「契約の龍」(83)
- カテゴリ:自作小説
- 2009/07/21 22:53:13
もちろんクリスはそれを見逃さなかった。
「だめですよ。私は「控え」って言ったでしょ?これは正本じゃありませんか」と教育的指導を入れた。
「えっ…」と絶句した医師は、今手渡した処方箋を取り返して、あわてて新しい用箋にそれを書き写し始めた。
「クリス…ちょっと性格悪くないか?」
「私は親切で言ったんだよ?念のために処方箋がほしいのは事実だし。正本を渡してくれた方が私としては助かるけど、それじゃあこの人があのおっかない先生に叱られるだろうから」
「…おっかない?」
天下無敵のクリスが、おっかないと評するなんて、どんな医者だ。
「ああ、アレクは見てないんだったね。…ところで、こっち側の手、アレクやってくれないかなあ?自分でやると、つい引っ掻いちゃいそうだし」
「…処方箋を写してる間に?」
「そう」 …本当に性格が悪い。
溜め息をついて、上着を脱ぎ、椅子の背にかける。
「あっちが先に終ったら、どうするんだ?」シャツの袖をまくりあげながら、クリスに確認する。
「どうもしない。写すのをただ待ってるよりはいいかなあ、と思って」
時間つぶしですか。まあ、処置してある場所が多い方が、クリスが後々楽なのは確かだ。手始めに、洗面器の水で手を洗う。ついでに、その中を漂っていたガーゼをたたみなおして、軽く絞る。
「…じゃあ、そっちの手、出して」
差し出されたクリスの手をとって、袖を肩までまくり上げ、赤くなっている部分を全部出す。肘の内側の所が服でこすれたのかかすかに体液がにじみだしている。示したガーゼで拭うと、案の定しみるのか、かすかに顔をしかめる。
「ちょっとひと手間がいるな、これは」
「…だね。でも、急がなくていいから」
目分量で取った薬がちょっと少なくて、二度手間になったので、薬を塗り終わったときには、クリスが空いた手に持った処方箋をひらひらさせて、インクを乾かしていた。
「大義であったぞよ。褒美をとらせよう」
「……褒美って、その処方箋の事じゃないのか?」
「ノリが悪いなあ、アレク」
「そういう悪ふざけの小芝居やってる暇があったら、ちゃんとお礼を言って。手間かけさせたんだから」
「はあい。…お手数をおかけいたしまして、どうも済みませんでした。…あの、お手数ついでに、ここで使った分の軟膏、補充していただけると助かるんですが」
「あ、はい」
弾かれたように立ち上がり、テーブルの上の瓶を持って、部屋の隅にある棚の方へ向かう。
「おやおや。補充の分も、しっかり代金は頂くからね」
部屋の奥の方から、笑いをこらえるような声がした。声のする方を見ると、白衣を着た年配の女性が苦笑しながらこちらを見ている。これが「おっかない先生」だろうか?
「メルア。この青年の手さばきを見たかね?おまえよりよっぽど手際がいいよ。たぶん、お嬢ちゃんも同程度には使えるんだろ?」
「手際はどうだか分りませんが、場数だけは踏んでます。ていねいさをいくらか犠牲にしてでも数をこなす、というのだったら、勝てるかもしれません」
負けず嫌いだなあ。
「…だそうだよ。それでもおまえはご新規全員に説明の時間をとるのかね?」
「…それは…それが基本ですから…」
消え入りそうな声が棚の向こうから聞こえる。
「基本が悪いとは言わないけどねえ…せめて相手の様子は確認なさい。「これと同じ薬を」って来た患者さんにまで使い方の説明をする必要はないでしょう?」
うわ。融通が利かないにもほどがある。
「…はい…そこは反省しています…」
メルア、と呼ばれた女性が、補充した薬を持って戻ってきた。おっかない先生が横に並んで立つ。
「手間をとらせて申し訳ない。ここにはいつまで滞在のご予定かな?」
「あと、二・三日ほど、でしょうか。何事もなければ、今週末にはここを発つ予定です」
「では、それまでの間、症状が悪化するようなら、ここへ来るなり、使いをよこすなりしてくださいな。ここにいる間は、責任を持ちますから」
そう言って、薬瓶を紙袋に入れてよこす。
「そろそろ会計の方もできているころだから、支払いが済んだら、早いとこ宿に戻って処置をした方がいい」
お大事に、と見送られて調剤室を出る。待合室に戻ると、魔法使いが所在なげに座っていた。
「お待たせしてすみません。お会計の方がそろそろできている、と…」
「あ、もう済ませました。領収書ももらってあるので、これも後で請求しますから」
「…重ね重ね、お手数をかけてすみません」
「いちいち礼には及びません。それより、宿に戻る方が先でしょう?」
そう言って、先に立って歩き出す。
医療関係は「傷をふさぐ」「痛みを止める」くらいしか「魔法」の出番がありません(だから、「魔法学院」に「療養所」が併設されてたりする)。
しかもそれもある程度は術者の資質に大きく左右されます。
この話には(今のところ)出てきませんが、クリスの祖母は、「癒しの手」と呼ばれる医療関係の魔法が得意で、故郷でそういう関係の仕事をしています。それでも、こじらせてしまった風邪を治したり、傷口の細菌感染を防いだりするには、薬が必要になります。クリスがそういう知識を持っているのは、子供のころから、そういう「お手伝い」をさせられているせいです。
魔法使いは魔法でクリスの蕁麻疹を治せないのかな?
と、 すみません。余計な疑問で。
なんかお医者さんで薬をもらってくれてかゆみも治まりました。
海の近くの宿、どんな宿か楽しみです。