Nicotto Town



何時か書こうと思っていたけど


ちょっとテレビで雅子妃様の事を語られて居たので。

母が妹を生んだ後に帯状疱疹になりました。
当時はじんましんと呼ばれて居たと思います。

首から胸を通って下腹にかけてつながった横10センチ以上は在ったじんましんでした。

妹は赤ん坊なのに母は抱いて乳を飲ませる事は非常に辛かったらしいです。
早々にミルクに変わりました。

赤ん坊なのにしっかり抱いて育てることが出来ない事は母に取って
妹への負い目でした。

私も母の膝の先っちょにしか座れません。
抱きつく事ができなかったのです。

母と妹と私と3人で手をつないで歩くときは
普通は母を中心に二人がつながりませんか?

でも母は妹を真ん中にして両手で妹を挟みました。

不満を言うと赤ん坊の時に抱いて上げれなかったから
寂しい思いをさせたからと言います。

私も幼い時は母の膝の先っちょの思いでしかありません。

スカートは特別にウェストのジッパーは下げてブラウスに安全ピンで下がらないように止めました。

安全ピンが何時もありましので危ないと言うのでスカートに近づくこともできません。

アッパッパの様な洋服が出た時は母は喜んでいました。

夏でもクビにスカーフをふわりと巻いてました。

首から見えて当時は移るのではと、気味わるがられました。

温泉療法にも通いました。
皮膚病の薬はベッタリとつけてました。

治ったのは私が中学に入った頃でした。

10年近くたってました。

やっとおしゃれな服を来ました。

外国製の下着も身につけました。
ブラジャーのきつさに驚いてブラジャーを付けられませんでした。
それが和服用のブラジャーが歳をとった時にできて

母は嬉しそうでした。

ブラジャーをつけたかったそうです。

とある男が何か言ったそうですが、
家族みんなが苦しみました。

私は其の男がその病気の事を知っているのかどうかは解らないけど
同じ病気で苦しんで見るべきだと思いました。

私なら、呪ってやるんだけど。(さらり)

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2013/04/22 09:46
Kei 様
マイペースを言い聞かせて気を付けて行きます。
今週も[^ェ^] よろしく!お願いします♪
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2013/04/22 09:45
赤胴鈴の助 様
結構大きな安全ピンでお下がりの洋服を調節して来ていましたね。
それが普通でした。

小さくなっても安全ピンで繋げて着ていました。
多くの子供達に取ってそれが普通の世界でした。

缶けり、チャンバラごっこはしましたよ。
死んだら土の上に寝転がって10数えて生き返りました。
女子でしたのでもっぱら斬られ役か、人質の役でした。www
「ジビョウノシャク」で座り込むと悪人に連れ去られました。
どう言う意味なのか、当時は意味不明。連れされる合図でした。www
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2013/04/22 08:23
おはようございます、今週も宜しくお願いします。^^
無理しないで下さいね。
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2013/04/22 01:16
今晩は~!(●^o^●)♪
オイラも子供の頃シャツやズボンを安全ピンで止めていた事を思い出しました!
小さい時の遊びは馬乗りや、缶けり、チャンバラごっこ等、遊びも運動のようでした!
ファミコンなんか無い時代でしたからネ!^^♪



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