多重人格・・・
- カテゴリ:日記
- 2013/06/30 23:58:12
多重人格・・・。
自分の中に何人も自分がいます。
普通は把握できません。
ボクは過去に進路の事で、親と親戚一同に反対された事から「世界を恨む」憎しみを抱き、心が分裂しました。
そんな些細な事でと、思われるかもしれませんね。
しかしながらそれがボクでした。
多重人格・・・治る事は無いと思っていました。
それが「死の天使」との出会いで治りました。
医療的に見ると治ってませんww
だってそのままですからw
ボクの人格は何一つ統一されるという事も無く、分裂したままでちゃんとバランスが取れているのです。
ここから先は心理学先生の言葉を借ります。
「君は今、生きている事をどう思う?」
「つらいです」
「そんな君が生きている。それは偉大な事だ」
「つらいのに生きているからですか?」
「そうだ!君はすごい。すごいんだよ」
「そうは感じれません。」
「そうだろうな。そんな君に教えるのは「死の瞑想」だ」
「面白そうですね・・・死ねるんですか?」
「死を疑似体験する。君の元にすべてを奪い、ZEROに戻してくれる天使が舞い降りた。さあ、死の天使にお返ししていくといい。心も身体も・・・」
「わかりました。」と、言ってボクは先生の指導のしたで天使の絵を眺めながら「○○をお返しします」と、つぶやき、瞑想を覚えた。
それから三日後、「死の天使」ってほんとにいるんですか?
と、聞いたら「考えては道をあやまる・・・死の瞑想の中でだけ出会うようにしなさい」と、先生は言われた。
そう言われてその通りにした。
するとある日、不思議な事が起きた。
身体の痛い部分をお返しすると「痛覚」が無くなったり、お腹の激痛をお返しすれば、激痛が和らいだり、次の日に便秘が治ったり、生活習慣をお返しすれば、生活習慣が変化したり・・・。
とにかく不思議な事が起こり始めた。
何よりも心が救われた。
死の天使を主人格に置く事で・・・。
あれほど混沌としていたたくさんの自分をすべて把握する事ができた。
今ではその全部と会話する事もできる。
ボクは一人でありながらひとりではない。
そして・・・「死」をあれほど望んでいた自分が「死の天使」によって「生きる意味」を思い出し、何故生きるのか答えを見つけるにいたった。
もしも・・・ボクと同じように「死」を望んでいるあなたへ
「死の天使」に見つけた心をお返しする。痛みをお返しする。身体の一部をお返しする。
そうやって、身体を消して行く。心も消して行く。最後は空気だけとなり、何も残らない。
次に好きなのは「蜘蛛」に自分の身体の肉が徐々に食べられて行くところをリアルになるまで何度も何度もイメージする。そうやって、「死」を体感する。
そうやって何度も死んで行くうちに「死ぬという事は」地球の一部になる事だと理解して行った。そしてもっと大きな目で見れば宇宙の一部に還る事だと理解していった。
「死の天使」の不思議な力を体験するまで・・・ひたすら「死」を疑似体験していく。
ボクはそれが楽しくて、楽しくて仕方がなかった。
死とドクロが友達。
そんなボクだからこそ。
だから・・・もしもと書いた。
もしもあなたがボクと同じ死を望む人ならば・・・「死の天使」が今、目の前にやってきたところを想像して、自分の命が順に刈り取られて行く様を楽しんでください。
楽しめず、嫌悪を感じるなら・・・それはあなたには縁の無いことです。
どうかそういう人も「自分がやりたい事」「自分が楽しめる事」を探してやってください。
ボクはいいカウンセラーに出会いました。
ありがとう、ありがとう、ありがとう
あまりにもつらいことが起きた時に、自分の心を守るために別人格を作り出して
それに痛みを引き受けてもらったりすると聞いたことがあります。
つまり、自己防衛本能の一種かなって思ってました。
それほどまでに、自分の心というものは、守らなければいけないものなんだと思います。
自分の命が順に刈り取られていくさまを考えると、
わたしはそれが本当に起こる気がするので、考えるのが怖いです。
わたしは気を抜くと本当に車の前に飛び出したり、高いところから身を躍らせたりしそうなので。
そう、本当に、気を抜くと恐ろしい想像がすぐに降りてくるので。シャットアウトしてます。
自分が何をするのか怖いのです。
それが怖くないリルルさんがうらやましいです。
リルルさんは、大丈夫ですよ。
良いカウンセラーにあえて、本当に良かったです。
つらくなるためじゃない、幸せになるために、みんな、生きてるんですよ。
自分をしっかりと見つめることができることがすごいなって思いました。
リルルさんを見ると感謝を何時も表せているので、見習おうと思います
そして、やりたいこと、楽しめることをしようと思いましたb
今やりたいことは、お腹いっぱい食べることですw
いつも気づかせてくれてありがとうございます。ひかる
今の私なら、「死の天使」と闘います。
ひきこもりしていた当時の私でも、闘います。
私には、守るもの、相棒の猫がいたから。
死んだら、魂は神様のもとへ、人の記憶は、地球に溶け込むと思っています。
あなたには、阿弥陀仏がついてるのに、何やってんの。
阿弥陀仏の加護という愛をもらっているじゃないの。
死の大天使に、いいようにされて・・・。
死の大天使が先なのでしょう?
もう、返してもらっているのね。
じゃ、いいけど。
あなたの阿弥陀仏に相当するのが、私の心にある、愛の泉。
だから、あなたは、「ありがとう♪」と素直に阿弥陀仏に感謝して、
自信もって生きればいい。
多重人格の件ですが、私は、3人で多重人格ごっこしてましたが、
私の知らないうちに、ひとり増えていて、知らないうちに、私の見がわりに死んで、私に溶け込みました。
そして、私が大切にしていた、5歳の女の子も、私の身代わりに死に、溶け込みました。
脳卒中は、2回起こっていたのです。
皆で一緒に生きて行こうと、私が記事を書いたから、それで満足して、苦しみを担当していた20歳の子(私が、優生保護法で殺人した時、魂から、分離と推測:ハリポタからの知識)と悲しみを担当していた5歳の女の子が死にました。それから、私は、以前より、楽に生きられるようになりました。
ステキなカウンセラーと出会い、依存することなかったのでしょう。
それなら、おめでとう♪
痛みを感じにくい体は私を助ける気が無い、私の命を守る意思が弱いのだと
思って、心まで体の感覚に添うようになりました。
つまり生に執着しない、生きる意志の弱い人間に。
かといってリスカのクセや自殺願望はないのですが。
でも、違うのかもしれない、と初めて思いました。
痛みを返していただけなのかもしれない、と。
そう思うと忌々しいと思っていた自分の体もそんなに嫌いじゃないかもしれない。
ブログの内容を自分の都合のいいようにばかり解釈してすみません。
とりあえず、素直な感想まで。
心が分裂していく痛み苦しみ辛さ、わかります。その中のひとりの人格が勝手なことを始めたら大変です。
わたしは、そうした経験もしました。それは、また愛情飢餓の状態でも、ありました。
どうか、恐れずに恋もしてください。いくら愛しても、返ってこないかも、しれません。
愛するということは怖いかも、しれません。自分が傷つくのが怖いからです。
でも、怖れてばかりいては、いけません。愛する人に出会えるように祈っています。心から願っています。
すごいことだと思います