「備え」あれば、「憂い」(が少し)無し
- カテゴリ:日記
- 2014/03/15 18:09:01
石巻災害医療の全記録
「最大被災地」を医療崩壊から救った医師の7ヶ月
石井 正
ブルーバックス
2011年3月11日の東日本大震災から3年。節目の日に各テレビ局が特番を放送していた。
が、内容はともかく、翌日から、何事もなかったかのように通常の番組に戻るあたり、風化も感じたのも事実。
テレビの特番と発想は変わらないが、できるだけ当時の情況を生々しく伝えるものを読んでおこうと思って、手に取ったのが本書。
"「最大被災地」を医療崩壊から救った医師の7ヶ月"というサブタイトルからすると、一人の「ヒーロー」が大活躍したかのような印象を受けるが、正確には"医師"ではなく、"石巻圏合同救護チーム"とすべき。
確かにリーダーは著者で、その働きは顕著だが、一人が全てをやった訳ではない。
チームのメンバーが同じ方向に向かって進むようにはしたが、現場レベルの判断はメンバーが自主的に行っている。
(実際、現場が工夫していた事を後から知って、そのおかげで混乱に陥らずに済んだ、というケースもあった。)
ゾッとするのは、たまたまの幸運に恵まれた、というだけの事があったという点。
しかも重要なポイントで。
一つは直前に最低限のマニュアルが整備されていた事。
同じく、直前に著者が「知事から任命された"災害医療コーディネーター"」という肩書きを得ていた事。
(これにより「○×病院の一人の医師」としてではなく、"災害医療コーディネーター"という肩書きで対外的な折衝がスムーズにできた)
また、なにより著者が勤務する病院が沿岸部から内陸部へ移転していた事。
このマニュアルが整備されていた事で初動の対応は比較的スムーズに完了したらしい。
が、その後、未曾有の災害であることが徐々に判明し、「想定外」だらけの事態に直面する事になる。
即断・即決が求められる中で、現場が混乱に陥らなかったのは、チームが「被災者のためにできることは何でもする」という共通認識を持っていたから。
その「できること」の中には、明らかに医療とは関係ない事も含まれていた。
最初の孤立無援の状態から、徐々に日本全国からボランティアや、被災者治療のために医師たちが集まってくるが、中には「勘違い」している人も。
「そもそも論」や「べき論」を言い出す人に対しては、次のように言ったらしい。
「評論家はいらない」と。
この言葉が一番、印象に残った。
その時の著者たちが立たされた情況が垣間見えそうだが、自分の想像力の範囲を超えている。
本書は震災当時の情況の記録と共に後から見えてきた今後の反省点も書かれている。
一つの貴重な事例、であると同時に緊急時マニュアル作成の参考書でもある。
緊急事態の時は、何をしていいのか分からなくなるので、やはりマニュアルは必須。
ただ、忘れてはいけないのは、マニュアルには最低限の事しか書かれていないし、マニュアルが想定していない情況は、いくらでも起こる、という点。
実践的な訓練も大切なのだ。
やはり、一番は「備え」。
そして、肝に銘じておかなければならないのは「天災は忘れた頃にやってくる」
迅速に偵察衛星や原子力空母まで繰り出す機動力、現場での意思決定の早さ、
予想外の事態への柔軟な対応、そして秀逸なネーミング「operation TOMODACHI」!
やっぱり、あれは、
普段から、アフガンやイラク辺りで、やっているからなのね。
あまり米軍を称賛はしたくないけど、あれでニッポンが助かったのも事実・・(苦)
ニッポンもこういうintegrated mission operationの能力は見習いたいわ。