Nicotto Town


グイ・ネクストの日記帳


今日感動した言葉


根源へ還るのです。

あなたがまだ自分の存在を定義する前に。

あなたを定義したのは誰ですか

あなたをあなただと思わせているのはあなたの中のどの記憶ですか

ありがとう、愛しています。

ごめんなさい、許してください。この原因はあなたの記憶の中にあります。

違うかもしれません。あなたを定義しているものはあなたの記憶では無いかもしれません。あなたを産んでくれた両親でしょうか、両親の記憶に「ありがとう」を。

あなたの家でしょうか、育った環境という記憶に「ありがとう」を。

あなたを定義するのはあなたの人間関係でしょうか

あなたの友人と知り合いの記憶に「ありがとう」を。

あなたは根源へ戻れます。

あい

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2014/04/16 09:34
お返事をありがとう、リルルさん。

ここにわたしのコメントを書いた後、
PCを閉じて、全く別のことをしたり、車の運転をしながら、
リルルさんに書いた言葉の意味を自分自身で考えていました。

根源のことを考えるのは、
わたしにとっては、
「今ここにある”自分というもの”を確認する」
そんな作業に近いような気がします。

人が人である以上、自分を自分たらしめているのは自分であり
自分が霧散しないよう確認することはむしろ必要なことだと思います。

自分を自分だと認めることが
動物であればそれが自然にできるのに
人間は何故それが難しいのでしょうね。

また、そういう不安定な存在であるからこそ
人間はおもしろく、奥が深いものなんだと思います。
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2014/04/15 18:23
黒蜜さんへ

>不思議ですね。
>ハッとさせられました。

> 根源について考えるとは、
>ふるさとに還るようなものですね。

このブログに関しては詳しい説明もしていませんが、そこまでご理解頂けた事に心から喜んでいます。
ハッっとさせたかったのです。

そうですね、ふるさとへ還る。そう、感じてもらえれば嬉しいです。
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2014/04/15 18:18
ましろさんへ

 ボクたちの存在は無限の愛につながっています。

 それが根源だとしたら、人類は根源を思い出す事こそ、世界平和への一歩です。

 それは仮定でしょ。と、言われたらそこまでですが。

 ボクは無限なる愛につながっていると、感じています。

 無限の愛へつながるチャンスは常に存在し、その大きな河は止まる事がありません。

 その大きな河の流れに「ひょいっと」乗ればいい。と、引き寄せの本などにはよく書かれています。

 このブログはボクなりの流れへの乗り方なのです。

 存在を定義する事は人間なら誰でもします。わたしはこういう人間だって。

 でも、それが原因で幻聴が酷くなる事がボクはありました。
 
 ボクはその時、引き寄せの本を恨んだモノです。ゴールを設定すればそこへ辿りつける。

 その頃のボクが設定したゴールは「無償の愛を他人に施せる人間です」でした。

 しかし、幻聴はボクを人を傷つける方向へ導きました。そしてボクは酷い自己嫌悪に陥り、何度目かの死を覚悟しました。

 ボクは焦っていたんです。すぐに大きな河に乗りたくて・・・。

 ボクは定義するとうまく行かない人間なのです。でも、それでうまく行く人はそれでいいと思います。

 はい、↑また定義してしまいました。うまく行かないと思い込んでいるだけです。ありがとう、愛しています。

 ボクがこのブログで一番伝えたかったのは「ありがとう」です。

 ありがとうは、日本人が作った最高の魔法の言葉です。

 ありがとう=奇跡=有り難し(語源)

 >あなたをあなただと思わせているのはあなたの中のどの記憶ですか
わからないのです。それが、わからない。というのが、ましろさんの答えです。
わからないと思った時の感情と一緒に「ありがとう」を言えたら、ましろさんの「わからない」という記憶が閉じて、新しい扉が開きます。

 ありがとうは、古くなった扉を閉じて、新しい扉を開く。それは削除キーを押せば字が消えるのと同じ感覚です。
>どうしていま、こうした行動に駆られているのだろう?でも、先に進まなかればいけない。

そうした想いだけが、募っていくのです。これは、間違いなのでしょうか?

 上の質問の答えを夜の三時に読んで朝の五時まで考えました。でも、ボクには分かりませんでした。
 質問の答えは胸のうちに。

 
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2014/04/15 08:50
わたしをわたしだと定義づけているのは、
ほかならぬ、わたし自身だと思っています。

わたしは昔、もっともっと小さい頃、
ふと「わたしは誰だ」「どうしてここにいる」と思ったことが強烈に記憶に残っています。

そう感じる自分自身を、他人とは違うと思ったこともありましたが、
おそらくそうではないのでしょう。

多分、誰もがそんな風に感じたことがあるのです。
ただ、忘れてしまっているだけで。

生活が忙しくなり、段々と「わたしは誰だ」と思うことが少なくなりました。
少なくとも、わたしはわたしです。今はね。
過去のことも未来のことも、あったかどうだか、わたしは知りません。
でも今、食べて寝て起きて、痛みを感じたり、老いたり、幸せを感じてる、コレは間違いなくわたしです。

わたしをわたし自身が定義する前のこと…

不思議ですね。
ハッとさせられました。

根源について考えるとは、
ふるさとに還るようなものですね。
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2014/04/14 20:24
リルルさん、自分の存在を定義しては、いけないのでしょうか?

わたし、今夜「地球規模で、国、民族、宗教がひとつになれば、平和になれる」

そういうメッセージを受け取りました。不可能です。どうして、こんなメッセージが届くのかな?

>あなたをあなただと思わせているのはあなたの中のどの記憶ですか

わからないのです。それが、わからない。そして根源とは何でしょうか?

どうして根源へ戻る必要があるのかな?

私には、いくつかの前世の記憶があるよ。きっと、気がついてないものも、あるはず。

そこまで遡らないと、みつからないのかな?わたしの前世、ダライラマ11世とみなが言うのです。

でも、この記憶、自分では思い出せないのです。わたしはチベットのポタラの神殿にいたのかな?

どうしていま、こうした行動に駆られているのだろう?でも、先に進まなかればいけない。

そうした想いだけが、募っていくのです。これは、間違いなのでしょうか?



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