Nicotto Town



もう逝ってしまった知人

5年か6年前、鹿児島県与論島で
ダイビングで3人組の看護士と知り合いました。

その後、彼女らの推薦する奄美大島沖縄寄りのお隣にある島
加計呂麻島で、再会と言うか待ち合わせで
ダイビングをしただけの間柄

年に数回、海に行った話や近況をメールする程度
尊顔は、おぼろげで、住所なども知らない
その一人から、お別れのご挨拶がメールで舞い込みました。

彼女は一年前の夏
子宮ガンで、手術、抗がん剤、放射線治療
この秋、癌終末期緩和ホスピス病に移り
そこからのメールでした。

正直、赤の他人に近いの関係であるものの
彼女の死に臨む気持ちと言うのか・・・
心との葛藤や折り合い・・・
そんなことを想像すると
数日間は、ほとんど気の抜けたような毎日でした。

何か結論を導き出したいのに・・・?
消化しきれないもやもや感

メールが来て数週間後
亡くなったと友人からお知らせがありました。

私は、おそらく大して意味のない連絡に対し
そのダイイングメッセージから
何か感じたかったようです。
この解答は、とっても大事な気がするのですが、
中々辿り着けません。

ただ、これは、
父親として・・・
夫として・・・
人としての生き方に関係がある
そんな感じがするだけなんですけどね。

アバター
2013/12/01 22:21
わたしも人の死から学ぶことととして
悔いの残らぬよう
精一杯出来ることに全力を尽くして
生きないと
最近はそう感じます

可愛いお子様のためにも
健康に気を付けて下さいね
アバター
2013/12/01 18:31
元気だった姿しか知らない人から、お別れの手紙、信じられない気持ちになりますね。
ほんとに残念なことだと思います。
闘病生活、痛くて、苦しくて大変だったでしょうね。
そこから、メールを送ってきてくれた。
思い出して、メールをくれる気力がある。
そう思うと、「よく生きて、よく死ぬ」という言葉がありますが、
そういう境地、もってらしたかもしれないですね。
良く闘ったのでしょう。
お疲れ様って言ってあげたい気がしますね。

アバター
2013/12/01 13:01
広場から失礼します。

わたしも大切なひとたちの死を体験しました。そのつど、死について生きることについて、考えさせてもらいました。テレビや学校では、そういう大切なことを教えようとはしません。リアルに死を身近に感じることで、深く考えさせてもらえるのだと思います。彼らのことを思い出し、言葉にできない想いが湧いたとき、彼らはまだ自分の中で生きているんだと感じる時があります。彼らはわたしたちの人生を大切にすることを教え続けてくれているのではないでしょうか。

彼らの死をどう感じるのか、どう考えるのか、どう生きるのかは、ひとそれぞれで、答えは、自分が死ぬ直前に理解できるのかもしれません。でも、死について考え続けることが、彼らがまだ生きて、彼らが生きてわたしたちに残してくれたものなのかもしれませんよね。なんともいえない、想いを悲しみを教えてくれたひとたちに感謝します。



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