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シン・ドラマ汁


ドラマ【八重の桜】

八重の桜
NHK 日曜夜8時~
【あらすじ】自由民権運動の広がりを恐れた政府は、府県会の設立を決定。槇村は内務卿の伊藤博文に苦情を言いに行くが、まったく取り合ってもらえない。一方の下に、外務省から手紙が届く。外国人による学校経営は違法であるため、同志社英学校を閉校するとの通達だった。伊藤や外務大輔の森有礼のツテを頼り、外務卿の寺島宗則を説得、アメリカンボードからの援助金を、まずが受け取ることで、何とか存続を許してもらう。そして覚馬の元に、府議会議員に当選したとの報せが届く。

【感想】まず覚馬の話から。ここを書くため、たびたびwikipediaで覚馬のページを参考にしているのですが、この八重の桜が進むにつれ、どんどん彼のページが伸びていくのが面白いですねw 大河ドラマに取り上げられたことをきっかけに、その登場人物の研究が進んでいるらしいです。覚馬は会津出身、身体障害というハンデを背負っていたにも関わらず、その彼を議員に選出した京都の金持ちたちはなんかすごいなと思います。京都府民にとって、どちらかというと薩長の新政府の方が嫌いだったというのがまずあるでしょうね。会津は幕末に京都を不逞浪士から守っていたというイメージがありましたし、京都から天皇を奪ってしまったのは他ならぬ薩長ですからね。また、明治初期に覚馬が京都府に貢献したこと、その覚馬を槇村がクビにしたことも知れ渡っていたのでしょう。誰に投票しよう…そうだ、あの人ならちょうどいい、そんな感じで投票したんでしょうね。しかし、立候補もなく、誰にでも投票していいって、面白いシステムですよね。今それをやるととんでもない人が選出されそう…w そのとんでもない人を選出しないための、税金による制限だったんでしょうな。高額納税者には良識があるという。そういうことをすると金持ちばかりに有利な政治になってしまいますが、マスコミやネットの世論に影響を受け、深く考えず勢いだけで投票してしまう人って、今でもいそうだからなぁ。さて次は襄の話です。以前から彼のこめかみ付近に青筋浮いてるなあとは思ってたんですが、あれって傷跡だったんすねw 改めて見てみるとご本人の写真にも、しっかり大きな傷跡が残っています。オダギリのよりデカいね。今までは傷がついていても不思議はない古い写真だから、まったく気にしてませんでしたが、なるほど、子供の頃木から落ちた時の傷だったのか。そして「自責の杖」事件。この事件は襄を語る上では欠かせないエピソードなんだそうです。最後の紀行のところで、3つに折れた杖の画像が流れてましたが、あんなに強く打ったら、骨が砕けてしまいますよね…。実際どうだったのでしょうか。この一件で徳富蘇峰は退学したわけですが、蘇峰がその場にいて思ったことを、年を取ってから「新島先生の病気がまた出たわい、と思いました。」「芝居も芝居、大芝居。けれども役者がちがう。先生は役者が四枚も五枚も上でした」などと話して聞かせたらしいです。ただ文献にこの本音は載せなかったようです。それほど蘇峰は襄を尊敬していたのでしょうね。このことから、襄は日頃からこのような芝居を打つような人物だったと考えられます。まぁ、一朝一夕にできる芝居ではありませんからね。そこに八重がどう関わったのか、それはわかりません。本当に襄の傷を刀傷だと吹聴したのかは、さすがに調べがつきませんでした。ただ、噂くらいはあったかもしれないですね。




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