Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


かわいい江戸絵画展 その5


(続き)

 第三章にうつる。ここは「かわいい形」。さらにやはり区分けされてゆく。「幾何学的な形」、同じ形をくりかえす(「造形が楽しげなリズムを作り出し、「かわいらしさ」を生んでいる」)、「子供の体型」、これはベビースキーマというらしい。ともかく頭が大きく、手足全体を短く描くとかわいくなるのだとか。さらに中国の南画の影響。南画は、「簡略、素朴な表現をもつ味わいを良しとするものである。(中略)あえてつたなく描いたものの中に、精神の高みや深い味わいを感じ取ってきた。日本でもその感性は育まれ、」…。この素朴さと関連しているのだろう、ここでは大津絵も多く出品されている。大津絵とは「東海道の大津で売られた絵であり、仏教の尊像をはじめ、人生訓を表す図、護符の効能のある図など、庶民の生活から生まれたもの」。鬼が念仏をとなえたり(偽善を戒めたもの)、猫と鼠が一緒にお酒を飲んだり(酒に飲まれるなという教訓)、決まった画題がある。大津絵、さらにこれをアレンジした作品の出品など。ちなみに大津絵の精神もまた仙厓に通じるものがあるのではないだろうか。わかりやすい絵、したしみやすい絵のもつ、間口のひろさ、といったところが。
 といったところで、仙厓の、まるい、ふんにゃりとした形、ひょうたんか落花生のような身体の布袋を描いた《あくび布袋図》。これは「子供の体型」のコーナーにあった。上部分が顔であくびをしている。絵の賛には、釈迦が入滅してのち衆生を救う弥勒が出てくる五十六億七千万年あるのだが、その釈迦の出現を待ちくたびれた様子だと書かれている。ここまで書くとベケットの『ゴドーを待ちながら』のような雰囲気もあるように思えるが、待ちくたびれて大あくびをしている、落花生のような身体からのばしたまるみをおびた短い手足。のどちんこまでみえるおおきなまるい口に、やはり、つい頬がゆるんでしまう。いっしょにあくびをして、伸びでもしたくなるような、すがすがしい、やさしさをもらう。これが「かわいい」なのだろうか。そこからはみでるものはなんなのだろう? はみだしてくるものたちが、とてもおだやかで、ぬくもりだった。あえて幼年にひきよせてしまうと、それは保護されている、それゆえの自由さだ…。

 「かわいい形」の章には、「つたなさの魅惑」もあった。つたない、というより単純化された絵のもつ魅力といえばいいだろうか。そこには緻密な作業もあるだろう。たとえばクレーの絵。
 中村芳中《蝦蟇鉄拐図》。手前に三本脚の蝦蟇を操る蝦蟇仙人と、後ろに口から分身を出す鉄拐仙人。蝦蟇仙人はやさしく、一本足で立つ蝦蟇と会話するようである。蝦蟇もまた、おおきいアマガエルのようなかわいらしさで、懸命に仙人の話を聞いている風、両者の意思の疎通、友情のようなそれがしのばれる。鉄拐仙人は、うしろで、のけぞって、まるで風神のように息をふきだしている。
 作者の中村芳中(?─一八一九年)は「大阪で活躍した琳派の流れを汲む画家」とある。たぶんどこかで(おそらく琳派展か何かで)何回かみているはずの画家だ。
 やはりやさしさ、そしておかしみが混在していて、観るものにぬくもりのようなものをあたえてくれる。たとえばこうしたこちらの心の動き、それをもたらしてくれることが、「かわいい」のではなかったか。

 ここでは呉春《丹後鰤図》にも、つい観ていて頬をゆるめてしまった。板に乗った鰤をもつ男性が、うれしそうにほほえんでいる。その顔がとてもきもちよい。「うぐひすの使いは来たか丹後鰤」と、高井几董の句が上にある。うぐいすも鰤も春をつげるものだという。花より団子というか、ともかく鰤をもっていることがうれしくってたまらないらしい、その表情こそが、春らしい、といえるのかもしれない。

(続く)




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