闇に遊ぶ
- カテゴリ:日記
- 2014/03/09 19:30:35
「闇学」入門
中野 純
集英社新書
「闇」と聞くと、悪いイメージばかり連想してしまうが、日本人は古来、「闇」に親しみ、楽しんでいたのでは?という著者。
「闇」に関わる本を発表する一方、夜の山や街を歩く「ナイトハイク」のガイドとしても活動している著者による「闇」を見直すための入門書。
確かに以前から、夜を無駄に明るくしすぎている、という気はしていた。
東日本大震災の後の節電騒ぎの中で、実は、街中(特に繁華街)を夜、そんなに煌々と照らさなくても、あまり困ることは無い、という事がハッキリした。
むしろ無駄に使いすぎていた事が分かったはずだが、今では「喉元過ぎた」とばかりに、夜の明るさは以前のように戻っている。
(戻りつつある?)
無駄遣いを無視しておいて、「電力の安定供給」のために原発再稼動はないだろう、と思ってみたりして・・・。
ところで、東日本大震災の後の「計画停電」(一説によると「無計画停電」)で、街灯のない
夜道の暗さと月の明るさを再認識することになった。
夜道の暗さは、慣れていないせいもあってか、少々、閉口したものの、月の明るさを今更ながら思い知った。
子供の頃、月明かりがあれば、庭で遊んでいたのに・・・。
いつしか月の明るさをすっかり忘れていた。
著者によると、「闇」も慣れてくると、なかなかのものらしい。
天井に電灯があるのが、一般的な家だが、伝統的な日本の家屋は、障子や和紙(行灯など)を使った、いわば「間接照明」。
弱い光であるため、屋内全てを照らす事はなく、家の中にも「闇」があちこちに存在し、日常的に「闇」と親しんでいたのだという。
対して、欧米は蝋燭、ランプなどの「直接照明」なので、日本とは「闇」の質が異なるらしい。
「闇」の質の違いについては、自分の中で比較対象が無いので、肯定も否定もできない。
が、「闇」を一方的に排除するのではなく、もっと親しんでみたら、という点には「なるほど」という気がした。
視覚があまりアテにならなくなるので、その分、それ以外の聴覚、触覚などの感覚が鋭くなり、いろいろ「見えて」くるらしい。
しかも、面白いのは「味覚」も鋭くなるとか。
以前、読んだ小池龍之介の「考えない練習」(小学館文庫)では、考えてばかりいないで、五感で感じる事を大切にしよう、と主張していたが、ある意味、その実践編とも言える。
「ナイトハイク」は危険でもあるので、専門のガイドについていくか、ツアーがあるそうなので、それに申し込んだ方がいい。
が、お手軽なものでは「闇鍋」ならぬ「闇飲み」がおススメらしい。
ミックスジュースなどを飲むと、それぞれの味を感じたり、全く違うような味がしたりするそうだ。
これなら、やってもいいかなと少しだけ思った。
「暗闇合コン」「目隠し合コン」は、視覚が戻った瞬間、どうなるか心配になります・・・。
暗い方がリラックスできるのは「見つかりにくい」からでしょうか。
なんとなく気持ちは分かります。
>サブリナさん
夏とかだと、夜、涼しくなってから散歩するのは気持ちよさそうですね。
犬を飼っている人が、夜、散歩させる、というのをよく聞きますが、時間が無いから、アスファルトの暑さは犬にも害があるから、とかいう意外にも理由がありそうです。
視覚に頼らず、話の内容や心配りを見るのだとか。
煌々とした灯りのもとよりも、暗いところの方がリラックス出来るとも聞きますし
闇に親しむのも良いかもしれませんね^^
長島監督は松井に暗闇の中で素振りをさせて、「いい音」がしたら、練習終了、としていたというエピソードも紹介されてました。
これは納得です~~。
高級なレストランへ行くと、照明は暗め。
テーブルの上だけに赤っぽいランプがあって、周りはうす暗い感じの席になってます。
あれも味わいをアップさせる効果があるようね(微笑)。