Nicotto Town


およよ・れおポン


(KARAKURI on fantasy)INV

この二年半程、なんとなく、本を読んでいなかった。
本当に、数える程、って、あれ?四、五冊?その程度しか読んでいなかった。

それが、ようやく、本を読むような気分がよみがえってきた。
今読んでいるのは、森博嗣ばかり。

自分が、森博嗣のファンになるとは思ってもみなかった。
というか、自分はファンなんだろうか?

もっと違う感情だ。
自分がもち続けて来た空想を、森博嗣は、具体的な文章として結実している。

僕の感性の中心を、鏡に映したかのように、文章の中に見つける事ができる。

それでいて、とてもアタリマエの事なのだが、
森博嗣の書いたものは、僕の想像を超えて、優れた話である。


例えば、今読んでいるのは「カクレカラクリ」。

僕が、映画などを見て、漠然と連想する事を、見事に、それ以上のものとして結実している。

僕は、「カリオストロの城」をみて、その建築を作った人達は、どのようにして作ったのか、何故作ったのか、どのような気持ちだったのか、不思議になる。

なにより、趣味の部分として、その機構は、本当に動くのだろうか、作り上げた人は、よほど楽しかったのではないか、と、連想する。

僕は、「インディジョーンズ」をみて、何故、隠す必要があったのか、神秘の力が介在しながら、なぜ、機械式のカラクリで、宝が封印されているのか、そして、そのカラクリが、千年の時を超えてもなお、作動可能なのはなぜかという興味をもつ。

(カラクリは、映画の娯楽性に必要であって、それ以上の意味は無いらしい。そうした作者の都合も含めて、カラクリの必要性に興味が湧く)


僕の、それらの興味、一般的な空想物語(ファンタジー)の逆関数(インバース)としての空想を、森博嗣は具体的に描写する。

僕の、漠然とした、形にできなかった空想たちを、森博嗣は、僕よりも上手に、僕の想像を遥かに超えて、形にする。


まいったな。
こうした時に、才能に嫉妬するくらいの感情が起こらなければ、いけないような気がする。

対抗意識が起こらなければ、いけないような気がする。

そうでなければ、自分が、創造を好むニンゲンではなくなってしまったかのような、
自分で作らなければ満足しないニンゲンではなくなってしまったような、

自分を無くしたような、
無くしたのは若さか、

不安か、
寂しさ?

虚しい?

やはり、ファンではない。
森博嗣の作品は好きだ。
好きであるからファンであるという式は、一見、成立しそうだが、何かが足りない。

論理式として、「作品が好き」以外のいくつかの要素を含めなければ、
x=FAN
という結果を導けない。

逆に、「作品が好き」以外の要素として、僕の場合、僕の内面としての要素がいくつか入り、ファンに近いが、別の結果になるようだ。

何かが足りないようだし、
何かが多いようでもある。

とりあえず、多いのが、僕自身の創造性であってほしいと、

少し思っている。

#日記広場:小説/詩





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