この師匠にして、この弟子あり
- カテゴリ:日記
- 2013/03/02 20:39:17
中谷宇吉郎随筆集
樋口敬二 編
岩波文庫
雪の研究と「雪は天から送られた手紙である」という言葉で有名な著者の随筆集。
大きく分けて
・雪の研究に関する話(こぼれ話的なもの)
・趣味・日常の話
・寺田寅彦(著者の師にあたる人物)の思い出
・科学随筆
から成る。
著者の師匠にあたる寺田寅彦はユニークな発想を持つ物理学者でありながら、随筆の名手としての顔も持っていた。
寺田寅彦は夏目漱石に俳句を習っていた、という経歴の持ち主。
「我輩は猫である」にいつも妙な実験をしている物理学者、水島寒月という人物が登場するが、この人物のモデルこそ寺田寅彦だと言われている。
師匠が自分の専門以外にも俳句をたしなんでいたように、弟子の著者も南画(水墨画のようなもの)を趣味としていたり、科学随筆を書いたりして、正に「この師匠にして、この弟子あり」という感じがする。
(南画を書く事についての随筆も収録されている)
本書の中、師の思い出についての随筆の中で「茶碗の湯」という師匠の有名な科学随筆に触れ、その内容を絶賛しているが、著者自身の科学随筆もかなり面白い。
特に印象に残ったのは「地球の丸い話」「千里眼その他」「立春の卵」の3本。
「地球の丸い話」は観測の精度についての話、残り2本はタイトルから想像がつくかもしれないが、ある種の「熱病」についての話で、現在も(おそらく将来も)同じような話には事欠かないだろう。
冒頭に挙げた「雪は天から送られた手紙である」という言葉。
最初は雪を詩的に例えたものとばかり思っていた。
が、「雪」(本書とは別の著作)を読むと、文字通りの「手紙」という意味で使っている事が分かる。
それによると、雪の結晶の形は上空の気温によって変わってくるらしい。
そのため、雪の結晶の形を調べることで上空の気象状態が分かるので「手紙」と言っていたのだ。
師匠の寺田寅彦も知り合いの地質学者を訪れた時、「石ころ一つにも地球創世の秘密が記されている。我々は、その"文字"を読む術を知らないのだ」という旨のことを言ったのが、随筆に残っている。
また「茶碗の湯」では茶碗から立ち上る湯気をダシに気象現象などを子供向けに解説している。
身近な現象の中にこそ、大きな自然の謎を解くカギがある。
しかも自然は、その謎を隠しているわけではなく、常に語りかけているのに人間の方がその言葉を理解することができないでいる、という考え。
そんな師匠の影響を受けたからこそ、「雪は天から送られた手紙である」という言葉に繋がったのだろう。
惜しむらくは、あまりにキレイにまとまりすぎたため、自分のような勘違いをする事がありえる、という点か・・・。
ちなみに、マイケル・ファラデー(電気分解の法則や電磁誘導の法則で名を残す)は「ロウソクの科学」で1本のロウソクが燃える現象をダシに子供向けに化学を解説している。
もし寺田寅彦や中谷宇吉郎がファラデーと会ったら、かなり話が盛り上がることだろう。
「一は全、全は一」
というのは「鋼の錬金術師」(荒川弘)で出てきた考え方だが(どうやら一神教にもそのような考え方があるらしいが)「一」から「全」を想像するのは、かなり難しそうだ。
カール・セーガンなら科学解説と随筆が書けたのでは、という気もしますが、亡くなってますね・・・。
「一は全、全は一」はマンガの「鋼の錬金術師」のある回のタイトルでしたが、ピッタリな感じがしました。
>七条、姫さん
師匠の影響なのでしょうね。
「雪華図説」の話は、チラッと出てきました。
自分で入手しようとしたら、苦労したのに手に入らず、その事を随筆に書いて発表したら、あっさり解決したとか。
「雪」(中谷宇吉郎)の方みも、もっと詳しく紹介されていたような・・・
それを『手紙』に例える感性が素敵だと思います^^
雪の結晶と聞いて、私の場合思い出すのは
古河藩主 土居利位の著した『雪華図説』なんです。
毎年冬になると古河の歴史博物館で「雪の殿様 土井利位」と言うテーマ展をしています。
今年はもう終わってしまいましたけどね^^;;
こういう味のある、科学解説&随筆を書ける人がいない感じがします~~。
サイモン・シンなんかは、それに近い感じだけど、
ちょっと堅苦しくて、味がイマイチ。
「一は全、全は一」=フラクタルの考え方?
そういえば、寺田寅彦さんは、フラクタルの考えに迫っていたと
聞いたことあります・・。そういう関係かしら?
「雪」を読んだのが、随分、前なので、ちょっと心もとないですが・・・・。
気象条件によって変わるのかな・・・