Nicotto Town


COME HOME


「しあわせのくじら」

辺りはすっかり夕暮れ。目を見張るほどの美しい紅色のグラデーションだ。
私と息子が下る坂道には、掌同士をを結んだ長さの違う黒い影が映っている。
前に進むたびに隣の影の頭がひょこひょこ揺らいで、何とも心が和む。
純一が痛がらない程度に手を握り直せば、嬉しそうに顔を緩め、繋いだ腕を前後に大きく揺らした。

「いたたたた。それじゃパパの腕が取れちゃうよ」

聞きわけの良い純一はすぐに腕を振るのを止め、また先程のようにつま先を見ながら小さな歩を進める。それに私は歩幅を合わせる。注意しない方が良かっただろうか、と少しばかり後悔しながら。しかし親として、人の言う事を受け入れる立派な人間に子供を育てなければなるまい、と自己完結し苦い気持ちを振り払う。

それから黙りこんでしまった純一。まずいな。口数はもともと少ない方で、普段話す相手はママと少数のお友達だけなので、滅多に口を交わした事が無いので会話が続かない。
普段してやれない父親業をここでしてあげたい。ママにばかり親づらさせたくは無いし、私にだって、父親としてのメンツがある。小さな闘志が、今の夕焼けと同じ色をして燃えた。
誰かと喋るのはこんなに難しかったか? それとも相手が5歳児だから?
必死に紡ぐ言葉を探す。そうして妥当に

「純一は大きくなったら何になりたいんだ?」

と、テレビなんかで見かけるホームドラマに出てくるような父親のセリフを使ってみた。
相手はまだ小学生に上がる前の男の子。まともな答えは期待していない。でもさすがに、「くじらになりたい」と返ってくるとは思っていなかった。

「ジュンはね、大きくなったらくじらになりたいの」
「は?」

あまりにも予想外すぎる。まさか同じ哺乳類でも、住む場所が違う生き物になりたがるとは。
その理由も見当たらない。何かの冗談? 純一は、普段見せないような真面目な顔だ。
どうしよう。育て方を間違えたか? いや、それともこれが普通?
自分のその当時や、周りの同い年の子の必死に言動を思い出す。そうしながら、純一に焦りを気づかれないような声色で「どうしてだい?」と聞き返す。

「うっとね、ジュンはくじらになったら背中にパパとママを乗せて、どこか遠い綺麗なところに連れてってあげたいの」

なんて親孝行な息子なんだろう! 小さな我が子が、今最も信じるべき大きな存在に見えた。心なしか、純一の澄んだ眼にきらめきが宿ったように見える。

「だから、ジュンが大きくなるまで、パパはママと一緒に待っててね」

広い海原を思わせる何とも穏やかな純一の笑顔。
ああ。
パパはいつまでもママと待ってるよ。
純一が、しあわせのくじらとなるその日まで。

アバター
2009/08/08 21:55
みかのさん>

子供は本当に羨ましいくらい純粋ですからね……。
アバター
2009/08/08 17:33
(TдT) どばーっ
感動しました・・(´;ω;`)ウッ…
純一くんの純粋さがこころに沁みました。
いい話ですなあ・・・



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