Nicotto Town


ぺんぎんうどん


◆ 海に宿る月 2

http://www.nicotto.jp/blog/detail?aid=50951888 からの続きにゃ★



◇◇◇◇◇

 すっかり外が暗くなった頃ようやと帰った母親と遅い夕食に箸をつける。
 今年もにがうりの季節になったと佐和子が嬉しそうに言えば、母親がその味を褒める。素材も良いが佐和子の腕も上達したと。
 そして会話の流れで、もう何度目かの話を母親がさり気に切り出す。
 広い古い家。街から遠い村。バスは朝と夕の通勤時間を除けば三時間に一本。
 母子二人で住むには寂しく不便で、不用心が過ぎる。
 この家を売って街の手軽なアパートに引っ越せば、佐和子の掃除の手間は減るし、何よりも暮らしは便利になる。
「あんたもじき受験やし、塾にも通いたいやろうに」
 言われて佐和子は箸を持つ手を止める。
 テレビではお笑いの番組が流れているにもかかわらず、部屋の中で冷めた空気が漂う。
「街やったらスーパーも近いし、学校の友達も近所にようけできるやろ。それに……」
 何よりも、海が遠くなる。
 毎年、子供達が海に飛び込み歓声をあげるこの季節になると、母親の胸にも蘇る八年前の夏。娘があの日以来海を恐れて桟橋に足を踏み入れる事も出来ない症状を不憫に思わないわけがない。
 ゆっくりと喋りながら一口一口、休み休みに箸を動かす母の手元を見て、
「なぁ、そのにがうりの煮物、うまくできたと思わん?」
 佐和子は笑って話しを変えた。
「今日ヨシ婆ちゃんにもろうたんよ。まだいっぱい畑にできよったけん、この夏もようけ食べさせてもらえるなぁ」
 とってつけたような笑顔に、母親は箸を置いた。
「なぁ? 佐和子? もっと自分の事を考え? あんたはもう受験なんやし、塾だって行きたかろ? それになぁ」
 こんな広い家の中で、自分が帰ってくるまで娘を一人で置いておかねばならない事に胸が痛んだ。大人の自分でさえ、夜中にふと目覚めれば心細さと寂しさで体が震える。なまじ、かつてこの家が賑わいでいた頃を知っているだけに。
「あん頃は家の中で絶えず誰ぞの声がしとったねぇ。正月には土間で餅ついて、盆には庭で麻殻炊いて。
 けんど今ではうちら二人きりで、広すぎる家は……何や寂しいわ」
 佐和子が中学に上がった日から何度となく繰り返されてきた母親の話。
 そして佐和子の返事も、同じく何度となく繰り返される。
「お母さん、それでも私、ここがええんよ。
 海は確かに怖いし、広いこの家はほんとに寂しいけんど……」
 ふぅ、と母は小さくため息をついて、再び箸を持つ手を動かし始めた。
 佐和子がその答えを口にしたら、もう何を言っても気持ちは揺らがない。
 この村にどんな思い入れがあってか。恐れる海も寂しい古い家も及ばないほどのどんな愛着があるのか。一度たちりもこの話に、娘は良い顔を見せてはくれない。
 しょうがないわ……まぁ、またいずれかの折に……母の胸の中で家を処分して引っ越す話はまた持越しとなる。
 その胸中を知ってか知らずか、佐和子の心の中で違う想いが、ふくらみ揺れた。

 ―― りりちゃん ――

 幼稚園最後の年の冬。佐和子が世話をしていた茶色いウサギは、とても静かに寿命を終えた。
 珍しく雪の積もった朝だった。
 雪のせいで随分遅れたバスに乗り、幼稚園に着いて教室へ行くよりも先に向かった小屋の中。
 若いウサギたちが佐和子に気付いて餌をねだり走り寄る姿を余所に、茶色いウサギはひっそりと眠っていた。
「りりちゃん?」
 寒いのかな? 心配になって戸を開けて中に入る。パサパサの毛並みが年齢をうかがわせる。
「りりちゃん、寒いん?」
 眠っているのであったら藁でもかけてやろう、そう思いながら抱き上げたウサギは、冷たかった。降っている雪よりも、頬を刺すような風よりも。
 どっしりと重い体。閉じられた瞳に薄くこびりついた、赤茶けた目やに。
 ぐにやっと柔らかい腹に反して、硬い腕と足。
「りりちゃん?」
 喉の奥から流れ込むざらざらとする空気が、胸をはたはた震わせながら鼓動を早める。
「せんせぇー!」
 茶色い塊を抱きしめて、教員室に駆け込んだ。

 幼稚園の片隅に、所狭しと小さな板切れの並ぶ場所がある。飼っていた動物昆虫の眠る場所だ。古い板は、もうそこに書かれた文字すら消えて読めない。
 そこに新しい板が植えられた。りりちゃん、と、覚えたてのおぼつかない文字の書かれた板。
 佐和子は泣きながら板にウサギの名前をつづった。
 その横で園長が語りかける。
「大往生て言うんよ。りりちゃんはもう歳やったけんねぇ。皆に大事にされて、嬉しかったろう。
 特に、よう面倒みてくれた佐和ちゃんに、ありがとうて言いながら死んだんよ。
 やけん、天国でも幸せにおってね、て、お祈りして、埋めてあげようね」

 死は珍しいものではない。
 年寄の多い村では、絶えずどこかで誰かの葬式が上がる。
 老いての死は祭だ。
 皆偲びながら思い出話をするうちに、葬式はやがて祭りになるのだ。
 だから佐和子にとっても死は遠い話ではなかった。
 ただ、今まで見知った死と違ったことは、自分より小さな生き物が死ぬということだった。
 佐和子にとって、死んでゆく殆どの命は、自分より遥かに大きく、見た目にもはっきりとわかる年寄りばかりだったから、自分より小さく見た目にも年齢のよく解らないウサギの死が理解できなかった。
 墓標を作り、抜け殻となった肉体を埋めてもなお、理解できなかった。
 佐和子の小さな胸の中で、りりちゃんの死は受け入れられることができなかった。



「りりちゃん……」
 夜も更けて、眠りにつくはずの布団の中で、眠れずに、あの幼稚園の頃を思い出す。
 そしてあの時、あの海の中。
 溺れて苦しくて諦めて、死への扉をくぐりかけた自分を助けてくれた、あの何本もの触手。
 誰に話しても『極限状態で見た幻覚やろう』と相手にされなかった。
 それでもしつこく話そうとすると、溺れかけたショックで頭がおかしくなったと噂が流れはじめて、やがて誰にも話せなくなってしまった。
 だけど、あの時助けてくれた茶色いふわふわの塊は、確かにあのウサギに見えた。
 りりちゃんは死んでいなかったのだ。どういう理屈かはわからなかったが、とにかく、埋めたはずのりりちゃんは土の中から這い出て、住処を海に変えたのだ。
 そして海の中で息ができなくて苦しんでいた自分を助けてくれたのだ……
 佐和子はずっとそう信じていた。
 年を重ねるほどに、それがいかに現実離れした話であるかを思い知ることとなっても、それでも信じ続けた。

 ―― りりちゃんは確かに海の中で生きていたのよ ――

 引っ越しをしようという母親の提案を拒否してしまう、それが理由。
 りりちゃんはきっと、今も海の中で生きている。

 海は怖い。
 溺れたあの日からずっと、怖い。
 けれどそこには、かつて大好きだったあのウサギが住んでいる。

 もちろん、中学生になった今では、それを盲目的に信じているわけではないが、あの日、自分を助けてくれた茶色に蠢く塊を、今でもはっきりと覚えている。
 薄く開いた瞳に入ってきたのは、何本もの毛糸を束ねたような大きな塊。

 りりちゃんでなくてもいい。
 けれどもう一度……
 自分の命を助けてくれた、あの不思議な生き物に会いたい。




◇◆◇ 続くんだにゃ ◆◇◆

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2013/07/18 14:11
助けてくれた触手。

大人から見れば混濁していく意識が見せた夢と片づけられてしまうのかも知れないけど、
佐和子にとっては確かに存在したものなんだよね。

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2013/07/17 22:47
>スイーツマンさん

何だかダラダラと長い話になってしまいました~(^_^;)
これでも最初の原稿から、随分端折ったのですけど…
老いた兎さんの活躍…ドキドキ^^;
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2013/07/17 07:35
たしかにきついですね
子供ならなおさら
しかし連想される
助けてくれた存在とはいかに…
あるいは老いた兎が伏線に
またのちほど
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2013/07/09 22:56
>かいじんさん

読んでくださってありがとうございます^^
人間より長命なペットってそうたくさんはいないので、ある意味宿命ですねぇ…
命の大切さや意味を教えてくれる小動物たちに敬意を払います><
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2013/07/08 20:46
小さい時はペットの死とかはかなり辛いでしょうね。
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2013/07/07 22:40
>あすたてゅーぬサマ^^

とにかく、現代は『家で死ぬことが不可能に近い』時代ですから、
病気も老いも子供達から隔離されてしまって、
どうやって労りや優しさを学べばいいのか、という問題もありますね。
死や危機に対する感覚が薄いのは、現実にそういうモノが見近にないから、
というのもあると思います。
現代なんて、夜も明るいし、便利なコンビニはいっぱいあるし、
世の中が簡単で安全で明るすぎる、というのも、ちょっと気味の悪い現実だと思うんですが、
…こういう考え方は天邪鬼ですねぇ(^_^;)

>無論、大人が隠し、遠ざけようとすればする程、魅力的に見えて、
>子供はこっそり手にして、見たり遊んだりする・・・

そういう『こっそり』から学ぶことも多いのに、今は色んな事がオープンすぎて、
何だかなぁ…て感じです(^_^;)
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2013/07/07 22:30
>百目木さん

室内でちゃんと温度調節して飼っていれば、
冬でもそんなに死なないと思うんですけどねぇ(^_^;)
学校や幼稚園で飼ってるウサギが短命なのは、ストレスなのかもしれませんねぇ…

命の輝き…
大丈夫! あたしの輝きは自分の体重に正比例しています!(ヲィコラマテ)
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2013/07/07 22:28
>おやじパパりん

年頃になっていくと子供は内緒ごとが多くなるもんですよ~
それが良い内緒ごとなのか、悪い方なのか、子供の顔見て判断できるように
今のうちにたっぷりスキンシップして読み取る力をつけましょう、お互いに(・∀・)
心配する時間があったら、れっつすきんしっぷ♡ ですヨー(´▽`)
アバター
2013/07/07 01:42
こんばんは^^ちょみsama^^

死をはじめとする、辛い事悲しい事・・・そして時に残酷な現実から、
遠ざけられてる昨今の子供達。

そして、何より大人たちの側こそが、
そういったものに相対したとき、
どう対処し、子供らに伝えていいのかが、
わからなくなってること、でも有るような気がします。

ゲェムやテレビやマンガの所為で、命の重さが分からなくなってる。
そういう非難をする大人も多いですが、

一昔前の大人なら、それを与えっぱなしにするのではなく、
子供に良くないと思えば、媚びることなく取り上たり、見せないようにしたり・・・
そういった事で子供の側も「ああ、これって良くないものなのかな」と認識する面があった・・・
そんな風に思います。

無論、大人が隠し、遠ざけようとすればする程、魅力的に見えて、
子供はこっそり手にして、見たり遊んだりする・・・そういう事まで含めて、
「対話」する心と時間の余裕も、おとなたちにあった気がします。

そのまま、現代に当てはめる事は、出来ないですけどね・・・何かしらのヒントはある気がするのです。
アバター
2013/07/06 22:41
りりちゃん、名前がいいですね^^ 昔の子どもなら、うさぎだから、みみちゃん♪

でもこの話、わかります。雪の日に死ぬウサギ、なんであんなに多いのかと。
命がある時は、しっかり迫力があったのに、いったん小動物が死んでしまうと、
手足の骨もからだもすごく細くて小さいのに、なんであんなに光っていたのか。

体重比で命の輝きを査定されたら、おとなの人間はみんな失格ですね~
アバター
2013/07/06 22:35
自分の娘ならどうなのだろう。。。

本当の理由をはなしてくれるのだろうか?

思春期の女の子ただでさえ男親などには話せないことが増えてくるだろう

真剣に聴いてくれるという信頼があるから話せるだろう

男親はどこまで娘のこころに寄り添えるのか・・・・・・・・
アバター
2013/07/06 21:32
前回、メロンちゃまのコメントに
「佐和子ちゃんは家庭的な女子高生」って書いちゃったけど、
中学生の間違いですぅ><



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