ドラマ【軍師官兵衛】
- カテゴリ:テレビ
- 2014/02/10 15:11:10
【感想】まず、なんだ百姓かと放っておいた栗山善助のことについて少し。どうやら武将のようですw しかも官兵衛が一番信頼した家臣で、後に家老になります。すごい重要な人物じゃん! と思ったら、どうやら栗山は赤松の支流で、赤松に仕えていたと言うことなので、名もなき百姓というわけではなさそうなのです。何故赤松から黒田に鞍替えしたのかはわかりませんが、15歳で官兵衛の側近になったということは、彼自身の判断ではなかった可能性が高いですね。それこそ官兵衛のように、人質として黒田家に差し出されたのかもしれません。善助という名は官兵衛が彼の性格からつけたようで、官兵衛がどれだけ彼を気に入っていたのかがわかるエピソードです。このドラマの脚本は、百姓とか浪人が大名に成り上がるというストーリーを書くのが好きみたいですなぁ。一方の母里太兵衛は、青山・土器山の戦いで母里父子ともに討ち死にし、母里家が絶えるのは忍びないと、官兵衛が惜しみ、母里の親戚筋から彼を母里と名乗らせることにしたそうです。番宣番組でも言っていたので明かしますと、あの有名な黒田節のモデルとなった人物だとか。つまりかなり重要な役柄ですね。もこみち、最近すっかり定着しましたねw さて、案外あっさり再登場した荒木村重。この前見た時には浪人だったのに、もう城主になってましたね。彼はかなり策士だったようで、この頃から寝返りを繰り返し、成り上がっていったようです。織田に取り入ったのも、元々織田の敵だった三好を裏切ってのことでした。一度寝返った人物は、必ずまた寝返るとはよく言ったもので。今は官兵衛と意気投合していますが、これから彼の人生に大きな影を落とすことになります。戦国時代にちょっと詳しい方ならご存知かとも思いますけどね。私もそのエピソードを読んで、そういえばそんな話もあったなと思い出しました。ドラマでは官兵衛が摂津の荒木を訪ねたことになってますが、そういうエピソードはちょっと調べただけではわかりませんでしたね。そもそも官兵衛と荒木は、どの程度の仲だったのか。いつ知り合いどのような交流をしていたのか、ちょっと調べただけではわかりませんでした。後に2人の間に起きる大きな事件についてはあちこちで見かけましたし、その後も2人は書簡を交わしていたなどと書いているところもありましたが、それ以前のことに言及したサイトは見当たらなかったのです。しかし、同じ勢力の中で所領も近かったですから、親しくしていたとしても不思議ではありませんね。あと、信長と荒木の衝撃の体面シーンですが、あれは実在するエピソードのようですね。荒木が饅頭を頬張っている絵まで残っています。いかにも信長らしいエピソードですよね。この時荒木は22歳だったようで、22歳ならあの嫁でも不自然ではないですがw 実際は親子ほど年が離れてて不自然極まりないですねw 年の差婚じゃないってんですから…。ともかく、22歳で謀反を繰り返し成り上がったのだとしたら、荒木村重という人物は相当な策士だったと思われます。
TBSでは去年から浅見光彦やってんすよ。
確かに戦国武将時代の荒木のイメージは「寝返り」ですが、
彼の場合そこで終わらず、その後がまだあるので、
その点はタフな人だったんだなと思いますね。
というか、よく信長を裏切って、生き続けることができたなと、感心します。
荒木が何を考え寝返り、その後も生き続けたのか、
このドラマでどう描いてくれるのか楽しみにしています。
黒田官兵衛は、戦国時代には珍しく義理人情に篤く、
側室を持たなかったということで女性受けもよい武将で、
大河の主役にふさわしい人物と言えますが、
荒木のように常に揺れ動き、そのせいで波乱万丈の人生を送った人物は、
その人となりに触れるのも楽しいですね。
この時代の人たちは人生五十年ということもあってか、
若い頃から活躍する人が多く、3~40代でも若いと言われる今の政界が、
なかなか動かず停滞するのは当たり前かなと思ったりしました。
寝返りを繰り返していたからこそ、最終的に身を滅ぼしてしまった。
相手を信じる事が、出来なかった。。。
この場合、信長ですね。
比叡山の焼き討ちとか、徹底した手法を見ている村重には、官兵衛が
説得にやって来た事に対して、本当の所、腹の底を見せる事が出来
なかったのかなって。
ある意味、悲しい武将です。
選択を誤ったとは思えないけれど、いずれ、荒木村重は自分で滅びそうな
気がします。
戦国の習わしで、いつ、敵味方になるとも限らない。
小国の真田家が取った生き残り作戦、兄弟、敵味方に分かれたけれど、
真田の名前は残りました。
この時代の武将は、ある意味、優れた嗅覚の持ち主でないと、生き残れ
ないと思えますね。
ちょっと、話が脱線しました^^;