くりすます
- カテゴリ:日記
- 2012/12/24 06:30:27
キリスト教の預言者ジーザスクライストが生まれた日を祝っているのだと知って以来、この日を祝うことにものすごい違和感を感じるようになりました。
仏教でさえ信じてはおりませんが、ゴータマシッタルーダの誕生日をこんな風に祝う人はいないでしょう。
私は小さくなって(元来ちびです。)怯えるようにこの日を過ごします。
キリスト教の預言者ジーザスクライストが生まれた日を祝っているのだと知って以来、この日を祝うことにものすごい違和感を感じるようになりました。
仏教でさえ信じてはおりませんが、ゴータマシッタルーダの誕生日をこんな風に祝う人はいないでしょう。
私は小さくなって(元来ちびです。)怯えるようにこの日を過ごします。
私はカトリック信者です(ギョーッでしょ)
さまざまな文献から、この日がキリストの誕生日ではないことや、
西暦はキリスト誕生からカウントされて、来年2013年ですが、
実際はもっと早く生まれていたこと、妻帯者であった可能性など、
現代の科学でわかりつつある事が知らされています。
世界中がクリスマスを祝う大事な意味は「人類の平和、世界の平和」なのです。
たまたまキリストが象徴となってますが、誰でもいいように思います。
起源前の世界は、人の命を軽んじて残虐と独裁がはびこる世界だったところへ、
キリストが人権(人命)尊重の思想を自らの命に変えて、後世に伝えたことが、
歴史上の人物であり、宗教になっています。
キリスト教にもいろいろありますが(省略)
四世紀頃、東ローマの聖職者ニコラオスが貧しい家に、靴下に金貨を入れて屋根に
投げて施しをしていた事や、無実の罪の人を救った功績により、後に聖人となり、
セントニコラウス→サンタクロースの存在が今日に至ります。
実は、カトリック信者にとっては、クリスマスよりも、
イースター(キリストが処刑された日)の方が大事な日なのです。
キリストの死の意味を受け止めて、日々の生活に生かしていく(汗…)
私は敬虔な信者ではないので。
ローマのバチカンでは、常に世界の宗教の人達を招いて、平和への祈りが行われています。
なので、総持寺さんではお坊様に出会うと合掌するし、お堂で手をあわせて祈ります。
「おまえは邪道だ」と言う声は聞こえないので、信仰は異なっても、
死者を敬ったり、誕生を喜んだり、平和を願ったりに宗教の隔たりなんて無いと勝ってに思ってます。
長くなりました。
ひろしさんに、ステキなクリスマスが訪れますように祈ります