「契約の龍」(86)
- カテゴリ:自作小説
- 2009/07/26 08:20:34
呼び出されてやってきた医師は、白衣を着ていなかった。ずっと後ろの方を、同様に白衣を着ていない助手が、大きなカバンを抱えてついてきている。
それまでの間に、クリスはベッドの方に移して寝かせてあった。
「症状が悪化したって?どんな?」
「発熱です。あと、若干脈が速くなっているような…」
「意識はあるんだから、自分で説明……」
起き上がろうとするクリスを制して寝かしつける。
「あの馬鹿相手にむちゃして具合が悪くなるのは許容できる。だが、慣れない食べ物なんかのせいで生死の境をさまようような真似したら、もう外へなんか出さないからな」
そこまで言ってようやくクリスが抵抗をやめる。
「……食べた量の割に、症状の出方が強いな、とは思ってたんだけどねぇ」
医師がクリスのベッドの傍らについて、口の中を調べたり、まぶたをひっくり返したりし始める。
そこへ、やっと追い付いてきた助手が、おどおどしながら入ってきた。
「じゃあ、処置にかかるから、ちょっと外へ出ていて。説明は後でするから」
そう言われたら、あとは専門家に任せるしかない。隣の部屋にいるので、と言い置いて部屋を後にする。
部屋に戻って鍵を使ったが、ドアが開かない。…というか、途中で止まってしまう。何が起こっているのかを把握するのに、若干の時間を要してしまったのは、疲労のせいだろう。事態を解決するのに、ドアを乱暴に連打する、などという手段をとってしまったのも、もちろん疲労のせいだ。
「なに?いったいどうした?」
寝ぼけ眼の上、寝乱れた髪もそのままに、ドアから顔をのぞかせた魔法使いは、半ばパニックな顔でそう問いただしてきた。
「…とりあえず、中に入れてほしい。廊下は冷える」
魔法使いがいったんドアを閉め、ドアチェーンを外してから、再びドアを開ける。
「姫君に何かあったのか?」
言葉選びに揶揄が混じっているが、口調は心配そうだ。
ソファに腰をおろして、言うべき言葉を探す。
「…容態が悪化した。今、医者が処置してる。…これ以上悪くならなければいいんだが…」
「…そうか。医者の手に委ねたんだったら、祈るくらいしかできることはないわな。…素人が下手に手を出すと、治療の妨げになる」
そんなことは、わかってる。だからおとなしくこっちへ引き揚げてきた。
「まあ、無理だとは思うが、体だけでも休めときなさい。良くなるにしろ、悪くなるにしろ、朝になって動ける人間は、多い方がいい」
なるほど。理にかなったアドヴァイスだ。
それに、モニターするにしても、距離は短い方がいい。
「…という訳で、悪いが、私は休ませてもらう。…ああ、そうだ。医者への支払いが必要なら、明日にしてくれるよう言っといてくれ。…では、お休み」
そう言い置いて後ろ向きに手を振ってから、ベッドの方へ行く魔法使いを見送る。
(処置が終わったら、たたき起しに来るから、それまでは休め)
ふと気付くとソファの後ろに精神体のクリスが立っている。
「ぅわ!…大丈夫なのか?あの状態で体から離れて…」
(かゆくない分だけ、今の方が楽だけど…たぶん、体にはあまり良くない)
「だったら…」
(つまらないことで心配かけて悪いな、と思って)
そう言うが早いか、華奢な両腕が俺の頭に絡みつく。
(…ちゃんと休まないと、いつまでもこうやってくっついてるよ?)
…脅しか?
(それとも、こうやってくっついいてた方が、逆に安心できる?ここにいる限りは無事なんだろう、って)
「なんだそりゃ?」
(意味は自分で考える。…ほら、さっさと休んで)
クリスが腕を俺の頭に絡めたまま上に引っ張り上げる。実体でもないのに――いや、実体ではないから、か――すごい力だ。
「わかった解った!…解ったから、手を緩めて?」
くすくす笑いながら、クリスが腕を解く。
「あー…首がもげるかと思った…ちゃんと休むから、本体の方に戻って、しっかり頑張っといで」
首周りをさすりながらそう言うと、クリスがいたずらっぽい微笑を残して、消えた。
…ところで、今のは、本当にクリス本人だったんだろうか?
俺の願望が見せた幻だったのでは?
…疑い出したらきりがない。
もし、本当に本人で、そんな疑いを持ったと知れたら……今度こそ本当に絞め殺されかねない。言われたとおり、おとなしく休むことにしよう。
魔法使いは有体離脱できるのですね。知りませんでした。
クリスの意とすることは、なんやろ。
次回が楽しみです。