのスイッチを切らないでいようと思いましたw
…うーん、なんか意味不明…
自分のなかにスイッチがあって、それを切ると、辛いとかうれしいとか振り切れた感情を
当たり前で起こりうる、どうでもいいこと
に変えちゃうかんじだったんだよね
しろちゃんがかんじていることと、もしかしたらぜんぜん的外れなのかもしれないけれど
なんだか言ってみたくなってながあくコメントしてしまいました
また、いつかねっ
お話できるのを、楽しみにしてます