児童文学の系譜
- カテゴリ:日記
- 2013/07/27 17:56:42
ジブリの教科書2
天空の城ラピュタ
ジブリ×文春文庫
スタジオジブリという会社が発足してから、初の作品となるのが「天空の城ラピュタ」
個人的にはジブリ作品の中で、一番好きな作品。
登場するロボット兵がルパン三世(セカンドシリーズ)の最終回に出てきた「ラムダ」にそっくり、というのもある。
ちなみに「ラムダ」自体、アメリカのアニメ版のスーパーマンに出てきたロボットが元になっているらしい。
(ルパン三世(セカンドシリーズ)の最終回の冒頭自体がよく似ているが・・・)
閑話休題
劇中ではロボット兵は何も語らないが、その行動が多くのものを語っている。
ヒロイン、シータがラピュタ語で「我を助けよ」と言うと、周囲の被害を省みず、シータを守ろうとしたり、誰も住む者のいないラピュタでお墓に花を供え続けていたり、と与えられた命令にひたすら忠実。
ロボット兵は大きな力を持っているが、命令の意味を考える能力はない。
命令を与える者次第で、永遠の整備士、墓守人にもなったり、兵器にもなったりする。
それを言ってしまえばラピュタ自体も同じ。
それ自体には「善」も「悪」もないが、それを使う者によって、「善」にも「悪」にも成り得る。
本書の中でラピュタを原発になぞらえて、論じている人もいるが、それは分からないでもない。
自分では
”「やれるから」ではなく「やるべきか」で考えた方がいい。
「やれるから」で突き進んだラピュタ人が辿った末路は・・・”
と受け取っていた。
ところで、本書で面白かったのは、「天空の城ラピュタ」を児童文学の流れの中で捉えようと論じていた部分。
児童文学では主人公が孤児というパターンが多いらしい。
作品中で「動かしやすい」という現実的な理由があるのと同時に、「家族」をテーマにする時、もってこいの設定だからという理由もある。
その意味ではパズーもシータも、まさにこのパターン。
そして、「家族」は、空中海賊ドーラ一家。
事実、物語後半のドーラはパズーとシータの「母親」そのものだった。
また、「ナルニヤ国物語」や「指輪物語」のように「子供が世界を救う」という件も共通している。
(「指輪物語」のフロドは設定上、50歳だが、ホビット族は小人なので、子供のイメージとして)
世界を救った訳ではないが、「宝島」でも大活躍したのは、主人公ホーキンズ少年だった。
ストーリーが一番似ているのは「宝島」だろうか。
当初、敵だった海賊シルバーは途中から主人公達と共闘。
シルバーは、ラストで財宝をくすねて去るが、この部分だけに注目すると、ドーラ一家とパズー、シータの関係とそっくり。
「天空の城ラピュタ」自体を論じているものは多いだろうが、こういう視点から論じているものは初めて読んだので新鮮だった。
ゼロの状態からよりは、既存のフォーマットを適用した方が分かりやすいですよね。
「古典」と呼ばれている作品ほど、そのフォーマットがキッチリしている、というような事を聞いたことがあります。
>七条、姫さん
ドーラみたいな、じいさん、ばあさんが大活躍する冒険活劇。
違う意味で見てみたいような・・・。
指輪物語もナルニア国も宝島も読んだ事があります^^
(特に指輪物語は大好きで何度も読み返してますw)
言われてみれば、共通する点が多いですね~
若者を主人公にすれば、成長する姿や未来への希望等を書きやすいのでしょうね。
ああいうモノには、一定のストーリーの型があるようですね。
民話や神話は世界中、どの民族のモノでも似ているとか・・。
まったく新しいストーリーだと、読み難くて理解困難になるという説を、
聞いたことあります。
人間の頭脳の働き方と理解の難易度は、関係あるのかも知れませんわ。
というか、頭脳の働き方が、モノガタリの構造を決めているのかも(汗)。