友は、ときに腐る。
- カテゴリ:友人
- 2014/02/18 09:10:18
わたしには、むかし、高校時代から続いた親友がいました。
「むかし」と、書いたのは、今はいないからですが、
その元「親友」は、死んだわけではありません。
その親友だった人、春子さんとしましょう。
春子は、学校でもあまり目立たない女の子でしたが、
どこか芯の強そうな、毅然としたものを感じさせるタイプでした。
当時は、女子といえば、キャーキャー、
便所へ行くにも、手を取り合って集団行動ばかりするのが常でしたが、
彼女は、昼ごはんの時でも、
一人ぽつんと弁当を広げていました。
いじめられっ子とかではありません。
彼女は、群れるのが嫌いなだけです。
多かれ少なかれ、誰でもそうですが、
彼女には彼女なりの苦悩があり、悲しみもありました。
家が貧しく、母親は、とっかえひっかえ、
「新しいお父さん」を彼女に紹介するからです。
わたしが、それを知ったのは、
それからずーっと後のことですが・・・。
ま・
つまらない話が、長くなりそうなので、
ショーットカットしますが、
結論は、わたしは彼女を助けようとできる限りのことをしたのですが、
それが、伝わらなかったということです。
わたしは今でも、忘れられません。
彼女が、最後に言った言葉。
「あんたみたいなモノが、お金を持っていても、使い方を知らん。
わたしが、代わりに使ってやった方が、お金のためというもんや」
わたしは彼女との交友をやめました。
尊敬していたんですがね。
親や環境に左右されず、
毅然として生きて行こうとした彼女の生き方は、
それはそれは、清々しい美しい姿でしたから。
でも、結局、
彼女を腐らせてしまったのは、
他の誰でもない、わたしなんです。
そのとき、人は、簡単には助けることはできないんだと学びました。
だから、自分の言った言葉がそのまんまの意味で相手の中に入るとは限りませんよね。
サカキバラ事件!
わたしが、知っている特別情報を、お知らせしましょう。
今日のブログで。
では!
自分の正義をかたくなに持っているひとは、その見方を変えることはとても難しいですよね;
どれだけ論理的なことを言っても、バカの壁があるので、脳に入っていきません
こういった人は、話すだけでは変わらないでしょうね・・・
サカキバラという中学の男の子が、小学生を手にかけた事件が昔ありましたが、そんな深い心の闇を家族から与えられ、彼は犯罪に走りました。彼にどんな言葉を投げかけても、優しさを与えても、変わらなかったでしょう
でも、サカキバラは捕まり、牢屋にいれられ、環境を無理やりかえ、愛情を与え続けたとき、やっと心に言葉が入るようになったのですね
もし、深い闇を持ったひとを変えようとするのなら、それなりの覚悟と対処が必要になってくるでしょうね;
はなこさんのおっしゃる通り、簡単ではないですよね・・・
酒鬼薔薇聖斗
http://www.youtube.com/watch?v=wOV3Yp1jzKc
腐ったのは相手の弱さ。
人って魔が差す時はあるけど、まともな人は戻ってきます。
その人は、もともとそういう人だったのでは?
でも、歪んでしまったのは本人自身のせいです。
皆さん、思いやりのある思慮深いコメントを、ありがとうございます。
春子が腐ってしまったのは、わたしのせいなんです。
わたしは、彼女に、家を一軒与えました。
でも、彼女はそれで満足せず、
うちの会社の下請けを自分のモノのように呼びつけ、
インテリアの指図をし、工事を重ねていったのです。
それはだんだんエスカレートし、
ブランドの服飾品や、高級食材を当たり前のように要求するようになりました。
ある日、わたしが買っていった寿司が、気に入らなかったらしく、
「こんな安物を食べさそうなんて、人を見下している」と罵ったのです。
そして、極め付けがアノ↑セリフだったのです。
それから8か月後、
彼女は、家をめちゃくちゃにして夜逃げしました。
彼女を腐らせたのは、間違った援助をし続けたことです。
わたしが、バカだったのです。
はなこさんのせいではなく、幾多の理由があったのでしょう
「生きる」って、容易なことではないのですね・・・
言い方は悪いですが、友達が 「ヒモ」 のように
なってしまう時があります。
一人そうなってから、やり方は良くないですがそれ以来
何かあった時に少しお金を出してみる、そのこにお金を貸してみる、
そして自分が数日後 「お金を貸して」 と言うんです、そこで
相手が嫌な顔をしたり、お金があっても絶対に出さない (きちんとした
理由があればベツ)時は交友を少しずつ辞めます。
「ああ、この人は私を友達だとは思ってない、便利な
やつだとしか思ってない」 からです。
だいたいこういう人は久しぶりに会うと 「お金貸して」 としか
言って来ません。
もしかしたら助けることは無理なのかも。
結局本人の意思によって人生は変化するから。
周りは手を差し伸べてほしいと助けを求められたときに、
一緒に歩むしかない気がします。