決着であって、決着でない最後
- カテゴリ:日記
- 2013/12/15 17:09:50
銃夢(ガンム) Ⅶ 新装版
木城ゆきと
集英社
ガリィとノヴァ教授、ザレムとバージャックの対決もいよいよクライマックスを迎える。
ただ、ザレムとバージャックの対決の最後は描かれるが、ガリィとノヴァ教授の対決にはストーリーとは関係ない問題が残る。
連載時、ストーリーとは関係ない所で作者が問題を抱えてしまい、一応の決着をつけるためのエピソードで最終回を迎える。
が、作者自身、そのラストに不満だったため、「銃夢 Last Order」として続編の連載が決まり、現在も連載は続いている。
この巻では、その「一応の決着」のためのエピソードは、ざっくりと削除され、「銃夢 Last Order」にスムーズに繋がるようにされている。
ただ、そのため、何も知らない人は「これでラスト!?」という終わり方になってしまっているので、要注意。
閑話休題。
ノヴァ教授は「対自核夢(ウロボロス)」でガリィに対抗する。
「対自核夢(ウロボロス)」とは、ガリィとザレムをつなぐ回線をハッキングして、ガリィに「夢」を見るように誘導するもの。
これを用いて、ノヴァ教授は2度にわたり、ガリィに挑戦する。
一度目に見せた夢は「最強の敵」と戦う夢。
ガリィが勝てなかった唯一人の相手、モーターボールの無敵の「帝王」ジャシュガンが夢の中に現れる。
夢だと分かっていながら
「なんで死んじゃったんだ!
あんたには、もっと教えてほしいことがたくさんあったのにッ・・・!!」
というセリフが泣かせる。
二度目は、ガリィを安息の夢の中にどっぷり浸からせ、戻ってこられないようにしようとする。
そのためにノヴァ教授自身もガリィの夢の中に入り込む。
まずツライ夢をさんざん見させ、ガリィを精神的に弱らせておいてから、穏やかな日々の夢を見せる、という手の込みよう。
ただ、予想外だったのは、穏やかな日々(の夢)はノヴァ教授にとっても、心のどこかで望んでいた日々であった、という点。
自分で作った「夢」に自分がハマってしまうのだから、世話は無い、と言ってしまえば、そうだが、ノヴァ教授の
「私は今まで、何に駆り立てられていたのだろう・・・。
この胸のわきあがる思いは、何だ・・・。
ああ、この世に悲惨も、死も存在せず、
ただ喜びだけを心から信じられるならば・・・
祈らずにはいられない。
この刻が永遠に続けと・・・」
という言葉には、ドキリとする。
ノヴァ教授は、いつも変なメガネをかけて素顔は分からないのだが、この時だけ、そのメガネをはずす。
その素顔は、意外なほどまともな印象。
ノヴァ教授の「狂気」は、そのメガネに宿っているのではないか、とさえ思ってしまう。
ケイオスはガリィを助けるため、無理矢理、「対自核夢(ウロボロス)」に侵入するが、その事により、「夢」はほころびを見せ始める。
その時、ノヴァ教授は異常とも思えるほどの態度で「夢」を守ろうとする。(もともと、マッドサイエンティストだが)
「現在は一瞬のうちに過去となり! 誰もがいつしか死に!
運命は人智を超えて荒れ狂う! それが当然だといわんばかりに!!
私は、そんなこの世の全てを憎む! 熱力学第二法則を憎む!!」
ノヴァ教授の研究の本当の目的は「業(カルマ)の克服」ではなく、「(生きていながら)永遠の安らぎを得る」事だったのでは?
一方、ガリィは、一見、為すがままになっていたようだが、実際は「安息の日々」が「夢」だという事をはっきり分かっていた。
分かっていた上で、しばし「安息の日々」に甘えていたのだ。
充分、甘えた事に満足したガリィは自らの意志で、「対自核夢(ウロボロス)」から脱出する。
そして、現実世界で、ノヴァ教授と対峙するガリィ
「・・・これが夢の続きだったなら・・・
私は君を守るために、どんな事でもしただろうに・・・
あの永遠の刻を守るためだったら・・・」
と、力なくガリィに銃を向けるノヴァ教授。
引き金をひくが、あっさりかわされ、首を切り落とされる。
「私だって・・・そうさ」
とつぶやくガリィ。
二人に安息の日々は、訪れたのだろうか・・・。
ところで、この巻でのもうひとつのクライマックスは、電(デン)率いるバージャックとザレムとの戦い。
が、結果はバージャックの大惨敗。
列車砲「ヘング」でザレムを撃ち落そうとした電だが、その列車砲はザレムにかすり傷ひとつ負わせる事はできなかった。
それどころか、ザレムの反撃により「ヘング」は一瞬にして破壊されてしまう。
この事態を見て、電は「ヘング」を失った今、大部隊を率いての戦闘は無益、と判断し、「バージャックの解散」を宣言し、今後は各自ゲリラ化し、ザレム=ファクトリー破壊に移るように命じる。
こういう決断をあっという間に行ってしまう辺り、電が只者でない事がうかがえる。
そして、自らは仲間を逃がすため、ザレム=ファクトリーの目を集めようと、死を覚悟した突撃を行う。
後に電は「英雄」として、ほとんど「信仰」の対象になるが、それもうなずける。
集中砲火を浴びながらも、突撃するシーンには「カルミナ・ブラーナ」の詞が重なり、名シーン中の名シーン。
この辺りだけを見ると、電が主人公では、と思ってしまう。
ボロボロの体で、最後の力を振り絞り
「・・・体なき者として生まれ・・・
命知らぬ者として奔り・・・
怒りのみ喰らう者の剣・・・
受けよッ!!」
と剣を振り下ろす姿は「英雄」そのもの。
ただし「悲運の英雄」だが・・・。
やはり、この作品は主人公より脇役、敵役の方が、ずっと魅力的だと、つくづく思う。