【父の死】父への想い、片思いの日々
- カテゴリ:日記
- 2009/08/02 17:36:46
ここ最近、ずっと実家にいて、昨日家に帰ってきました。
父が亡くなり初七日を終えたばかり。
父が危篤だと知らされた後、駆けつけた頃には―・・・・・・
あたしと父は、どちらかと言うと、水と油の関係でした。
あたしは周囲に甘やかされて育ち、少し性格上、歪んだ子に育ち
父は、あたしにとってとても厳しい存在で、父に褒められた
経験は無く、父の満面の笑顔を見た事がありません。
※もしかしたら、他の場所で父は、私の事を褒めて、満面の笑顔で
話していたのかもしれません。父の免許証入れからは
私と弟の満面の笑顔のプリクラがありました。
妹と父は、常に笑で話をし、話題も豊富で、どこか父は妹に対し
期待を寄せてるようでした。あたしは、頼りないコ!
だから、睨まれてる記憶や、叱られてる記憶しかなく・・・・・
いつしか成長し、大人になった後も、父を目の前にすると恐怖の対象でしかなく
父を前にすると、怖くて手が振るえ、父の顔をまともに見る事さえ出来ず。
父が亡くなり、葬儀を終え。父の好きな歌をカラオケで歌う事になり
改めて気が付いたことがあります。あたしは、父に片思いをしていたと。
妹や弟に向けた父の愛を、あたしは同じように受けたかった。
でも、あたしは別の形で、父からたくさんの愛情をもらっていたんだなって―・・・・
不器用な父は、あたしを叱る事で、シッカリしろ!と言いたかったんだ。
だから、あたしの中では父は大好きな存在。
だからこそ、亡くなった事が、今でも理解出来ず、まだ実家に帰ると
父の存在が居そうで。泣き崩れたら、父が「泣くな!」そう言いそうで
妹がパニックになり、母がおかしくなってる中、長男の弟はしっかりしなきゃと。
長女のあたしは、泣くまい!と、必死にこらえ。
妹は「娘へと、父が選んだネックレス」
あたしには、何も無い。少し悲しく、父の距離感が、とても切なく
親子関係の片思い。あたしは父に求めてもらいたかった。笑ってほしかった。
父と話す時間が欲しかった。でも、あたしにとって、父は怖い存在でしか無かった。
だから、あたしの中では、父は片思いの存在。
※ほんとに、ほんとに大好きだった!
内弁慶で、頑固で。でも、仕事だけは絶対に手を抜かない。
誰にでも慕われる存在。だけど、家族にだけは弱い部分を見せ過ぎた。
お酒やタバコが大好きで。肺ガンになり、苦しんだ2年半。
あたしは、その間も父との恐怖に苦しんでいた。
でも、苦しまなくても良かったんだ。父が危篤だと言われた後の実家の空気。
あたしが考えていた恐怖は吹き飛び、大事な存在だと気がつかせてくれた。
それだけ父の存在は、とても大きく、大き過ぎるよ。お父さん。
話したい事はたくさんあったし、お父さんの本当の本音を聞きたかった。
何であたしだけを厳しく、躾けたのか・・・・・・・
今も無気力。心に穴が空いてて、何をしてるか分からず
ただただ、父が亡くなった現実から逃げたい。でも、それじゃいけないから
父の形見であたしが選んだモノは「壊れて動かない時計」「使った形跡のある財布」
時計も財布も、男物だから使う事が出来ないけれど、常にお守りにしていたい。
時計は、電池を入れて動かして、あたしの人生の時と共に動かしてあげたい・・・・。
※大丈夫!お父さんの怒られて怖い恐怖の対象は
あたしの心の中で「笑顔で笑ってるお父さん」に、塗り換えられて傍に居るよ。
私はそういう経験は祖父母しかいないのですが、それでもやはり悲しかったです。
祖母の方では私が小学2年生の時にこの世をさりました。
その時はよく感情がコントロール出来なくて悲しいという気持ちがありまあせんでした。
でも、今思えばたまに祖母のことを考えるだけで涙が出てしまいます。
本当は最新のブログにコメしようかなー、と思ったんですが、
生れてこの方恋愛をしたことが無いので、自分に共通する事が書かれてるこの記事にコメします。
私は6年前に父を亡くしています。泣きはしませんでした。
幼いから死が理解できない、という訳ではなく、小3ながらに「人はいつか死ぬもの」と悟っていたんだと思います。
お父さんの事大好きだった。でも泣けない。
今でもおかしいのかな?と思います。読んだ限り、父親から貴方の妹さんの様に扱われた私が涙を流さないなんて。
正直、死を受け止められないでいても、自分の家族の死に喪失感を覚えられて羨ましいと思います。
ただただ、私は父の死に顔が気味の悪いものだと葬式で思ってただけだったから。そして今は、父の死に正直ホッとしているから。最低ですよね。
肉親の死を悲しめる事を誇りに思ってください。
それは、貴女がどれだけその人の事を愛していたかの証だから。
愛さなきゃ愛してもらえません。私はそう学びました。
きっと、一方通行の片思いなんかじゃ無く両思いだったはずです。
乱文長文失礼しました。
私は父を小学校6年生の冬に亡くしました。
まだ幼かった私は父の看病も満足にできず、
父の前で泣いてしまったことがあります。
私は父に大切にされ、どちらかといえば妹さんのような
状況の中で育ちました。
たくさんの愛をそそいでもらっていたのに
思い出す父の顔は笑顔ではなくて、
癌に苦しむ父の姿です。
私とRinaさんは反対の立場ですが、
なんだか似ているような気がします。
お父さんの立場になってみてください。
きっと悲しんでいる娘の姿より、
笑っている娘の姿がみたいはずです。
お父さんが何故、あなたに厳しく接したのかは
今となっては知る余地のないことですが、
どこに自分の娘を愛さない父親がいるでしょう?
あなたは片思いではありませんでした。
愛されていました。
まだブログには書けません。Rinaさんはまだお若くて、お父様もお別れしたくなかったと思います。
でも、3人の立派なお子様に恵まれて、皆さん立派に自立されて、誇りに思っていらっしゃるでしょう。
父の死後、死後の世界のことをネットで調べたら、安部晴明のようにあの世へ自由に行き来した人、
エマニュエル・スウェデンボルグの話が見つかりました。性格がそっくりな人の魂が一箇所に集まって
暮らすようで、とても安らかな世界らしいです。もちろん意地悪な人や妬み心の強い人ばっかりが
集まれば、一緒にいるだけで地獄ですが。天国も地獄も人の心が生む世界らしいです。
生前お仕事をきちんとされていたとのこと、きっとあちらでも世の為にお仕事なさるのかも知れないです。
死後30日ぐらいはまだこちらに近いところにいるらしく、今のRinaさんのお気持ちに喜んでいらっしゃるのでは…
長女にはどこの父親も厳しいもので、うるさく言うのも計り知れない愛情のためなのでしょうね。
しかし、親戚で、いつもよくしてくれたおばさんをなくしたときは、何もしたくなくなるほどの絶望を感じました。
Rina様の悲しみほどではないですが、あなたの悲しみがどれだけ深いかの理解は、出来ていると思います。
あなたのお父様はきっと、自分がどれだけ愛されていたか知っていたと思います。
表には出さなくても、本当はあなたを愛していたと思います。
どんなに厳格な方でも、どんなにあなたを叱りつけていても、それは全てあなたが感じたとおり優しさなのだと思います。
それに、「父を愛せた」ことは、幸せなんじゃないでしょうか?
嫌わずに愛せたこと・・・たとえそれが、片思いでも。
今は「きっと自分も愛されていた」そう信じて、前へ進んでいけば良いと思います。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
そしてお父様の事、謹んでお悔やみを、申し上げます。
私の父も厳格を絵に描いたような人でした。
そして平成17年、私の誕生日の前日に間室性肺炎で生涯を閉じました。
病院に駆けつけた私に、その時もつまらないことで叱り付けていました。
私の娘は、父の葬儀の時に涙の一滴も流しませんでした。
弟達家族は、泣いているのに・・・・
私は、愛してもらえなかった事を、悲しみました。
でも、今はそんな不器用な父を切なく写真で眺めるだけです。
でも、必ず良い思い出って、後から思い出しますよ。
あんな厳しい人が、あの時はこうだった・・・・みたいな。
きっと、Rinaさんの近くで貴方の幸せを願ってくれていると思います。
貴方が愛されたことを信じてくださいね。
合掌
私はすぐ近くにいた存在が亡くなった経験をしたことがありません。
だからRinaさんの気持ちも文章だけではお父様がどんな方でどれだけ大切な存在なのかが分かりません
けれどお父様はきっとRinaさんの気持ちを分かってくれていると思います^^
Rinaさんとご家族の皆様一日も早くお悲しみから立ち直られますように
RIneさんも身体に気をつけてね><;
心よりお悔やみ申し上げます。
私も、この春、母を病気で亡くしました。
4歳の頃より、母一人子一人の生活でした。
私自身は、父親とはどういうものか…実感としてはないんですが、
でも、Rinaさんのお父様は、きっと貴女が感じている通り
長女としての貴女の行く末を案じたからこその厳しさだったのではないでしょうか…。
そして、そうして来たが故に、素直に甘えられる妹さんと違って
距離を置かざるを得ない貴女の態度に、きっとお父様も素直に愛情を態度に出せなかったのでは…
世間では、色々と親子の問題もあるようですが…
文面を読ませて頂いた限りで、こんなに素直なお嬢さんを立派に育てられたお父様が
娘を愛さない筈がありません。
今は、本当にお辛い時でしょうけれども、これから先お父様との思い出の中に
きっと「あれが愛情だったんだ」と感じられることがあると思います。
少しずつでも、それを感じながらこれからのRinaさんが、幸せであることを心よりお祈り申し上げます。
初めてお邪魔しましたのに、色々と勝手を言って申し訳ありません<(_ _)>
似通った点がいくつもあって人事に感じられませんでした。
亡くしてはいないのですが私と母の関係がこのような感じです。
何を話しても収拾がつかず妹ばかり相手にする母なので私は大っ嫌いなんです。
でもこの記事を読んでいつかこう思える日が来たら幸せだなって感じれました。
ただ遅くならないといいなとも思います。
ゆっくり休んで翌日に備えてくださいね。無理はなさらずにゆっくり進んでください。
大それたコメント失礼しました。
もう少し落ち着いたら、家族でお父さんについていろいろと話してみると良いかもしれないです。
皆、自分なりのお父さんが居て、自分の知らないお父さんに会えたりします。
怖いおやじほど、年をとったときに会いたくなるものらしいですよ。年をとると、誰も怒ってくれませんもんね。
なので、お父さんの記憶を大事にしてくださいね。
いつまでもお父様はそばにいらっしゃいますよ。
お父様はとても幸せですね・・・これだけ子供達に
想われていて。
素晴らしいご家族に感動しました。
僕の、親父も8月8日に、永遠の眠りに着きました。 13日、今日は、初七日。
おちからを落とさずに、・・・・・・・・
もしかしたら妹さんは、もっと叱ってほしかった、と思ってるかも知れないよね。
でも、それが父親なんだと思うよ。
親父は、私が中学の時に亡くなりましたが、今でも「このクソ親父!もっと生きてて酒でも呑みたかったのに!!(親父は下戸でしたが)」と、心の中で遊んでます。
Rinaさんも、いつまでも遊んであげて下さいね。
父が発病して3年、いつも何か父の役に立てないかなぁ・・と考えながら過ごす間に、自分自身のプライベートな生活も悲しみという感情も無くして過ごしてます。
それでも、何の役にも立ててない事を思いますと、無力な自分に自己嫌悪です。
Rinaさんは、お嬢様として立派に成長されて、お父様にもRinaさんのお気持ちは伝わっていらっしゃる事と思います。
お父様が喜びますよ。
肉親の死に対して免疫も無くただ呆然としてたあの頃・・・。
出来なかった,遣り残した事を考えつづけても何も変わらず前に進めなかった。
心の痛みは時間とともに必ず癒えるときがくるので
無理に進まずゆっくり歩いていくのも悪くないデスヨw(笑)
お父さんは、Rinaさんに期待してたんだと思います。
怒るというのは、それができるからなんです。
Rinaさんにはできると信じているから、言っているんです。
こんなことしか言えずにすみません・・・><
強く、逞しく、愛情豊かに生きて
自分の人生を全うして下さいね。
実父の死を経験することで
本当に最後の最後に
大切なものを教えてくれたと思います。
なかったらいぃのに・・・
この前四十九日がすぎました。
まだ10代で夢も希望もあってそれに向かっている途中でした。
それなのに、いきなり事故にあいそのとき初めて人間は
こんなに弱い生き物のだと知りました。
大切な人はいつどこで亡くなるのか分かりません・・・
伝えたいことはたくさんあるのに、その人はもう自分の
目の前には現れません
亡くなってもまだ、その人が生きてるような気がする気持ち
わかります。
でも、いつかきっと苦しみを乗り越えて明るく生きれるとおもいます。
今がいちばん悲しくて苦しくて大変な時期だと思いますが
がんばってお父さんのぶんまで生きてください。
私も、一番苦しい辛いときにたくさんの人から「がんばれ」とか
「お父さんお母さんを支えるのよ」など言葉をもらいました。
私も、明るく生きれる日がくることを信じてます。
お父さんはきっとRinaさんのこと愛情を持って接していたと思います。
親は何を言おうとも、一番子供の事が大事です。
それを、改めて私は実感しました。
きっと、空から今も見守ってくれてると思います
恨んだと思います。親が土下座をして詫びるまで妥協はしたく
ないです。親というのは子どもにとって、頼りがいのある
逞しい存在でなければならない筈。子どもに恐怖心だけ埋め込む
親って好きにはなれないですね。残念ながら。
本当に涙があふれてきました。(本当に)
でも、Rinaさんは本当にいい人生を送ってると思います。
まだクソチビの私がすいませんが。
お父さんがそばで見ています。
これからもっともっと幸せな人生に進めてください。
あ、涙こぼれたw
親子で嫌いなはずないですよ^^
少しすれ違っていたというか、お互いの気持ちが伝わりきらなかっただけだと思います❤
言葉にしないと伝わらないことがたくさんありますよね。
相手を想うことは、それがどんな形であれ、心の自由だと思います。
相手がいなくて直接伝えられなくなったとしても・・・想うことは、自由だと。
だからこそ、本当の想いは伝わりにくいものなのだろうと。
・・・上手く言葉に表すのは難しいですね^^;分かりにくくてスミマセン。
寂しさを素直に感じて、それがいつしか優しい想い出になりますよう、
お父様のご冥福とRinaさんのお心が癒えることを 微力ですがお祈りいたします。
ぶつかり合いも多かった。
亡くなる1年ほど前から私を認めてくれた気がしました。
遺言に従い深紅の薔薇1輪を入れました。
おいらも親亡くしてんだけど、遠くへ行った気しないっすね~。
初めまして。
伝言板にコメントがあったので訪問させていただきました。
心は落ち着かれたでしょうか?
どうか無理はなさらないで下さいね
私も長女なもので期待を受け、そして下の兄弟よりも厳しくしつけられました^^;
その分、心が広くなったような気がします。
そして年を重ねた両親はリアルで私が忙しくなったことで今は私にはとっても優しいです。
ずっとプリクラを持たれていたんですもの。
気づいていらっしゃる通り、Rina さんを大事に思われていたんですよ^^
お父様も苦しさから解放されて、ずっと見守っていらっしゃいますよ(*^^)v
Rinaさんの心情、背負ってきたモノは理解できます。Rinaさんは、とてもナイーブで感受性が高い女性なんだろうねえ。だから、単純な父親美化はしたくありません。「女は、娘は、オマエは、こうあるべき」という一方的な親の想いは、子にとってチクチク針か、ザックリ刃でしかないから。
でも、親は大きいよねえ。高所からよく見えているよねえ。きっと、死期が迫ってRinaさんが帰省した「意味」や「気持ち」を、よ~く理解していると思います。Rinaさんが思い悩まなくても、お父様は十分満足して旅立ったと思いますよ。
Rinaさんが傷ついた記憶は否定しないで、お父様を怖いひと「だった」という過去形にして、悟った感謝で「許す」ことができれば、すぅ~っ・・・とキモチが楽になるのではないか、と。
小悪魔猫のつぶやきなので、気にさわったら捨て置いてくださいにゃ。
お父さんにとってはどの子もかけがえのない愛しいものであるはず。
Rinaさんの思いはお父さんに届いています。
しばらくはまだ辛いかも。
すこしずつ元気になってください。
お父さんもすぐそばで見守っていらしゃいますものね。
きっと家族で笑顔になれる日がきます。
癌だったですか。ご冥福をお祈りします。この日記を書いた頃が、初七日ですから、あれからさらに6日経っていますね。
今は、お父さんが無くなって10日以上経ちますが、今の心境はどうでしょうか?
まだ気持ちの整理はどうかは解りませんが、親というのはどこから見ているものです。天国までお父さんに迷惑を欠けない様に致しましょう。
もう間もなくお盆です。49日にはまだ経ってはいませんが、お盆の頃は、お父さんの写真(遺影で良いのかな?)とお話して見ましょう。
後悔は沢山あってもRinaさんの気持がお父様に届いていると思います。
形見の時計と一緒にRinaさんの人生が素晴らしいものを刻めますように・・・
落ち着いたら、時間を作ってお母様とゆっくりお話をして下さい。 お母様も寂しいことでしょうし、お父様がリナさんのことをどれだけ大切に思っていたか、今まで知らない話が沢山聞けることでしょうからl。。。 <(_ _)>
女の人はなりやすいんだってね・・。いろんなとこに痛みがでてくるんだって・・?
それとご冥福をお祈りします。
お父さんもちゃんとわかってくれているよ。
なんと言っていいのか・・・。
Rinaさんの気持ち、分かる気がします・・・。
Rinaさんとお父様のご関係が、私と父の関係のようで。
私の父は有難いことに健在ですが、いつかその時を迎えます。
いつかその時を迎えたら、私は今までの父への対応を後悔すると思う。
そして兄妹の中でいちばん悲しむと思う。
けれど、今はなるべく父を避けて生活している・・・。
どうすべきかは自分が一番分かっているけれど・・・。
他の方のコメントにもありましたが、
言葉や態度に現さなくても通じるものがある、親子関係って深いものですね。
いつか心身共に立ち上がれることをお祈りしています。
お父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
お父さんゎ一番Rinaさんと話をしたかったんじゃないのかな。でもお父さんも何を話していいかわからなかったんだと思います。娘と父親ってなかなか話す事がないからお父さん話しかけられるの待ってたんでしょうね。お父さんの形見大事にしてくださいね。みんなのコメントで私も涙しました。
今ゎまだ落ち着かないかもしれないけど体に気をつけて下さいね。
はじめまして 伝言板にRinaさんのコメントがあったので お邪魔させて頂きました。
このブログを読んで なんでしょ... 不思議な縁だなぁ なんて思ってます。
私の父も 今年の1月 亡くなりました。 Rinaさんの お父様と同じく 肺ガンでした。
同じように2年前 肺ガンの宣告を受け 手術をし 転移をし... 苦しんだ2年と3ヶ月でした。
私は 危篤には立ち会えました... と言うか 1週間 「今夜が峠」 と言われ続けた父と過ごしました。
肺ガンの最後は 本当に辛いものでした。
娘の私が 「もぉいいです。楽にしてあげて下さい。」頼むほど...
看取れないのは 寂しい事ですが そんな最後を見せなかったのも
お父様のやさしさなのかもしれないですよ^^
なんとなく Rinaさんが お父様の前では畏縮してしまうのと 同じように
お父様もまた Rinaさんの前では 緊張していたのではないかと 思います。
お互い素直に接する事が出来なかったのは 似たもの親子だったからなのかな?て
だからきっと Rinaさんが お父様を 思う分だけ お父様も Rinaさんを 思っていたんだと 思いますよ^^
長々と 失礼しました^^; 心の穴は 時間がゆっくり うめてくれます^^v
いざ亡くなるとなるととても悲しく自分にとって
どうしようもない感謝の気持ちで一杯になります。
それはRinaさんがお父さんを愛していた気持ちの象徴。
すばらしいことですよ。自分に自信を持ってこれからの人生歩んでいってください。
Rinaさんはお父様とよいお別れができたのではないでしょうか?
私は父にもっと感謝の気持ちや思いやりの気持ちを
伝えればよかったと今でも心が疼いています。
亡くなる3週間前に脳梗塞を起こして意識がはっきり
しなくなった父にとって、
私は気の効かない、薄情な娘で終わってしまったのではと
思われます。
父に対する多くの気持ちをこの先、抱えていくつもりです。
お互い、これから、頑張って生きていきましょうね。
母がそうでした。(生きてるけど・・)
愛を、欲しがっても、くれなかった。
でも、違う形で受けていたのは、一緒ですね^^
お父様も、きっと、心の中では精一杯、愛していたと思いますよ
これからは、元気な姿を見せてあげなくちゃ!!
ご冥福をお祈りします。
以前は怖いお父さんだったかもしれませんが、今は笑顔で笑ってるお父さん・・・
ホント素敵です。
絶対絶対天国にいらっしゃるお父様にも伝わってますよ(◡‿◡✿)
もしかしたら、大事にしてたプリクラが見つかって、ちょっと照れてるかもしれない!
心身ともにお疲れでしょうから、暑さなどに気をつけてお過ごしくださいね
上手く言葉が見つからないのですが、厳しさは愛情の裏返しとも言いますし・・・。
お父様は、Rinaさんに厳しく接しても、そこには可愛い娘への愛情が込められていたと、思います。
お父様の形見の時計が時を刻む毎に、Rinaさんの悲しみが少しずつ癒えていき、力が湧いてくることを、切に願います。
父との思い出が非常に少ない
闘病の時のあの姿を受け入れられたのは
つい先日の事でした・・・
親の死は色々考えさせられますよね。
私も1ヶ月ほど前に父が亡くなって、もうちょっと元気な内に話ができたら良かったなーと今更取り返せない時間のことを考えたりしてました。
多分、今は疲れているんだと思います。
できるだけゆっくりした方がいいですよ。
(なかなか、そんな時間が取れないように世の中なっているのは良くわかっているのですが)
ブログを拝見して、思う事は沢山有るのに…うまく言葉に出来ません…
でも、Rinaさんの愛情の深さがとても伝わって来ました。
お父様の本音はもう分らないけれど…きっと不器用だったのでしょうね…愛情の伝え方が…
変な言い方になるかもしれませんが、妹さんには御自身の愛情の伝え方を学ばれて、
Rinaさんとは違っていかれたのかな…。
プリクラを持っていられた、うん、絶対に愛されていましたよ!
最後の『心の中で笑顔で笑っているお父さんに塗りかえられて』
思わず、涙ぐんでしまいました。
大切な方を無くした痛みは、早々に落着く物ではありませんよね…
日にちが経つにつれ、寂しさがこみ上げてくるものです…
どうか、お身体を大切にして下さいね。
兄が一週間前に亡くなったばかりです;;
いなくなってみて もっともっと話をしておけばよかったとか・・
もっと・・涙。。。。
まだ 気持ちの整理がついてません。
よく気丈に がんばったよ・・・・・
プリクラを持ってることが 全て物語ってる気がする
カワイイ娘だからこその 愛のムチには、抱えきれないほどの❤が込められていたと思います(T_T)
Rinaサンの思いがすごく伝わってきて…涙してしまいました。
片思いではないと私は思います。
ただ少し気持ちがすれ違ってただけだと。
きっと お父様も すぐそばで 見守って下さってます。
突然の訪問とコメント…失礼いたしました。
気が付かされたり、気が付いていたけれど、父が生存の頃は、まだ生きてるから・・・・と
逃げていたりしていた事に気が付きました。
人って、居なくなると改めて気がつく事が多く、過去の人生においても
振り返る事で気づく事って、30年生きてきて、改めて気づく事が多く、何でその時に
気が付かなかったんだろうと、後悔もするけれど
父は父なりに、一生懸命愛してくれていたんだと。
※コメントの中で、長女だからこそ、教える事が多く、より厳しくした・・・・
あたしの場合は、人一倍厳しくしたのには理由があった気がします。
あたしは、人と違い「癲癇」と言う脳の病気を持っています。
普段は普通の女の子だったのですが、障害にしては、かなりハードルが高く
学生の頃は癲癇の事で、イジメに5年間遭っていました。
それを見ていた父は、人一倍、あたしを成長させたいと
妹や弟より、厳しく躾けたのかもしれません。
特に、あたしはイジメを受けた事で、心が歪みきっていましたから^^;
今では、予想でしかないのですが、子供を持つパパさんのコメントで
気がついた事、同じ感情で父を見ていた方など、色々な方のコメントで
あたしの気持ちの整理も、少しずつ、心が軽くなってきたような気がします。
(コメントって偉大ですね)
顔も知らない、友達申請もしてない、チャットもしてない方たちなのに
こんなにもリアルタイムで、温かな言葉や、優しいコメント。
嬉しい気持ちで胸がいっぱいになりました。
人って、こういう状況だからこそ、言葉を求めるのかな。
ありふれた言葉ではなく、気持ちの面での「言葉」が大事になってきて―・・・・
表面上の言葉を、父が亡くなりたくさん頂く事が多い中
あたしを知らない方たちから、身近にこんなに欲しい言葉を頂けるなんて。
もう、言葉が出てきません。
人との繋がり、親との別れ、あまりにも言葉では言い表せない具合
色々な感情・・・・・
ほんとうに、たくさんのコメントありがとうございました。
涙でます…でも、なんだか、片思いはお父様もだったのかな、って思いました。
お互い別な形で思いあっていたんだろうって。
離れないと見えないこころもありますね。私も両親を無くしてから、見えなかった部分を沢山
発見しました。親子というのは特別すぎる関係のようで、なかなか単なる人としてみることが
できず、過度に従ってしまったり、意味を大きくとらえすぎてしまったり、いろんな歪みは
まだ自分のなかにあります。でも、昔のように、捕らわれて身動きできなくなってしまうような
ことは、減っていくようで、それもひとつの成長なのかなと思ってみたりします。
語りかけ、理解するごとにRinaさんも、心の中のお父様も、成長していきますように。
ご冥福をお祈りいたします。
私は2児の父ですが、やはり上の子には厳しいですね。
本人は迷惑かもしれませんが、良い子に育ってほしい、将来に向けて何かこの子に身につけさせよう、自分のできなかったことが出来る子になって欲しい・・・ともかく親の期待を一番背負わされているんですね。
親も子育ては始めてなので、伝えたいことが上手くつたえられない歯がゆさがあり、声を荒げてしまうこともしばしば。
下の子は2回目で慣れてくるというか、伝えられないことも経験済みなので、心に余裕がある。
上の子は大きくなるにつれて、伝えたい大事なことが増えてきます。
まちがった方向に少しでも行きそうになったら慌てて先回り、軌道修正!
何とか伝えたい、わかって欲しい、つねに全力投球です。
きっと私も子供からみたら怖いパパなんだろうな。
あなたのお父さんも、あなたの事を大事に思っていたと思いますよ。
お父様のためにも、あなたが幸せになってくださいね。
長文スミマセン。
お父様のご冥福をお祈りいたします。
いなくなってから、大きい存在だったことに気がつくんですね。
それが、生前のときとは違った感覚で、
世間でいう、孝行をしたいときには親はなし。
といってます。
こんな気持ちになったヒロケンは、今は、父も母もいません。
両親が亡くなってしまうと、ホントに寂しく、
怒られることも、励まされることもないんです。
今でも、両親のことを思いだしたときは、寂しさで泣きたい気持ちになってしまいます。
だってもう会えないんです。
お父様はきっと、Rinaさんを見守ってくださってると思いますよ。
ご冥福をお祈り致します。
癌でこの世をさった父の事が頭に過りました。
他の病気でも入院にていて家にいる事が少なかったからか
もう11年も経つ今でも認めれず、そのうちに
「ただいま~」
って帰って来るんじゃないかっていつも思ってます。
あんまり話した記憶はないし、避けていても
居なくなってからは、好きだったんだなーって思います。
過去では色々とあったかも知れませんが、
すべてが
”お父様からの愛情だった”
って思えるようになると良いですね☆
四十九日が終わるまでは自宅に居るって言いますから
顔を見せに行くのもいいかもしれませんね。
満面の笑みで迎えてくれると思います。
オヤジの存在を、今の私自身は実感できていないだけ……。
大抵、亡くなってから故人の偉大さを知るのかもしれません。
Rinaさんの胸の中に、いつまでも笑顔のお父様がいらっしゃる事を!
正直な気持ち、感謝の気持ちです。
家族の繋がりの、表向きの部分じゃなく、根っこの部分の大切さ。
改めて気付かせてくれた気がします。
ご冥福をお祈りすると共に、ご家族のこれからに幸あることをお祈り致します。
厳しく育てられたのは、やはりご長女だからだと思います。
その分、妹、弟さんには厳しくしなかったのかもしれませんね。
今は自分の感情に正直にしていれば良いと思います。
泣く事を我慢する事もなければ、怒られて怖かった恐怖の対象を
無理に笑顔にする必要もないと思います。
今の気持ちを顕にしたほうが良いと思います。
そうしなければ、自分の体にも変調をきたしてしまうかもしれません。
ご自愛下さいませ。
時計・・・ずうっと動かしてあげてください。。。
お父様が天国から一番強い気持ちで見守っているのは・・・Rinaさんだと思いますよ。。。
おかえりなさい。
今はただ、自分の感情をすべて受け入れてあげて下さい。
それだけで、いいのだと思います
私も、来週父の新盆を迎えます。
お帰りなさいと言ってあげるつもりです。
ここに何を書いていいのか解りません。
言葉は空ろだし。
でも、お気持ちは充分お察ししますし、私にも同じような思いがあるのですから。
居なくなるとね・・・
気づく事は多々あります。
私にとって父親との思い出は、いいことはなかったです。
怒られ殴られ・・・
でも私も父となった今、過去の父親は許せるんですよ~
いままでの倍たくさん楽しく
生きていきましょう^^毎日笑顔で!!
その姿を見たらお父様も
天で笑顔で見守ってくれるかもしれません
がんばってください^^
一番最初の子はなに対しても初めてだから全てに対して、親も初めて。。。
つい厳しくしてしまったのかもしれませんね。。。
ご長女だからこそ厳しくされたのだと思いますよ。
わたしもそうでした。
妹や弟には甘いのに、家の手伝いとか門限とか欲しいものに対してとか
わたしにだけ厳しくされました。
しかしそれが今、役に立っている時もあります。
本当のところは誰にも、お父さまご本人にしかわからないことかもしれませんが
深いちゃんとした理由がおありだったのではないかなと思います。
お父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
私事で大変お恥ずかしいお話ですが、実は私の母は。
実家と仲が悪く。
実の父親が亡くなったのも知らされず。葬儀も終わった後に人伝いに死んだことを聞いたという
悲しい出来事がありました。
親子の距離というのは、一度離れるとそんなに遠くなってしまうものかと
なんだかさみしい思いをしました。
幸い私は父と母に大事に育てられ、感謝もしています。
母が乳がんになったのですが。
いざ死んでしまうかも知れない・・・と思った時のあの恐怖はなんともいえませんでした。
(ちなみに母は無事健在です ^^)
肩をおとさず、ゆっくりといろんなことに向き合っていきましょう。
長くなってすみません・・・。
お父様のご冥福をお祈り申し上げます。
なぜ?
そう思うことがたくさんあると思います。
でも、全て一つ一つ意味のあることなんだと思います。
お父様が亡くなられて、気づいたこと、学ばれたこと、たくさんあると思います。
これからも前を向いて生きていって下さいね。
ご冥福をお祈りいたします。
辛いとは思いますが、がんばってください。
ミルフィも父親を癌で亡くしました。
その前後に色々とありましたが今はちゃんと前を向いて生きています。
がんばっていきましょう。
溢れ出てきてるように感じました。あたしの弱い部分を、唯一見せられるのはブログだけ・・・・
言葉にすると思うように言葉にならないのと、家族には見せられない部分を
文章として形にする事で、あたしの気持ちが少しでも整理出来ればと・・・・・・・(^^;
家族が亡くなるって、ずっと一緒に居る人。それが当り前過ぎて、理解するのに時間がかかる。
大嫌いだと思っていた父親が、こんなにも大好きだったなんて。
色々な想いが溢れ出て、少しおかしくなりそうです!
でも、踏ん張らなきゃいけないんですよね。だって、あたしは生きてるんですもん…。
※皆さん、コメントありがとうございました。少しずつ、お父さんの記憶をブログに書いてもいいかなぁ・・・・。
たぶん、皆さんが驚くようなエピソードな気が(笑)
でもね、それでも大好きなお父さんだった事に気が付いた。とは言え、怖い父親だったなぁ・・・
なみだが止まりませんよね…。
いつも厳しかったお父さんだけど、プリクラを常に持っていたように
Rinaさんのことを思わない日は無かったと思います。
一番上って事で弟さん妹さんの見本になるように躾が厳しかったのかもしれませんね。。
これからも何かあった時は必ずお父さんがそばで見守ってくれています。
Rinaさんもお疲れ出ないよう、ご自愛くださいね。
訪問ありがとうございました。
お初でしょうかね!?
2年半もの闘病生活は、お父さん自身そして家族みんな
辛い事だったでしょう。・゚・(ノД`)・゚・。
お父さんの存在の大きさに気付けた事
今まで怖がっていたRinaさんに、お父さんが勇気を与えてくれて
これからも頑張ってとメッセージを残してくれたんじゃないかと思いますよ。
お父さんの形見を大切にして下さいね☆
しばらくは、家族みんなゆっくり過ごせますように・・・
泣いったっていいよ。
ただ塞ぎ込むと知らない内に体調悪くなってる事ありますので心配です。
家の親父がそうでした・・・
無理せずにゆっくりね
きっとRinaさんの思い届いていると思います。
思いを改めて育まれますよう。
以前から、気になっていたのですが・・・
元気をだしてね!
たんぽぽです。
こちらに訪問させていただきました。
お父様のご冥福をお祈り申し上げます。
個人的な体験ですが、
親族や家族のご不幸、長期の看病の後って、
気付かないうちに疲れがたまっていたりして
一ヶ月後に自分の具合悪くなるというのがままありました。
RINAさまも、お体ご自愛ください。
長々と失礼いたしました。
お父様ゎまだRinaさんの心の中で生きています。
だから、Rinaさんも前を向いて将来を歩んでいってください。
そうすればお父様も喜びます。。。
ご冥福をお祈りいたします。
癌ということですのでざぞかし苦しみ耐えながらの最期を向かえたのではないでしょうか
お父様が故人となった今貴女にできることはお父様に手を合わせて心を開く事だと思います
人は、その人が亡くなって初めて大切な人だったと気が付くものです 私もそうでした
私の父は亡くなって既に20年になりますが未だに私の心の中にいます
コメントを打ち込んでいる今も・・・
今年は初盆となるでしょうからしっかりお参りしてあげて下さいね
ご冥福をお祈りいたします・・・。
Rinaさんが言う通り、居ないところで褒めてたんじゃないかな。
お母さんを大事にしてあげてくださいねd(ゝ∀・)
そのプリクラがすべて知ってるような気がします
きっと面と向かって言えなかった言葉を
笑顔の娘に語りかけていたのでしょう
合掌
この言葉はきっとお父さんに届いてますょ^^
私のお父さんは、私が小学校入る直前にお母さんと離婚してしまぃ、
それから最初はちょこ②会いに行ってたものの、
高学年になったころには、完全に会わなくなりました。
私は、お父さんに殴られた覚えや、
夜中にお母さんとお父さんのケンカを止めに行って、
たたかれた?ことしか覚えていません。
保育所の時の話ですからね・・・
お父さんは料理人だったので、
お店には食べに行ったことはぁりますが、それからは・・・
私は、お父さんのことを思い出すとぃろ②、つらかった記憶がよみがえってくるので、
思い出さないようにしています。。。
だけど、おばさんはこぅ言っていました。
「お父さんは優しいところもぁったょ」と・・・
長々のコメですみませんでした・・・
ご冥福をお祈りいたします。
ご冥福をお祈りします。