盆の入り
- カテゴリ:人生
- 2013/07/13 21:28:05
13日は盆の入り、
地獄の釜の蓋が開いて、
両親がこの家に帰ってくる。
でも、本当に地獄にいたのかしら?
私としては門扉の横に植わっている
ヤツデの葉陰にずっといたような気がしている。
ともかく盆棚にお供え物を。
果物をまず二つ。桜桃とスモモ。
そして、枝豆を茹で、
素麺も茹でて、たっぷりの薬味を盛る。
今、私の家の庭では
紫蘇の葉や茗荷が収穫できるから、
薬味には事欠かないのだ。
そして、
いよいよ陽が落ちて、
宵闇の頃になったら、
苧殻を折り、平たい植木鉢の中に盛り上げて、火を点す。
迎え火という奴さ…、うっ、煙い。
瞬く間に燃えつきても、
炭としての赤い瞬きが、
いつまでもメラメラと残っているので、
水をザバリとかけて火の用心。
ちゃんとこの迎えにを見つけて、
迷わずに帰って来られたかな。
今年は叔父さんが二人ばかり、
そちらの方に行ったけど、
仲良くやってましたか。
まあ、ゆっくりして行きなさいな。
そのまま帰らずに、
ここに居着いても、
私の方は別に構わないけど、
毎日お供え物はできないからね、あしからず。
…と言う感じで、
この夏のお盆も無事に迎えることができました。
めでたしめでたし。
私が今住んでいるところは
高度成長期に急速に都会化した町ですから、
8月旧暦のお盆の頃は、
田舎に帰省する人が多かったように思うのです。
ですから、
ここでは7月に盆踊りを行わないと、
8月は皆、帰省してしまって、
盆踊りなんかができないのではないかと思います。
ですから、「お盆休み」は帰省するか、どこかに旅行する時期なのでしょう。
私の場合、
宗教行事としてお盆を大切にしているというより、
死んでいった人が哀れで、
だから、何かしてあげようと思って、
お盆をしているのだと思います。
それに人は皆、死ぬのだから、
私にとっては、人というものが哀れでならず、
せめて何かしてあげたいのだけど、
ただ手を合わせる以外、
何もできない。
その私の気持ちを
お盆という形で表現しているだけだと思います。
ツルゲーネフの『初恋』という小説の、
ラストのシーンが、
私の心情に近いかも知れません。
(あの小説は、
恋の小説というより、
人の哀れさを描いた小説ではないかと
安寿は思っているのでした)。
私は子供のころからずっと8月13日~でしたから、
今一つ馴染みに欠けピンと来ないでいます。
どうやら関東地方とその近隣、そして東海地方などは
主に7月13日~お盆のようですね。
素朴な疑問なのですが、8月中旬の呼称「お盆休み」はどんな感覚なのでしょう?
いずれにせよ、私もお盆の行事はとても大切にしています。
来月のお盆までには、お仏壇の大掃除をしなくては・・・です。