Nicotto Town



海とコンビナートの見える喫茶店(前編)

本屋を出て商店街のアーケードを抜けると、どんよりと曇った12月中旬の灰色の空は
見上げるだけで、何だか寒々しかった。

小学4年生の僕が東京から数百キロ離れたこの海沿いの小さな町に転校して来て
2ヶ月が過ぎて、学校はもうすぐ冬休みに入る。

日曜日の午後、僕は一人で町をあてもなくぶらぶらしていた。

町の小さな商店街から、バスターミナルの横を抜けると、町から半島の南端にある港まで
走っている軽便鉄道の踏切にたどり着く。

軌間762センチの狭い線路を渡ってさらに海の方へ歩いていくと銀行の支店の所に
あるT字路の交差点で町並みは終わり、海岸通りの向こう側にはかつて日本最大の
塩田を持ち(塩田王)と呼ばれた男が所有していた塩田跡が曇り空の下で
広々と広がっている。

塩田跡のずっと奥の方、海岸の防波堤が続いている手前辺りには、高架橋を
建設する為の橋脚が途切れ途切れに半島の南の山あいの方に向かって
出来始めていた。

数年後にはその高架橋の上を鉄道が走り、その線路は半島の南に向かって伸びて
南端近くのタコ漁の為の蛸壺がたくさん転がっている岸壁の真上辺りに架かる大きな橋から、
瀬戸内海上をいくつかの島を経て対岸の四国にまで通り抜けられる様になる事になっている。

塩田跡には、駅を中心に新しく町並みが出来る様になるらしい。

僕はしばらく海岸通りの歩道から荒涼とした塩田跡の方を眺めながら、将来、
よく晴れ渡った日に目の前に出来る新しい駅から電車に乗り、開通した橋を
渡って陽光きらめく瀬戸内海の上を走って行く光景を想像してみた。

それから、また海岸通りの信号を渡って町の方に向かって歩き始めた。

「川本君!」

交差点を渡って、銀行の支店の横を通り過ぎた時、銀行の駐車場の方から
僕の名前を呼ぶ若い女の人の声がした。

駐車場の方に振り向くと停めてあった軽自動車の所に小柄でメガネをかけた
図書館の渡部先生が立っていた。

「川本君、今、一人なん?」

渡部先生がそう言ったので、僕はそうだと答えた。

「こんなところで、一人で何をしよるん?」

「特に・・・やる事がなかったので、ぶらぶらしてました。」

「一人で?」

「ええ・・・」

「ふうん・・・」

渡部先生は僕の顔を見ながら何か言おうと考えてるみたいだった。

その間、僕は何と無く少しバツの悪い思いをしながら黙っていた。

不意に渡部先生が細い手首に巻いた細い腕時計を見た。

「あんなあ、川本君、これから先生と一緒にお茶飲みに行かん?」

渡部先生が言った。

僕は少し驚いて先生の顔を見た。

「お茶・・・ですか。」

「今日は先生が特別に奢ってあげるから。・・・その代りこの事は学校で
あんまし言うたらいけんよ。」

そう言う訳で、僕は渡部先生の軽自動車に乗って一緒にお茶を飲みに
行く事になった。

渡部先生は銀行の駐車場を出ると、海岸通りを方に出て車を南に
走らせた。

・・・

10月にこの町の小学校に転校して来た僕と、今年の春に教諭になったばかりで、
僕の今通っている小学校の図書館に赴任して来たらしい渡部先生は、今まで
それ程、話はした事が無かったけど、この2ヶ月ばかり学校でよく、と言うより
ほぼ毎日の様に顔を合わせていた。

この町に来て2ヶ月たったけど、未だに標準語しか話せず、そもそも東京の学校に
いた頃から無口だった僕は、新しいクラスの中にうまく馴染めないでいた。

だから、昼の休憩や放課後の時間、他のクラスのみんなは教室や渡り廊下、
校庭やグラウンドとかで何人かで遊んでいたりしてたけど、僕はそう言う時
大体、図書館で一人で過ごしていた。

今の学校に転校して来て以来、僕にとって図書館と言うのは、一人でいても
周りから浮いた感じがしないし、黙っていても、それが普通の場所なので
一番、落ち着いて過ごしていられる場所だった。

図書館に通い始めた、はじめの頃は(航空機図鑑)とか(魚類図鑑)みたいな
ものを、何と無く眺めていたりしていたけど、ある時、新聞社が出版している、
各年ごとの年鑑みたいなものを、手に取ってみて、それから、その中に
載せられた報道写真や、世界や国内で起こった事件や出来事についての
記述や解説を熱心に眺めたり読んだりする様になった。

戦争、虐殺、政治疑惑、公害問題、政治闘争、凶悪事件・・・

そこには、学校では教えられていない、或いはまだ触れられていない
10歳の僕には、少し衝撃的な社会の現実の姿があったりした。

僕はそう言うものを目にしている内に、世の中の正義だとか、人生の価値観だとか
言うものは、周りが言っている事や、教えられる事だけで判断したり、理解する様な
ものでは無い様な気がした。

・・・

渡部先生の運転する車は、海岸通りを南に少し走って、町の中心部を出た所に
ある、交差点で右折して山間の谷間を通って半島を横断する道に入って行った。

少し長く急な坂道を登り切って、その後、半島の反対側に向かって下って行くと
半島を海沿いにぐるりと廻って来た海岸通りに再びぶつかる。

その向こうは海だ。

海岸通りの交差点で、渡部先生は右折して、海岸通りを北に向かって車を
走らせた。

向かって行く目の前は山が海の方に向かって突き出した小さい岬になっていて
道はまた上り坂になった。

その坂を登り切ると、坂を下った道路の海側の埋立地にコンビナートの石油タンクや
赤白の高い煙突がずっと先の方まで建ち並んでいるのが見えた。

渡部先生の運転する車は、坂を下り始めてすぐの海側にある、高台の喫茶店に
入って行った。

車を店の前の駐車場に停めて、ドアを開けて外に出ると、海の方から冷たい風が
吹いていて寒かった。

              (後編に続く)

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2013/02/11 07:17
昔の小学校ってこういうこともありましたよね
手もでたけど
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2013/02/03 09:35
渡部先生、なかなか新しい学校に溶け込めない少年を心配したのでしょうか。
軋間762センチという妙にリアルな数字にちょっと笑いました・・・^^
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2013/01/31 07:54
緻密な情景描写が続きますね。
今までのかいじんさんの作品にはないかんじで、続きも楽しみ^^
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2013/01/31 07:10
風景描写が巧みですね
人物もしっかりしています
次回、どんなラストがあるのか興味津々
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2013/01/30 19:34
先生に逆ナンされちゃった川本君……ピンチ!?
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2013/01/30 09:04
  ヒューっと風が吹きました
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2013/01/30 07:06
きっとここは児島の鷲羽山あたりでしょうかね。
そして瀬戸大橋が架橋される前の風景ですね〜
時代は1Q84と見た^^ 渡部先生の運転してるのは
赤い初代のアルト♪既視感が刺激されました^^



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