凡庸の極み。
- カテゴリ:30代以上
- 2013/11/22 10:09:44
先日、テレビで「アゼルバイジャン共和国」について、
あれこれと取り上げて、放送していました。
なんでも地下資源(石油)に、大変恵まれていて、
国はとてもお金持ち、
そのおかげで、教育費はおろか、医療費、老人ホームにいたるまで、
(細かい条件はあるのですが)おおむね、無料。
とても体にいいという、黄金風呂なるものまでやっていました。
これを見て、わたしは、はたと、あることに気づきました。
先月頃だったか、ちょいとある前、
「妄想老人ホーム」について、アレコレ考えていました。
うん。
あながち、妄想でもないんだけど、
事業路線を拡大して、
老人ホームとまではいかなくても、
グループホームを作ってみようかと妄想していたのです。
まあ、早い話が、自分の老後のことを考えて、
仕事を引退したら、
自分に快適なグループホームを、
会社という軌道に乗せておいて、
ラクできないもんかなと考えたしだいですが。
人間の思考回路というモノは、
だいたい似たり寄ったりなものなんですね、これは。
わたしが、アゼルバイジャンの権力者だったとしたら、
やっぱり同じことをしたでしょう。
そんな大それた野望でなくっても、
そこそこなんかできる立場にある今なら、
小規模な老人ホームを経営してみようかと考えたのですが、
なんというか・・・。
みんな考えてみることは、同じようなこと。
多かれ少なかれ、似たり寄ったりなことばかり考えるもんだと思うと、
わたし自身も、凡人の極みなんだなあと反省しました。
なんという凡庸さ、
なんという才能のなさ、
う~ん、思い上がるのもほどほどにしなければなあと、
我が身を恥いたしだいであります。
あーあ。
子供たちの世代に、苦労を残したくないですねえ。
今日は、お客様がいらっしゃって、
いろんな話をしていました。
やっぱり、妄想老人ホーム、やろうかって。
みんな、近づいてきた老後のことを、ちょっと心配しています。
そうなの、
<最後は平凡な日常と
ちょっとした幸せに到達するんですね。
この歳になって、やっとわかったの、わたし。
おそらくね、わたし、ずいぶん恵まれた生き方をしてきたのね。
だけど、今になって、分かることは、
やっぱり、過去のなにがし(栄光)より、
今日の小さなことが、素晴らしいの。
過去のことって、どれだけすごかっても過去なの。
それはもう終わったことで、忘れていいの。
大事なのは、今なのよねー。
今日も、わたし、幸せで嬉しい。
ゴハンも美味しかったの、もう十分幸せ。
楽させてあげられるし、自分も幸せだし。
ちょっとした幸せに到達するんですね。
自覚がないだけかもしれませんが
小さな幸せを感じたいです。