反動
- カテゴリ:日記
- 2014/04/20 22:11:49
河北新報のいちばん長い日
震災下の地元紙
河北新報社
文春文庫
震災関連本を読む、という個人キャンペーン第4弾。
ただ、ナショナルジオグラフィック3月号にも震災関連の記事(数ページだが)があったので、それもカウントすれば、第5弾。
もう少し早いタイミングで読むはずだったが、諸事情により、この時期になった。
河北新報は宮城県を中心に東北6県を発行区域とする新聞。
東日本大震災の被害を受けながらも「それでも新聞を作り続けなければならない」という使命感に燃えた人々の記録。
「新聞の発行」にこだわり続けたのは、電気がアテにならない状況では、人々に情報をもたらすことができるのは、新聞だけしかない、という思いがあったから。
紙面作成のためのコンピュータこそ、震災後、数日で復活したが、それ以外は足りないモノづくし。
食料、燃料、現場までの移動手段に加え、新聞を印刷するための紙さえも。
さらに現場に辿り着いたとしても、そこからメールやFAXで記事を送れるか、どうかは分からない。
確実な方法は、人の手で記事を会社まで持ち帰る事。
それでも、新聞は発行し続けた。
被災者が求める情報は、同じ被災者である自分達だからこそ提供できる、と信じて。
脱線だが、震災後、各地で災害対策が発表され、そのいくつかがニュースになったが、全て「電気が通じている事」が前提だった。
なぜ、そんな前提の対策を作るのか、という疑問が湧いてくる。
電気が使えない時の対策も別にあるならば、まだ分かる。
結局、「災害対策」ではなく、「公共事業」なのか、とさえ思ってしまった。
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閑話休題
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本書を読み始めて、まず感じたのは「生々しさ」
特に震災直後の生々しさは、引き込まれてしまうと同時に辛くもあった。
最初、電車の中で読んでいたが、早々に断念。
電車の中で読むには、自分には少々、刺激が強すぎた。
ところで、震災後、あの状況の中で新聞を作り続けた事には頭が下がる。
こんな一言で片付けるべきではないが、他に言葉が見つからない。
ただ、その「使命感」の中には、何かの裏返し、といったものも含まれているような気がする。
会社の退避命令で、一時的に被災地を離れた事を気にし続けた記者がいた、というエピソードがあった。
被災地を離れた事自体は、特に責められるような事でもなんでもない、と思うが、なぜそこまで思いつめてしまったのだろう。
(そう思うのは、第3者的な視点だから、だろうか。)
ふと頭をよぎるのは、別の本で出てきた「災害カーニバル」または「災害ユートピア」という言葉。
「災害」という言葉に「カーニバル」や「ユートピア」が付くのは、ちょっとおかしい、と感じるが、説明の方法として、適切なものがない。
ここでの「カーニバル」は「非日常の狂騒状態」、「ユートピア」は「多くの人が進んで利他的行動を取るコミュニティ」というような意味で使われる。
先ほどの記者は一時的にせよ「災害カーニバル」または「災害ユートピア」に加われなかった事がひっかかっていたのかもしれない。
いずれにせよ、震災後、懸命に活動した記者達に、その後、その反動が来ていない事を祈る。
こういうものは、しばらく経過してから、ズドンと来る、という事を聞きかじったので・・・。
「仕事に没頭する事で、災害を(ある意味で)忘れるため」
という面があったら、それが一区切りついた時に、一気に反動が
来る事が多いらしいので、ちょっと心配です。
災害カーニバルやユートピアのことはそういうのもあるのかもと思いました。
友人から聞いたことですが、父親が新聞社に勤めていて、災害当時は家族のことより取材の方に力を入れている姿を見ていたそうです。自分たちも大変なのになんで仕事の方を優先するのか?と少々怒りを覚えていたそうです。
その父親は“新聞は歴史の記録者であり、真実の追求は記者の責務だ”と言っていたそうです。
父親の仕事が地域の人達に必要とされ、それに応えようとする姿を見て怒りは尊敬に変わったそうです。
マスコミといえばあまりいいイメージがないこともありますが、この時ばかりはなくてはならないものだという印象を抱きました。
被災地を離れてしまった記者は、責務を果たせない自分という拭いきれない重圧があったのかもしれないと思いました。
折りしも、今日の朝日新聞に主要駅の帰宅困難者対策の記事がありましたが、
マスコミも、あまり対策が進んでないような気も・・・。(汗)
第2次関東大震災だったら、東京に本社のあるマスコミ各社、
いったいどうするのでしょうね~~。
被害のスケールは、東北震災とは一桁違うでしょうし・・・(不安)。