電車にのると、そこは… 2 お堀、隅田川
- カテゴリ:アート/デザイン
- 2013/08/19 16:19:45
そして、金曜日。朝三時四〇分に目を覚ます。今日仕事が終わったらおふねさん(速水御舟)の展覧会にいけるだろうか…。寝ざめのぼんやりとした頭が行きたくないなと思う。けれども絶対に行こうと、心を布団のなかで奮い立たせて。
そしてバイトに行き、終わって、いったんうちに帰ってきた。ほぼ作業着だったし汗だくだったから。それになんとなく家という閾がほしかった。うちという空間から美術館に行きたかったのだ。
もってゆくものを確かめているうち、ふと前売りを買ってあった展覧会のことを思い出す。『花開く江戸の園芸』(江戸東京博物館、七月三十日~九月一日)。なんとなく九月中旬位までやっている気がしていたのだったが、もうあまり行く機会がなさそうだ。おふねさんのほうは十月までやっている。で、急きょこちらに行くことにした。
江戸時代の園芸文化の紹介…。チラシを見ると北斎の《菊図》があった。きっと出会いがあるだろう…。そう思って、前に江戸東京博物館にいったときに購入しておいたものだ。久しぶりに電車に乗る。やはり話声が耳障りだ。通勤で使っていたころは、それでも慣れていたのだろう。今は、こんなにせまい空間で、見ず知らずの他者たちの会話を聞くということに奇異な感じすらしてしまう。耳障りに思うのは、本が読みにくいからだ。本はもうずいぶん、自分の家で静かに、しか読んでいないからこれは当然だろう。隣の席が空いた。親子づれの、娘のほうが座り、母親が吊革につかまって、娘と会話をはじめた。あそこの席が空いてるから、座れば? と娘がいっても、運動がてら、立ってゆくと母親。そうしてなにやらずっと隣りで話しを始めるのだった。はずれくじをひいた気分。
ところで総武線。市ヶ谷からお茶の水ぐらいまで、外堀と並行して走る。ここを通るのがいつも楽しみだった。市ヶ谷からは釣り堀も見える。緑に澱んだお堀。きらきらと真夏のひざしに水面が揺らめいている。どうしてこんなに水が好きなのだろうと、ぼんやり思う。そしてお茶の水を過ぎ、浅草橋を過ぎると、今度は隅田川。ここを通るたびに、この水をなめるとしょっぱいのだろうかと考える。
潮の満干の影響もうけているし、海まで…もともと埋立地ばかりだし、正確にどこが海なのかわからないけれど二キロないのでは…。けれども晴れた夏の日に、隅田川は青ではなくどんよりと灰色によどんでみえる。銀色の、水銀のようなうねり。飲めないなあと思いながら、それでもいつも、くるたびに問いが浮かんでしまうのだ。しょっぱいのだろうか。海水のようなのだろうか。浅草から船に乗ったことがある。風に海の香りがまじっていたっけ。
隅田川をわたると両国駅。江戸東京博物館はここにある。
さて展覧会…。浮世絵や園芸書。当時の江戸の名所図…。わたしはほんとうに浮世絵が苦手なのだと思い知った。なにがいいのか、さっぱりわからない。とくに広重とか喜多川一派。わたしは北斎だけが好きなのだ。じつはこの展覧会には酒井抱一や鈴木其一、若冲なんかもあるのでは? との期待があったのだが、それらも全くなかった(この想像は、前回みた『ファインズバーグ・コレクション展 江戸絵画の軌跡』の記憶からだろう)。正直、がっかりした。最後のほうに展示のあった北斎の《菊図》だけ…。けれども、うねった菊の質感は、見応えがあるなと思ったが、いつもより、どうも、北斎に感じる何かが足りないような気がした。うちに帰って、なにげなく調べたら、北斎筆とあるが、真偽の疑惑も持たれた絵であるらしい。だからか? わからない。ともかくこれだけで展覧会を終えるのはしのびなかった。時刻をみるとまだ午後一時台だ。梯子して、山種美術館、おふねさんにあいにいくことができるかもしれない。それとも、わたしの見かたがおかしいのか? おふねさんも、以前観たものばかりの展示だろうし、失望することになりはしないか。そんな思いも頭をかすめたし、次の日もバイトだったから疲れはしないかとも頭をよぎったが、やはりおふねさんに会いたくなった。ともかくJRで。梯子をすると、電車代がずいぶん浮くことに気付いた。うちからの往復代金のほかに、博物館から山種美術館のある恵比寿駅までの運賃がプラスされるだけだ。得云々よりも、なんだか奇妙な感じがした。電車賃はたいてい、行きに駅で、パスモ千円買う。これと展覧会のチケット代がワンセットになっている感覚がある。およそ二千円。非日常へむかう渡し賃みたいなもの。梯子すると、その渡し賃の半分位がいらなくなる、そのことが違和だったのだ。悪くない小さな不思議。
総武線でまたお堀を見ながら、代々木駅へ。ここで山手線に乗り換えて、一駅目が原宿。竹下通りとかの反対側のホームを見ると明治神宮の森がせまってきている。意外に緑が深い。かたやにぎわい、かたや静謐。この緑を車窓から眺める度、たとえば軽井沢か何かにきているのではと思ったりする。エアコンの効いた車内で、避暑地を思うのだ。