そうだったのか
- カテゴリ:アニメ
- 2013/11/19 06:19:40
「赤毛のアン グリーンゲイブルズへの道」 日テレ
「かぐや姫の物語」公開に合わせてオンエア。
TV6話までの編集版のよう。
そこだけを、物語が分かった上で観てみると
最初に迎えに行くのがマシュウであり
送り返そうとするマリラ、と云う設定が、
アンに対する愛情表現の違いになったのだと
改めて納得する。
あまり気にしていなかったのは、
アンがお祈りをしたことが無かったという描写。
最終回の「神は天に居まし、、、」 は
強烈な対比なんだった~
アニメ版の後に原作を読んだのだけれど、
それが物足りないと思うほど原作以上に
細やかに世界観を表現していると思っていたら、
Wikiによると、
宮崎さんは「アンは嫌いだ」と途中で逃げ出し
高畑さんは「アンの心情を理解できなかった」らしい^^;
→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%AF%9B%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%B3_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1)
そんな名作もあるってか。
文章をそのまま映像にした場合、(イメージを限定してしまうかもだが)
情報量は増える、という意味だったのですが。
「日本のアニメの世界観」 をワタシが分かってないのかな?
どちらが先かは関係ないかと。
えーと、懐かしくなって、絶版で古本高価だけどーとアマゾン検索したら、
なんとKindle版になっているのを発見して、さっそく購入しました。
ありがとう~^^
それは日本独自の解釈なんでしょうか?
どちらに先に触れたか、にもよるのかもしれませんが。。
この歳になってから観ると、マシュー、マリラ目線で
楽しめます~^^;
えーと、アニメは「日本のアニメの世界観」ですよ~?
それにしても、「嫌いだ」に吹いてしまいました。そうだったんですねー。
高畑監督は、マシューの視点等を通して、理解できないアンを愛していたのではないかと。