動物に関する思い出
- カテゴリ:ペット/動物
- 2013/09/04 06:03:41
物心ついた頃は、文鳥を飼っていた
ような。 時々、餌の殻を息で吹き飛
ばしていたような-かすかな記憶。
他には、庭に小さな池?があって、
中に一匹だけ鯉が泳いでた。 池の
掃除の時取り出したのだけど、両手
で抱えて肩幅からはみ出していたと
記憶している。 まだ小学校も行って
なかったと思うので、測ればそれ程
大きくはなかったのだろうと思う。
気がつけば、鳥も鯉もいなくなって
いた。 如何したのか、記憶がまった
くない。
暫らくして、雑種の犬を飼っていた。
飼ったいきさつは、これまた記憶に
ない。 でも別れた?記憶は、残って
いる。 ある日の夜、父が勤め先に連
れて行くと、トラックに乗せていった。
なぜ連れて行くのか、説明ないまま
に。 私は、連れて行くなとも言わず、
見送った。 そんな事を言わない子
だった。 それから暫らくして、父の
勤め先に見学に行った。 サミ(多分、
犬の名前)は元気にしていた。
これも、はっきりした記憶がない。
帰った後、サミは逃げたらしい。
多分、私たちが行った事で里心?が
ついて、戻ろうとしたのではないかと
思った。 そのまま戻る事はなく、
おそらく戻りきれずに、野垂れ死んだ
んだろうな。
ペットは何度か飼っている。
そして、必ず、別れがある。
しかし、悲しみは感じなかった。
生ける物、全て死す。
両親の時もそうだった。
私の心には、欠けるものがあるの
かもしれない。
「 無関心 」だと思います。
調べたところが、こうなって
いました。
作成者も、順番が如何だった
か分からないとしているので、
記憶違いかも。
いつもは、調べたところは
注釈を入れる様にしているの
ですが、忘れてました。
三無主義の典型だね。
茫然自失で、泣けなかったとかでない。
悲しいとかの感情が、湧いてこなかった。
何故かはよく分からない。
時間があると、いたって冷静だいられる
だけなのかもしれない。
こんな私でも、ドラマやマンガで涙する。
これらは、泣かせようと作られている。
当然とも、いえるけど。
この世に完全なる人はいない。
だからこんな奴もいていいかなと思って
いる。 このブログそのものも書くのに
躊躇した。 あまり気にしないで下さい。
匿名のなせる業。
そのように育てられました。
家族にも涙は見せません。
泣くときはお風呂の中か、自室に一人の時だけです。
ペットが亡くなった時も、一人で自室で泣きました。
とても長い間、私のそばにいてくれたので。
母が亡くなった時は葬儀では泣いてません。
が、突然、兄が亡くなった時は人前でしたが涙が止まりませんでした。
親は先に逝くものたど思っているので、ある程度の覚悟は出来ています。
が、兄弟は協力し合える唯一の人だと思っていましたから、
喪失感は親以上でした。
それとも、ご一緒に亡くなられたのですか?
私も父が逝った時も母が逝った時も
直ぐに泣くことが出来ませんでした。
葬儀の時も泣いてなかったと思います。
そういう時に、ほかの人から見たら私は『冷たい娘』に映ったかもですよね。
タコ 又八さんは 『悲しみは感じなかった』って書いてあるけど
心の中で、どんなことを考えていましたか?
『泣くことだけがすべてぢゃありませんから』
泣けなかったからと言っても、それだけで『欠けているかもしれない自分を責めないで下さい』
少しずつ考えていけばいいんだと思いますよ。