キラ様ー!
- カテゴリ:日記
- 2013/08/19 21:44:06
キラっていうと、デスノとか、ガンダムシードとか思い出しますが、
今日は、吉良上野介様のお話でも・・・( ´∀`)ヵヵヵ
吉良上野介と言えば、忠臣蔵で討たれる側の悪役、
いじわるなじいさん、というイメージですけど、
実際のところは、政治家としては優秀で、領民にも、
それなりに慕われていたらしいです。
対して、悲劇の若殿様というイメージの浅野内匠頭。
そもそもは、年若い新米殿様の浅野内匠頭が、
大先輩にあたる吉良上野介から教育を受ける際に、
何の手土産も用意しなかったことが発端なわけですが、
よくよく考えると、例えば、現代、
若手の駆け出し俳優なんかが、大御所俳優に教えを乞う場合、
手土産くらい用意しますよね? ( ´∀`)ヵヵヵ
それが、例えば、家出同然で地方から都会へ出てきた高卒・・・とかならば、
それなりに、配慮はされるかもですが、
浅野内匠頭は、若いながらも(確か18歳?)、赤穂は当時希少だった塩が
採れるため、非常に裕福でした。
大名行列などで、やりくりに頭を抱えていた諸大名に比べたら、
間違いなく、お金持ちの部類。
吉良上野介としても、塩がもらえるのかなー、それとも現金かしらー、
なんてワクワクしていたところに、手土産ってナニ?・・・みたいな態度を
取られたら、そりゃ、やる気もなくすってもんだと思います。
しかも、手土産を持参するのは当たり前という、暗黙のルールがあったので、
なおさらでしょう。
しかし、もしかしたら、浅野内匠頭は、領民からの血税なので、
ワイロになんて使いたくない、という正義の心があったのかも
知れません・・・が、それならば、いじめに耐え抜くくらいの根性を
見せて欲しいところ。
ただ、殿中での人情沙汰も、吉良上野介の策略のうちだった・・・という
見方もあるようなので、何とも言えませんが。 ( ´∀`)ヵヵヵ
ただ、当時、浅野内匠頭も、大石内蔵助も含めて、赤穂藩は、
若手が仕切っていたようなので、当時の礼儀や作法、暗黙のルールみたいなものを
まったく知らなかったのでしょうね~。
・・・というのは、テレビで色々見た、ただの受け売りですけどね ( ´∀`)ヵヵヵ
間違っている部分もあるかと思いますが、その辺はスルーでお願いします、笑
ドリフのコント「松の廊下」を思い出しましたぁww
「松の廊下で刀を抜いたら、お家は断絶、お主は切腹じゃ」
↑ ↑ これの意味が良く分からずですが、セリフは脳裏に焼きついていました。
殿中でござる殿中でござるバザ~ルでござ~る(古っw
忠臣蔵年末にちゃんと見てみなきゃぁと思いました(^┰^;)ゞエヘヘ
(o´∀`o)ニコッ