旧世代の音楽聴取
- カテゴリ:音楽
- 2014/04/20 10:03:56
以下、アナログ音源や生演奏で育った高齢者の独り言です。
1、無音と休符について
HDR用機材の安価なものを入手した当初、
演奏をハードディスクに取り込んで編集し、
音符単位でスライスしたりループを作ったりしましたが、すぐやめました。
デジタルの無音部分には休符ではなく、何も情報が含まれてないと思ったからです。
休符というのは意志をもって創る豊かな『間』であり、
データの張り付けで作ったブレイクとは性質の異なるものだと思っています。
2、ピアニッシモ、ピアニシッシモ
旧世代の聴取体験では、
中波ラジオやレコード、テープの各種ノイズの中から、
ピアニッシモ・ピアニシッシモを何とか聴き取ろうとする作業が不可欠でした。
シズルシンバルの消え際、ベースのピチカート、
ブレイク部分で、握りこんだコードフォームがフレットと擦れるかすかな軋み……。
今の音楽のピアニッシモは全く苦労しないで聴き取れます。
商品としてのクオリティは段違いに向上したのですが、
これを一種「暴力的」、強制的に聴かされるように感じてしまうのです……。
3、マッスとしての音・整理された音
音が全体として塊に聴こえる瞬間が好きです。
ベルリンフィルのフォルテシモ、『イン・ロック』期のパープルの録音、
山下トリオ『クレイ』、ブロッツマン『マシンガン』……
奏者のエネルギーで飽和したような音、といいますか。
アナログ録音によるテープコンプレッションの効果も大きいのでしょう。
現代の音楽はボーカルと各楽器の帯域がぶつからないよう、
コンプ/リミッター、イコライジング、定位調整等を綿密に行い、
音圧を稼ぎながらもスッキリした音像が主流です。
これを何か、耳にベッタリと張り付くような音像に感じてしまいます。
……以上、生演奏を好む高齢者の、時代遅れの繰り言です。
電子楽器や電気楽器も大好きで使いますが、
音楽とは『空気を媒介として伝わるもの』だと刷り込まれているようです。
全身で浴びる音楽体験と、インナーホンで聴く音楽体験の違いなのかな………。