Nicotto Town



太陽神 (後編)

     (後編)

「今度の(ビッグマッチ)に勝ったあかつきにはヨォ、お前はメキシコのどこに
行っても英雄扱いだぜ!」

最近はもうほとんど頭が真っ白になった、トレーナーのサントスが言った。

彼はまだアルベルトが産まれて来る前から、ずっとこの町でボクシングを
教えている。

「僕は・・・ 僕はただ、自分が目指す目標の為に、ベストを尽くして向かって
行くだけですよ」

ジムの壁際にあるベンチに腰掛けて、拳に巻いたバンテージを丁寧に
解いて行きながら、アルベルトは静かに答えた。

彼の横に置かれたチャックの開いたスポーツバッグの中に、何冊かの
本と共に連珠の付いた小さなロザリオが入っているのが見えた。

「・・・全く、お前は大した奴だよ」

サントスはそう言って、深い皺の刻まれた顔をほころばせ、ジムの窓の外に
視線を移した。

・・・

「今度の防衛戦は、メキシコ国内はもちろん、アメリカでも・・・特にヒスパニック系の
多くの人々から注目されています」

アルベルトの取材に訪れた、テレビサ(メキシコのTV局)のレポーターが
言った。

・・・

アメリカのリングを中心に、これまで圧倒的な強さで対戦相手を次々になぎ倒し
観客を沸かせて来た、(ダンディーなKOアーティスト)プエルトリコの英雄、
フェルナンド・オリバレスの人気は非常に高く、その挑戦を受けるアルベルト
のファイトマネーも最低保証で600万ドル(約5・5億円)とこれまでよりはるかに
高いものだった。

これまでにも、3度、世界戦を闘って、かなり稼ぐ事が出来た。

(母がまだ生きていれば、今頃は何の苦労も無く、楽な暮らしをさせられたのに・・・)

世界王者になった後、アルベルトは幾度もそう思った。

妹のロレーナが4歳でこの世を去った後も、兄のリカルドとアルベルトの兄弟を
女手ひとつで育てて来た母親のレティシアも、2歳年上の兄リカルドもアルベルトが
世界タイトルを手にした時には、もう既にこの世にはいなかった。

レティシアはアルベルトが15歳の時、家で突然倒れ、そのまま帰らぬ人になった。

・・・

「チャンピオン、聞く所によると、あなたはメディコ(医者)になる為にプロボクサーに
なったそうですが?」

レポーターがアルベルトに質問した。

「そうです。・・・私は元々、医者になる資金を稼ぐつもりでボクシングを始めました。
・・・私は選手を引退したら、本格的に医者になる為の勉強をするつもりです」

アルベルトが、その話をすると多くのものが、その意外な希望に一瞬とまどった
様な表情をした。

(貧しい環境で、育った僕には他に方法が思い付けなかったのさ・・・)

アルベルトは思った。

彼が育った貧民街の多くの少年達は、貧しさから脱け出して人間らしい暮らしを
する成功の道は、(組織)から(ヤク)を扱わせて貰える様になる事、売人になる事
だと考え、街で幅を効かせているギャング組織の人間に憧れた。

そんな環境から医者になるには、普通のやり方では到底無理だった。

「お前は母さんの誇りだった。アルベルト、お前にはどこで何をやっても立派に
やって行ける力がある」

アルベルトの希望に理解を示していた、兄のリカルドはギャング団の一員に
なり、アルベルトが19歳の時、ティフアナの路地裏で敵対するギャングに
4発の銃弾を射ち込まれて死んだ。

・・・

「チャンピオンの試合をVTRで観たがスピードがあって、とても高いボクシング技術
を感じた。しかしリングの上では何びとであれ、私の拳から逃れる事は出来ない。
・・・私は仕事の時にはいつも出来るだけ時間をかけない事を心がけている」

試合前日の記者会見場で、挑戦者フェルナンド・オリバレスは記者の質問に
そう答えた。

階級をひとつ上げた事で、減量苦が軽減され万全の仕上がりのオリバレスの
表情には自信がみなぎっている様に見えた。

次にそれに対してのアルベルトのコメントが求められた。

「オリバレスの強打をまともに受ければ、私はとても立っていられないだろう。
しかし私のパンチを彼が受けてもそれは同じ事だ。私は彼にベルトをプレゼント
する事は出来ない。私が彼に用意しているプレゼントは、(初めての敗北)と言う
教訓に満ちた経験だけだ」

アルベルトがそう答えると、会見場に詰め掛けた多くの記者達の間からどよめきが
起こった。

(いつも、黙んまりな、コイツにしては中々のグッド・ジョブだ!)

隣で聞いていた、サントスは思わずニヤリとして肩をすくめた。

悪玉俳優の教科書に出て来る様な、悪人顔をしたアメリカの大物プロモーター
ドナルド・ビッグマンがその顔には似合わない笑顔を顔いっぱいに浮かべ
その両脇に、アルベルトとオリバレスがファイティング・ポーズを取って立つと
一斉にカメラのフラッシュがたかれた。

・・・

「さあ!これから一発デカイ大仕事をやってのけようじゃ無いか!」

サントスが言った。

(母さん、兄さん、ロレーナ、それじゃあ行って来るよ・・・)

アルベルトはそれまで手にしていたロザリオを側に置いたバッグに入れると
立ち上がった。

そして、ガウンを翻してロッカールームを出て行った。

チャンピオン、アルベルト・ペレスが姿を現わした時、MGMグラウンド・ガーデン・スクエア
を埋め尽くした大観衆の怒号の様な大歓声が彼を迎えた。

・・・

第1ラウンドのゴングが鳴って、両者がリングの中央でグローブを合わせた。

その直後の意外な展開に観衆は一瞬のどよめき、その後、会場は興奮した
人々の大歓声に包まれた。

足を使って距離を取って来ると思われた、チャンピオン、アルベルト・ペレスが
試合開始直後に、速いワンツーの後、さらに自分から距離を詰めて、オリバレスを
ロープ際に詰めて、回転の速い連打を上下を問わず叩き込んで行った。

オリバレスもすぐにロープ際からフックとアッパーで応戦するがアルベルトは
攻撃の手を緩めなかった。

(序盤はじっくり見させるつもりだったが、これで良いのかも知れねえな)

リング下で見ていたサントスは思った。

攻撃は最大の防御・・・オリバレスの強打の嵐から逃れる為には、自分が攻勢を
続けて行くしか無い。

第2ラウンドに入ってもアルベルトは自分から、相手の最も得意とする、接近戦を
仕掛けて、休む事無く連打を繰り出し、オリバレスをロープ際に釘付けにした。

激しい打ち合いになった。

両者のパンチがヒットする度に観衆の大歓声が一際大きくなった。

山場は突然にやって来た。

第8ラウンド、アルベルトの右アッパーがカウンターでオリバレスの顎を
捕らえると、オリバレスの腰が落ち、続くラッシュで遂にキャンバスに
崩れ落ちた。

必死に立ち上がろうとするオリバレスだったが、足が言う事を聞かないまま
レフェリーのテン・カウントを聞く事になった。

・・・

激闘から5日後、アルベルトは唯一の趣味である愛車に乗りハイウェイを
ドライブしていた。

助手席には小さなロザリオが置かれている。

激しい太陽の光が地上に降り注いでいた。

満ち足りた気分だった。

太陽の溢れる光の中で、母と兄のリカルド、妹のロレーナの笑顔が見えた。

太陽の光の後、大型トレーラーが目の前に見えた。

2日後、WBC(世界ボクシング評議会)はフェザー級の王座が空位になった
事を発表した。

チャンピオン、アルベルト・ペレスがタイトルを保持したまま、23歳の若さで
交通事故に遭い、帰らぬ人となった為だった。

          (終わり)

(この物語は実話をヒントにしたフィクションです)

アバター
2013/03/04 23:04
ボクシングの迫力あるシーンと
アルベルトの過去を綴る淡々とした表現との緩急が
すごく胸に迫りました~;;
アバター
2013/03/03 11:46
突然の出来事とは言え、ひょっとして、チャンピオンはトレーラーを
避けようと思ったら避けられたのにあえてそうしなかったのでは? 
と思ってしまいました。
伝説のチャンピオンにふさわしい最期と言えばそうですが、
ボロボロになるまで闘う姿も見てみたいような気がします。
アバター
2013/03/02 18:35
ラスベガスを舞台にしたNHK特集を思い出しました
フィリピン人チャンピオンがメキシコ人挑戦者に負かされる物語
視点をかえるとまた違う物語になりますね
アバター
2013/03/01 23:59
かなしいようであり
これで完結したようであり
ジョーはこうこなくては^^
アバター
2013/03/01 23:13
永遠のチャンピオン…
伝説の人になったのですね
アバター
2013/03/01 21:45
いい男が死んじゃうなんて哀しい……(;_;)
アバター
2013/03/01 20:42
ラストシーンが切ないですね・・・。

アバター
2013/03/01 17:53
神に愛される天才は長生きしないと言われることもありますね。
実話がヒント?
悲しい話です
アバター
2013/03/01 06:25
うーーーーーん>w<
祖国の英雄となってさぁ、これからというときに。
なんとも切ない幕切れですが、伝説にはもってこいの終わり方ですね。
スポーツ選手の中には、貧しい暮らしを抜け出すためスポーツをしている
という人がチラホラ見受けられますよね。
アルベルトにはもうお金をかけてあげられる家族もなかったのが悲しいけれど。
でも、ぜひ、もう一つの夢を実現してほしかった>w< 残念ですね!



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