あの日から
- カテゴリ:日記
- 2014/03/11 17:12:29
あの3.11から3年がたったのね。
あの日、何してましたか?
私は前の職場で、女子高生を相手にクレープを作ってました。
本震よりも、余震のほうが怖かった思い出があります。
そして、その翌日から始まった異様な光景・・・
スーパーから商品が消えて、飲食店はのきなみ休業。
ガソリンスタンドにはすごい列。
電車も、一部動いてなくて、TVから企業のCMが消えて・・・
今日、TVは震災の特番一色ですね。
でも、見てて思ったんですが、去年の特番のときの光景と
あまり変わってないような気がします。
復興が進んだなーと感じられません。
そういうところばかり映しているのかもしれないけれど
阪神のときより遅い気がするのは、やはり原発のせいでしょうか。
私はこの3.11に、録画していた「海賊戦隊ゴーカイジャー」の
2011年3月20日放送分を見ます。
本当だったら13日に放送されるはずだったものです。
10日もたったのに番組の周囲には、相変わらずの電車運行状況、
被害者の数などが流れ、CMもACのしかやっていません。
だから主題歌の後、スポンサーの紹介が入るところが無言で
それだけで不自然で不気味です。
本当はもっと気にかけていなければならないことだと思うけれど、
せめてこの録画を見るたびに思い出そうと思います。
そして、新しい非常食を買ってきて、古いものと入れ替えてます。
古いのは、今夜の晩御飯です。
猫缶も交換するので、今夜はちょっと贅沢ご飯になるうちの猫です。
(でも1年前のだけどね)
TVは報道一色で、津波の映像は映画か何か?と言うぐらい
衝撃的で現実とは思えないくらいでした。
人智を超えた被災に脅威と無力感を覚えました。
ほんと、CMもずーっとACだけで、「ポポポポポ~ン」っていうCMの歌?ナレーション?が
耳を付いて離れず。不気味でしたね。
しばらくアニメやお笑い番組は自粛で先陣を切って通常放送にしたのは
テレビ東京だったのではなかったかな?
一体、日本はどうなるんだろう...。と不安を感じた。
被災外のところは、当時より落ち着いたけど
被災地では、何をどうすればいい?ってところからで
3年経ったけど、復興したとは言えない状況。日本は、どうなっていくのか。
その後 家族が無事でいるのを確認してからTVを付けて呆然とする日々が。。。。。
あの恐怖の映像を見るのは辛いけど忘れてはいけないので毎年やるべきだと思っています。
そして東北の人の暮らしが心地いいものに早くなります様にと願うばかりです。
私も非常食の確認をせねば~
結果的に80cmだけだったので夜には帰宅したけどねぇ。
でも、車のTVで中継を見てて信じられんかったよねぇ。何波にも亘って襲来する黒い海にはただただ恐怖しか感じられんかった。
ダメ押しともいえる原発の爆発…
全員防護服姿の住民は異様な光景に感じたよ。せめて、原発周辺の全住民には災害用の防護服を支給するべきだと思ったね。
費用はかかっても、国民の命を守るためなら役立たずの公務員給料をカットしてでも捻出すべきと強く思う!
税金上げて民間人を苦しめる前に、地方・国家公務員の給料カットでダイブ補えるでしょ!
あの日は家に居りました。 震災怖かったなぁ……
我が家のニャンコは大きな地震でも落ち着いて丸まってると思ったら
腰が抜けてしまっており、抱きあげようとしたらお座りポーズが崩れて
転がってしまいました(ŐдŐ๑);;;
あの日、地鳴りと共に建物が船の様に揺れ、ヤバすぎると焦りつつ
震源地など地震速報を見ようとTVをつけたら、、
真っ赤な日本地図が点滅し…各地の恐ろしい震度が次々と表示され…
警報が鳴り響き……震えあがりました。
釜石や仙台に親戚が沢山居りますが、遊びに行った想い出の情景が
変わり果て、自然の脅威に畏怖するという表現をしみじみ感じました。。
もうあの震災から3年経ったのですね、、、
いきなりテレビが消えてすごい大きな地震が発生しました。机の中で二人ではやくとまれと祈っていたのは忘れられませんね。しかも地震強すぎてはいっていて痛かったですよ。
避難所からのあの光景はとても恐怖でしたね。
震災当時よりはほんの少しだけど変わりましたね。スーパーが建ったりとかあとかさあげしたりとか
仕事を終えて帰宅し、PCの電源を入れた瞬間、揺れました。
家具の中で一番大きかった本棚を必死に支え、幸い休みで家に居た
相方さんとふたりで腕を繋ぎながら必死に揺れに耐えてました。
揺れが収まって5分程は電話回線もパンクしていなかったのです。
職場にすぐ繋がって大丈夫な事を確認してから、どこにも繋がらなくなりました。
テレビの画面を見ながら、頭のどこかで9.11の事を思い出していました。
あの時も、テレビに映った光景が映画のような錯覚を覚えました・・・。
大きな地震が来て机の下にすぐさま入って揺れなくなるのを
待っていました。
夜勤に向かってたらもう停電ですよね。真っ暗な中夜勤したのを覚えています。
ラジオから流れてくるのは被災地で津波が押し寄せて
くるという怖いものばかり。
あれから3年、あの時の被災地の映像を思い出すと
未だに涙が出てきます。
クラッとして眩暈かな?と思っていたら、その後どんどん揺れが大きくなって
そこらじゅうの棚が勝手に開き、書類が大量に散乱しました。
比較的揺れの強い地域にいた彼(今の旦那)とはなかなか連絡が取れず、
とても不安な時間を過ごしましたよ。
こちらも今夜は非常食を食べました。
新しい非常食も、来年まで使わずに入れ替えの日が迎えられる事を祈るばかりです。
後輩ちゃんとあわあわしていました。
こちらはさほど揺れなかったので、立ち仕事をしている方々は
「めまいかと思った~(;^ω^)」と。
たまたま相方が休んでいたので、猫たちの心配はありませんでした。
その後、不安な日々を送りましたが、
今ある幸せを大切にしたいと強く思えるようになりました。
で、会社から自宅まで6時間ぶっ通しで歩いて帰ったよ。
家についたら各部屋の窓が全開+水槽の水が全て零れ+TV落ちて割れてた。
キリコ(猫)を探してもいなく、探し回ったんだけど結局ベランダにいることが判明。
昼過ぎの2:46から私が見つけ出す夜12時過ぎまで、ずっとベランダに居たみたい;;
ちなみにルークは、棚から落ちて床に散らばったカリカリを食べてたw
これは不幸中の幸い。というか運の良い子だ^^;
私のすぐ後ろにある地震計が鳴り響いて、それと同時にかなり大きな揺れが
長く続きました。職場の同僚の中には頭がぐるぐる回っているようで気持ちが
悪いと言っている人もいました。仕事中だったので詳細が全く分からず
テレビで見た映像にただ呆然としたのを覚えています。鳥肌が立って、背筋が
凍りついたのを覚えています。
その瞬間から「あの日」が始まりました。
仙台出身ですので、親や親戚と連絡が取れず、
すぐつけたTVに映った 沖合いから迫ってくる黒い波に
祈るしかできなかった・・・。