◆ 海に宿る月 6
- カテゴリ:自作小説
- 2013/07/14 12:55:54
http://www.nicotto.jp/blog/detail?user_id=1016286&aid=51049570 からの続きにゃ
◇◇◇◇◇◇
山沿いに上り始めた上弦の月が、その姿を海面に映して頼りなく波に揺られている。
供え物の飾られた縁側に、佐和子はシンと立ち尽くしてそれを見ていた。
来るだろうか? もしかしたらものすごく突拍子もない誘いをしてしまったのかもしれない。考えてみれば少年は佐和子の事を知っているが、佐和子自身は彼の事を殆ど知らない。なのに、こんな夕暮れの時間に家に来いだなんて、言ってしまった事を少し後悔し始める。
飾られた笹が風に吹かれてしゃらしゃらと音を立てた。
佐和子の手には小さく小さく作られた折り紙の輪飾りと、小さな短冊が三枚吊るされ、揺れていた。
「佐和子、晩御飯は食べんの?」
「お母さん先に食べてて」
すぐ後ろの和室から聞こえる母の声に、上の空で返事を返す。
しばらくすると、食事を終えた母も縁側にやってきて務するの隣に腰を下ろした。何を言うともなく、黙って蒸饅頭の乗った盆を佐和子の前にそっと出す。
年頃の娘の夏だ。母本人にも覚えのある感傷を感じるから、何も言わない。
月はゆっくりと昇り、それに合わせて海面の月も沖に向かって流れてゆく。
あの海水浴場の方面からこちらに来るバスはもう終わった。
林の影の下で、淡く微笑んでいた少年はとうとう姿を現さなかった。
「まぁ、本当に来られても困るんやけどね」
見ず知らずの少年を母親に何と説明したものか、考えあぐねていたのも事実だ。ホッと胸をなでおろす。同時に、例えようのない寂しさも冷たく胸に吹き込んだ。
昼間貰った笹の香を嗅いだ。ふわっとするような甘い香は、笹本来の緑臭いそれとは違う。それはいつもあの少年から、風に乗ってやってくる香。妙に懐かしくて、胸の奥がざわざわと揺らされるような香り。
手渡されてからずいぶんと時間が経ったせいか、その残り香は僅かの時間で消えてしまった。
遠い沖で月が揺れる。その灯の中で、波も揺れる。
ぽちゃん、と聞こえたような気がした。
珍しい物音ではない。海の側に住んでいれば、波が堤防にぶつかる音、船が筏にこすれる音、何かしら水音はいつもうるさく聞こえてくる。
ただ、佐和子にとってその時それが妙に気になったのは、その音が遠い沖で揺れる黄色い灯の中から聞こえたような気がしたからだ。
「まさか、あんな遠くから……」
音の聞こえようのはずはない。きっと目の前の海で小石のひとつも落ちたのに違いない。そう思いながら、足が無意識に動く。草履をはいて百日紅の下をくぐり、道を超えて堤防を覗く。
ぽちゃん……
また聞こえた。今度は間違いなく、沖から聞こえてくる。
「何?」
揺れる黄色い影の中、もうひとつ揺れる茶色い影。波間の影とはあきらかに違う。それ単体で浮かんでいるような、何か。
ふうわりと大きく揺れているかと思えば、じっと波に身をまかれるまま揺らいでいるだけのようにも見える。
ぽちゃん……
また、はっきりと聞こえた水音は、確かにあの茶色い影から響いている。佐和子は何の確証もないが、そう信じられた。
あれは……あの茶色い影は……
魚ではない。船でもない。茶色い丸い海の生き物。
佐和子だけが知っている生き物。あの溺れた夏の出会い。
「りりちゃん!」
随分長い年月、口にする事のなかった名前を叫んだ。
沖の影は佐和子の声が届いたように、軽く揺らぐ。
ぽわんと一度大きく浮かび上がり、茶色い体を膨らませて軟らかな月明かりの中に白い雫をきらきらと散りばめた後、静かに静かに、揺れる海面の月の中へと消えていった。
「りりちゃん……」
目を疑うような光景に、再びその名を口にする。
母親が何事かとつっかけをひっかけながら駆け寄った。
「大きな声を出してどうしたの」
「今、あっちの方に……」
「海に何か?」
佐和子は口ごもる。
「ううん、何でもない」
「何でも無いならええけど、大きい声出しよるから何事か思うたやない」
ホッとしながら母は「さぁもう遅いけん、家に入り」と佐和子を促し玄関に戻る。
何度も、何度も沖の方を振り返りながら戻りくぐる百日紅の門。
窓から差し込む月明かりだけが頼りの薄暗い部屋の中。布団にもぐって目を閉じてみれば、更に鮮明によみがえる記憶。
先ほど沖に浮かんだ塊と重なる、あの夏の日に見た茶色い塊。
不思議に甘い匂いのする空気の中で、トントンと優しく背中を叩いた茶色い触手。細長い一本が唇にそっと触れて流し込んできた甘い空気。
―― 同じ?
先ほど見たあれとあの日のあれは同じ生き物なのだろうか。
わからない。
助けられて意識の戻った頃、自分がどうやって助けられたか、話す端から笑われた。誰も信じてはくれなかった。信じて欲しくて何度も記憶の断片を手繰り寄せながら説明したが、やがて佐和子自身、とうとう口にする事もなくなった。
誰も信じてくれない。だけどあれは絶対に、大人たちの言う『極限状態で見た子供らしい幻』なんかじゃない。りりちゃんは確かに存在したんだ……年頃になって父を失った現実の生活の中で、それをりりちゃんだと思い込んでいた気持ちは少しずつ薄れたが、違う形で、りりちゃんにとてもよく似た海の生き物、きっと誰もまだ見たことのないような未確認の生き物がこの海に生息していて、自分を助けてくれたのだ、そう硬く思えた。
いつか必ず、もう一度あの生き物に会いたい。その気持ちだけでいつも海を見ている。
夏ともなれば、自分が大人達に発見されたあの場所、今は堤防が道と海を隔てているが、あの頃はまだ工事中だった、テトラポットの並んでいた海水浴場。
早朝から、佐和子は庭の隅に古いドラム缶を置いたゴミ焼き場で笹を燃やした。母親も出勤を少し遅らせて付き合った。
「それは? その笹は燃やさんでええの?」
聞かれて、手にしていた小さな笹をぎゅっと握りしめる。
「うん、これは流そうと思ぉて」
佐和子の家の庭で飾った、あの少年が採ってきてくれた一枝。できれば彼にも七夕の締めくくりを一緒に見送らせてあげたい。
いつもの堤防でいつものように、「やぁ」「おはよう」と言葉を交わして、どちらともなく堤防から離れて歩き出した。
海に入る細い砂利道を過ぎると、その先には湾を囲むように高い木々を抱えた森がうっそうと茂っている。暗い涼しい遊歩道を歩けばその先には小さな灯台が建ち、眼下の壁にぶつかり飛び散る波しぶきを見守っている。
「こっからやったら、沖まで流れると思うんよ」
遠い沖を指差して少年に示す。
「ほんとに、何も願い事書かんで流してもええの?」
崖の下の風景を眺めながら少年は、「こん、このまま流そう」嬉しそうに小さく笑った。
「じゃ、投げるね」
腕を大きく振り上げて枝を投げると、それは宙で弧を描きながら落ちてゆき、波間に喰われて消えていった。
◇◆◇ 続くんだにゃ ◇◆◇
お褒めいただき照れくさい(////)
描写が多すぎると全体がだるだるになりそうで、
書き込むのも考え物です~^^;
どっかでつながるんだよね。
どうなっていくんだろうなぁ?
海の描写が細かくて、さすがその空気をよく知っている人だなぁと思いました^^
こんなにいろいろな表現、私には浮かばない~!
多分、そんなにびっくりするようなオチではないと思います…(^_^;)
>やあさん
さっくりと盆も通り過ぎてしまいました(^_^;)
茶色くて丸い生き物は、海月(くらげ)?
佐和子を空気を孕んだ触手で守ってくれたのは海月の触手??
海から来るものが怖い…何気に可愛いと思ってしまったではないですか~
ちなみにあたしは、「ジョーズ」を子供の頃見て、数年間海に入れなくなりましたww
>百目木さん
お盆の存在も不思議なイメージ作るのに役立ちます^^
日本の季節への感覚というか、感受性は素晴らしいものがありますね^^
でも夏の暑いのはやっぱり嫌い…(ノДT)
夜の波のしじまに砕け散るように、映って輝く月影を見てると、
あの世界とその世界とこの世界が、違和感なくつながる感じ。
海には月が宿って、月には・・・・・、自在に往還できますね~
七夕からお盆という流れも、自然かもですね。
さっくり通り過ぎた!(゜Д゜;)
そしてお盆に突入していく…ww