南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)とは?
- カテゴリ:日記
- 2013/06/11 22:12:21
南無阿弥陀仏
阿弥陀仏に帰命する。
阿弥陀仏に助けていただく。
そう、ZEROになるために。
お返しする。身体はいずれ塵に。
心と魂も「お返しする」
お返しさせていただく。
身体は塵になっても、心という器は消えません。
だから・・・自分から死んだりしないでくださいね。
心は残ります。
その心は小さいの数えて行くと100ほどあります。
それが8個の集合体にまとまり、さらにその8個を束ねているのが魂。
古事記に出てくるヤマタノオロチという怪物は偶然8個の頭があるわけではありません。
魂の在り様を伝えているのだと思います。
魂はもちろん残ります。
それは宇宙や空間が、ボクたちが生まれる前から存在するのと同じように。
魂になった途端、ボクたちのアドレス、住所はこの3次元から離れて行きます。
そしてボクは自分の行き先が、地獄の最下層であると心得ています。
そんなひとかけらの善も為せない自分をお救いくださったのが、南無阿弥陀仏。
阿弥陀様なのです。
阿弥陀様に救われたと・・・理解できる瞬間。
キリスト教的に言うなら「父なる神の住む住まいに住ませていただけた。もっとも神に近き場所」
そこに辿り着く唯一の道は・・・そのままのあなたでいい。
そのままのあなたでいい。
本気でそう認めて行くことです。
そして認めて行く時・・・南無阿弥陀仏と、唱えるなら阿弥陀様の神通力によりて、認めるのを助けていただけます。
何故かそうなるのです。説明は不要です。
理科の実験と同じです。
Aという薬とBという薬を混ぜれば、必ずCになる。
みたいな。
1+1=2 と、算数の答えが変わらないのと同じです。
南無阿弥陀仏。阿弥陀仏は唯一の所持者にして王の中の王。アラーであり、父なる神であり、すべての神の王にして・・・引き寄せの法則では「すべて」。
ZEROになるという事です。
ひと言で言うなら。
ZEROである事は癒されます。
ZEROという響きに癒されます。
ZEROになることに憧れます。
ZEROに戻るには一番わかりづらい「自分」を知る事。
だから・・・そのままのあなたでいい。
そうやって自分を認めて行く。
嫌な自分こそ。
それは自分では無理な時がやってきます。
そういう時に「南無阿弥陀仏」と、助け求めてくださいませ
こんな私でも・・・救ってください。
と。
あい
「人は神が もういいよ と言うまで勝手に死んではいけないんだよ。」
何で読んだかも忘れてしまいましたが、
ずっと頭の中に残っています。
「もういいよ」
神さまに許してもらえるその日まで、
ズルをしないで一生懸命生きていく。
さえさん経由で、おうかがいしました。
私の実家は、浄土真宗西本願寺派です。
子供のころから、「南無阿弥陀仏」になじみがあります。
ただ、私は、オールorナッシングなので、一神教の方が、わかりやすいです。
私の大好きな歌「いつも何度でも」の歌詞を思い出しました。
はじまりの朝の静かな窓
ゼロになるからだ 満たされてゆけ
私自身の考えでは、善をなしたいと思うことが、善をなす第一歩。
あまり、謙虚になられなくてもいいと思います。
さえさんも。
リルルさん、あなたもご自身も。
ちょっと心配になってました。2日ほど更新がなかったので。